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社会全体で女性の参画・活躍への取り組みが進む中、医療界では未だ圧倒的に男性優位の現状がある。しかし最近、変化が現れた。新宿ナビタスクリニック院長・濱木珠恵氏は、今こそ「過渡期」であると語る。※「医師×お金」の総特集。 GGO For Doctor はコチラ
各専門家が論じる「コロナ後の世界」に抱く違和感
先日、Twitterでロバート・キャンベル氏がこんなことを言っていた。2020年8月22日のことだ。 ========== 描かれる場に女がいない「コロナ後の世界」。気色悪いけれど、珍しい風景ではない。政治も学問も企業も「未来を描く」場に女は呼ばれない。延々櫛比する男の名前。多様性を論じる気? 若い書き手にお願い。依頼が来たら「他の顔ぶれは?」聞いてから引き受けて下さい #mansplainingthepostcovidworld ========== (出典: https://twitter.com/rcampbelltokyo/status/1297069459958505472 ) ひきあいに出されていたのは筑摩書房の『コロナ後の世界:いま、この地点から考える』という書籍だ。筑摩書房編集部が編纂したもので、医師や社会学者、哲学者など11人が執筆しており、読み応えはある。キャンベル氏は、その執筆者達が45歳から66歳の男性だけで構成されていたことについて、上記のように述べたのだ。たまたま執筆に適した人が男性だけだったのか、あるいは、女性の研究者などそもそも探さなかったのか。 つい後者であると勘ぐってしまう。第99代内閣もそうだし、新型コロナ専門家会議などの国の各種有識者会議や審議会などを見ていても、同じだ。次の何かを考えよう、決めていこう、そういう会議がいまだに年配の男性を中心に組織される。見飽きた光景だ。古い社会構造をコピーしているだけで、多様性が感じられない。この違和感は間違ってはいないだろう。 この10年余りで、女性の活躍と働き方の改革は進んできたとは言われる。2014年、第187回国会の首相の所信表明演説で「女性が輝く社会」の構築をテーマとして挙がり、2015年に女性活躍推進法が交付された。 だが、医療界に関して言えば、意思決定権を持つ組織の中に女性の比率はまだ少ないと感じる。病院幹部は男性が多いし、国の審議会や新型コロナの専門家会議等は典型的だ。 2020年7月3日から内閣官房の新型インフルエンザ等対策有識者会議の下部組織として「新型コロナウイルス感染症対策分科会」されたが、圧倒的に女性の比率が少ない( https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/yusikisyakaigi.html )。 そもそも2月に専門家会議が設置された時点で、男性10名、女性2名だった。男性の1人は獣医師でありウイルス学の専門家、ほかの9名は医師免許をもつ臨床医か研究者だった。だが女性に医師はおらず、弁護士と研究者だ。( https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/senmonkakaigi/konkyo.pdf )。 さらに「新型コロナウイルス感染症対策分科会」は男性13名、女性5名。この18名のうち医師免許を持つのは10名だが、男性8名、女性2名だ。女性は全国保健所長会副会長と、新聞社の常務取締役。後者は35年も新聞社に勤務しており、実質的に医師とは言えない。男性医師8名に女性医師1名である( https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/yusikisyakaigi.html )。 これらの専門家会議や分科会の問題点は、透明性がないことだ。内閣官房のサイトに会議資料はあるが詳細な議事録はない。「議事概要」だけでは議論の背景が分からない。情報公開請求で開示された2月の専門家会議の議事録はそのほとんどが黒塗りで、分科会の議事録は10年経たないと公開されないという。
活かされない教訓、形骸化する有識者会議
10年前の新型インフルエンザの時には「議事録を作成するなど議論の透明性を確保するとともに、情報の混乱を避けるため、正確な意見集約や広報に努めるべきである」という総括がなされた。現在の分科会に名を連ねる尾身茂氏や岡部信彦氏は当時の対策会議にいたはずだが、この教訓は活かされていない。今回の新型コロナ感染症の流行は、すべての医療関係者と全国民が共通の経験として学習するべきだ。専門家会議は、政府と厚生労働省から舐められている。あるいは舐められているのは、国民か。 新型インフルエンザが流行した2010年に出版された『さらば、厚労省』という書籍がある。日米の病院で医師として研修を積んだのち、厚労省に入省した元女性キャリアが書いた本だ。新型インフルエンザ対策で混乱する行政において、国民の健康よりも自分たちの都合を優先させる“ペーパードクター”の医系技官と厚生労働省を痛烈に批判している。国民の方を向いていない医系技官の欺瞞に満ちた態度に、同じ医師免許を持つものとして、許せなかったそうだ。