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「当時と変わらないのは、パンチパーマぐらいでしょうか」 かつて強面のスタイルと「ぽっぽ」を連呼するコミカルなフレーズでバラエティ番組を中心に大ブレイクしたタレント・歌手の鼠先輩(48歳)。 ⇒【写真】約13年前に大ブレイクしたタレント・歌手の鼠先輩(48歳) 2008年、歌謡曲「六本木~GIROPPON~」にて35歳で遅咲きのメジャーデビュー。オリコンの演歌部門で1位を獲得した。その後、すぐに引退を発表……したかと思えば、しれっと活動再開。当時は大きな話題を呼んだが、長くは続かなかった。いわば、芸能界から一瞬で姿を消した“一発屋”だ。 彼はいま、何をしているのだろうか。今回は、デビュー秘話をはじめ、約13年の月日で「変化」したことなどを直撃。そこには、虎視たんたんと“2発目”を狙う姿があった!
最高月収1200万円、そこから収入は「ウナギ下がり」
現在、東村山市久米川で飲食店をプロデュースしながらイベント出演などのいわゆる“営業”で生計を立てている鼠先輩。外見としては、当時とほとんど変わっていない様子。その一方で、内面としてはどうなのか。 「テレビに出ていた頃は、分刻みのスケジュールで本当に忙しかった。ただ、とにかくしんどくて。適当に『ぽっぽ』言っておけばいいんだろうと、“やっつけ仕事”だった時期もあるかもしれない。 ブームが去って、もう一度売れたいとも思わなかったけど、あれからずっと冷や飯を食ってきた。干支が一周して、今はめちゃくちゃ再ブレイクしたいという気持ちが湧いてきました。やっぱり、お世話になってきた人たちに恩返しがしたいんです」 最高月収は約1200万円。そこから収入は「ウナギ下がり」と本人は言う。ここ2年間はコロナ禍の影響もあり、スケジュール帳を開くことさえなくなった――。
バンド活動とアルバイトの日々
「歌手になるか、お笑い芸人になるか。10代の頃から芸能界を意識していました」 鼠先輩は中学2年生の頃にバンドを結成、音楽の道で食べていこうと決意した。そして高校時代、NHK主催の「BSヤングバトル」岡山大会で優勝したことをきっかけに「本当にプロでもイケると勘違いしてしまった」と振り返る。 高校を中退後、アルバイトで100万円のお金を貯めて「(世界の)音楽を勉強する」という名目で3~4年間に渡って海外放浪。インドやネパールに長期滞在していた。 「いま思うと、単純に働きたくなかったんでしょうね(笑)。帰国後は、とにかく30歳まではバンドを続けて、そこで芽が出なかったら辞めるつもりだった。 だから、音楽の夢を叶えるために清掃業やキャバクラのボーイなどのアルバイトと並行していました。学歴もなく、手に職もなかったので」 しかし、30歳を迎えてもメジャーデビューできる気配はなかった。鼠先輩は、プロの道を諦めることにした。
プロの道を諦めたらメジャーデビューが決まった
いち社会人として就職するなど、“普通”に働くようになってから5年。突然、チャンスが舞い降りる。当初は葛藤もあった。 「不思議ですよね。プロは諦めていたけど、続けていたんですよ。この格好で『ぽっぽ』言いながらライブハウスには出ていたので。たまたま、それを見ていた音楽関係者から声がかかって。ただ、最初は断ったんですよ。 なにせ、そのときはすでに35歳。映像制作会社で働く真面目な社会人でしたから。いい年齢の大人だったので、芸能界の厳しさも想像がつく。一生食っていけるわけがないって。そこで、改めて自分と向き合ったんです」 一度きりの人生、やってみてもいいのかもしれない……。 そして2008年、「六本木~GIROPPON~」にてユニバーサルミュージックよりメジャーデビューを果たす。オリコンの演歌部門のランキングで1位を獲得するなど大ヒット。それだけではなく、独特のキャラクターがお茶の間に受け入れられ、バラエティ番組を中心に引っ張りだこだった。 「そりゃうれしいですよ。事務所やレコード会社の力もあるでしょうが、自分でも面白い曲だと思っていたので、ヒットする自信がありました。本当にブームでしたよね、ブーム。そして、『これで終わるな』ってわかっていましたから。ある意味、予定どおりなんですよ」
「これで終わるな」最初から1発狙いだった
じつは鼠先輩、最初から“1発”狙いだったとか。 「もともと、“一発屋”が念頭にあったので、事務所にもデビューから1年で引退すると話をしていたんです。バッターボックスに1回だけ立って大振りする。三振でもよかったんですが、たまたま当たってホームランを打った」 その翌年、人気絶頂のさなかで芸能界引退を発表。社会人に戻るべく、ハローワークにも通い詰めたが、なかなか職にはありつけなかったという。 「1回このスタイルでやってしまうと、普通のアルバイトもできなくなってしまって。顔もバレているから先輩も使いづらいでしょう。そんなときに、CMのオファーがきて。なかなかない機会だと思って、やることにしたんです。そこから活動を再開して、今まで続けることになったんですが……」 瞬く間にテレビでは見かけなくなってしまった。仕事は減っていく一方だった。スケジュールにも空白が目立つようになり、収入は下降線をたどる。その後は――。
“一発屋”タレント・鼠先輩の今。ブレイクから13年「2発屋を狙ってます」
意外な一面「週末は良きパパ」
「こういうキャラクターでいこうと決めていたので、以前は家族とか子どもとか、プライベートの部分を出さなければいけない案件は断っていたんですよ。 ただ、もともと料理が好きで、30歳でバンドを辞めて一度就職したのが料理屋だったぐらいなので。キツくて2か月で退職したけど。よく家族のためにも料理をつくるし、アルバイトの日は朝起きて自分でお弁当を用意する。 妻は同じ中学の3個上の先輩で、15歳から付き合っている。海外放浪のときは、ふたりでインドにも行きました。もう30年以上いっしょにいるけど、今でも仲が良い」 鼠先輩がサングラスの奥でうっすらとのぞかせる優しい目は、“パパそのもの”である。 「家族って、みんなで楽しもうという集まりじゃないですか。だから、常に楽しくしようと思っていて。ぜんぜん怒ることなんてありませんよ。中学生と小学生の娘にはちょっかいばかり出しています。『うるさい』『パパぜんぜん面白くない』って言われちゃいますが」 最近では、鼠先輩が先生役(ねずみ先生)となり、小学生の子どもたちと楽しく学ぶYouTubeチャンネル「逆R指定小学校」をスタート。 「完全に自分を知らない世代の子たちなんですけどね。先生として子どもたちに教えるといっても、逆に教えられることのほうが多い。楽しむときは本気で楽しむ、真面目にやるときは真面目にやる。子育てと同じで、いっしょに成長していくんだなって」
13年の月日で「気持ち」の変化が大きい
鼠先輩は、大ブレイクしていた当時と今で「気持ちの変化が大きい」と話す。 「13年の月日やコロナ禍で、どんな仕事でもひとつひとつ丁寧にできるようになったのは、良かったことなのかもしれない」 紆余曲折ありながら、どのように人生と向き合ってきたのか。変わらない信念もある。 「人を楽しませるのが好きで、みんなの笑っている声が聞きたいんです。とにかく面白いと思った方向に生きていく。僕には一般的なサラリーマンのように、スーツを着てネクタイを付けて、というのができないので。まあ、鼠先輩としてそういう格好はしていますが(笑)。 そのぶん、好きなことをやり続けないと、自分がかわいそうになってしまう。ただ、勘違いしてはいけないのが、楽しいだけでは絶対にダメで。よっぽど才能がある人をのぞいて、努力は必要なんです。現実を受け止めて、嫌なことや苦しいことを乗り越えた先に、楽しいことが待っている。何もせず文句ばっかりでは、つまらなくなるでしょう」
コロナ禍で着々と準備、来年は「“2発屋”を狙う」
自身が苦労を重ねてきたからこそ、コロナ禍などで今苦しんでいる人たちにもエールを送る。 「そもそも社会の仕組みなんて、ぜんぶめんどくさいんだから。それをわかったうえで、楽しくする。苦しいときはニコニコして口角とテンションをあげていれば、絶対に良いことがあると思うんです。もうひと踏ん張りじゃないですか」 ようやく緊急事態宣言が解除。鼠先輩も徐々に仕事が増えつつあるという。 「去年は子(ねずみ)年だったので、本当はそこで何かやりたかったんだけど、コロナ禍でズレてしまった。芸能界は世の中の景気に左右されるけど、来年あたりは良くなるはず。新曲のリリースに向けて着々と準備を進めてきたので、もう1発当てて、“2発屋”になることを狙っていますよ!」 鼠先輩が、再びお茶の間で「ぽっぽ」する日も近い!? <取材・文/藤井厚年、撮影/長谷英史> 【藤井厚年】 Web/雑誌編集者・記者。「men’s egg」編集部を経てフリーランスとして雑誌媒体を中心に活動。その後、Webメディアの制作会社で修行、現在に至る。主に若者文化、メンズファッション、社会の本音、サブカルチャー、芸能人などのエンタメ全般を取材。趣味は海外旅行とカメラとサウナ。Twitter:@FujiiAtsutoshi
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