医系技官の肩書きというキャリアに執着せず、厚生労働省の嘘を指摘していたのが印象的だ。 今もまた、国民全体の利益ではなく、組織の立場が優先されている。本来、医師は「専門家」という独立した立場から発言する必要がある。だが専門家会議に選ばれている医師免許を持つ男性メンバーのほとんどは、感染症研究所や大学病院でキャリアと研究実績を積み、組織に所属している。組織人は組織での立場にとらわれて無難な発言をしがちだ。政府の思惑に真っ向からは対立しない。どうせなら、アメリカ国立アレルギー・感染症研究所(NIH)所長のアンソニー・ファウチ博士ばりに、専門家としての矜持を見せて欲しい。新しい知見をもとに判断する過程をリアルタイムに共有して今後に活かそうというとき、透明性の欠如は致命的だ。 有識者会議の形骸化は、男性優位の人選にも表れている。有識者会議に女性が少ないのは、女性医師に有能な人材が少ないからだという人もいる。50代以上では女性医師が少ないのは事実だが、むしろ意思決定は男性が中心という過去の幻想を引きずっているのだろう。そんなことを続けていても先細りするのは目に見えている。今後、人選の方針を変える必要がある。
男性優位を脱却、真の能力主義へ…これは世代間争いだ
実は、医療系の分野での男女格差は日本だけの問題ではない。2019年にWHOから出された『Delivered by Woman, Led by Men: A Gender and Equity Analysis of the Global Health an Social Workforce』 という報告がある( https://www.who.int/hrh/resources/health-observer24/en/ )。 この報告によると医療や保健衛生の業務に携わる労働力の70%が女性であるのに、管理職についている女性は半数以下である。また国際保健はほとんど男性主導であり、国際保健機関の長の69%は男性、委員会の議長の80%も男性だと指摘している。 この報告では、能力のある女性を登用しリーダシップをとらせることによって社会全体の保健衛生を向上させていく必要があるとしている。 米国も同様だ。2015年には米国の現役医師の3分の1以上(34%)が女性であり、研修中の医師全体の46%、米国の医学生全体の半数以上が女性と推定される。2017年は、米国の医学部に入学する女性の数が、史上初めて男性の数を上回った年となった。しかし今なお医師の間でさえ多くの女性差別があるという。 ある研究によると、指導的地位に占める女性の割合は依然として少なく、女性医師は医学部の専任教員の38%を占めているが、専任教授の21%、学科長の15%、学部長の16%にすぎない。これに対しては、2018年に米国医師会(American college of physicians)が『医師の報酬とキャリアアップにおける男女平等の達成』と題したポジションペーパーを出している。 米国医師会は、「学術機関、医療機関、医師のプライベートプラクティスグループ、および専門の医師会員制組織は、実務、教員、リーダー職に就く女性の数を増やし、以下のような機会への平等なアクセスを構築するための措置を講じるべきである。」などとして積極的に多様性への対応をするように呼び掛けている。 これらは、単に女性リーダーを増やせという主張ではない。能力主義なら性別は関係がないはずだが、現実には男性優位で選ばれる。社会環境も女性が出て来にくい状況のままだ。しかし、能力があるなら平等に活躍の機会が得られる社会であれば、指導的地位につく女性の数も増え、多様性の担保につながっていくはずだ。これは男女間の勢力争いではなく、古い価値観からの脱却という世代間の主権争いだ。
現状「圧倒的に男性優位」だが、若い世代に変化
少し話がそれるが、ここで、筆者が毎年参加している医療ガバナンス学会による『現場からの医療改革推進協議会』のジェンダーギャップについて計算してみた。 この会の特徴は多方面の専門家が集まって医療現場の視点から問題提起と議論を行うことであり、演者は医師とは限らない。第1回が2006年で、発起人は男性30人女性5人。当時に活躍の中心だった世代に女性医師が少なく、事務局の人脈も男性が多かったからだ。 演者全体の男女比は、病気の当事者や患者家族のセッション、看護師のセッションを設けたときに女性演者が増えたが、圧倒的に男性優位だ。事務局は意識していないだろうが、マンスプレイニング寄りではある。だがこれが医学界の現状とも言える。 それでも最近になって少し変化があった。若い学生や研修医が発表する場では女性演者が増えてきた。今年の予定では、男性38人、女性9人で相変わらず男性演者が多いが、20代30代の女性演者に注目してほしい。 今年の演者の一人、妹尾優希さんはスロバキアのコメニウス大学医学部に通う医学生だ。医師になる道を模索したとき、自分に一番適していると考え海外の大学を選んだ。文化や考え方の違う海外で研鑽を積むことを選んだ彼女は、決断と行動が早く、そのバイタリティにいつも感心している。 2年前の夏、モロッコで1ヵ月の研修を受けた彼女は、モロッコ人の男子医学生と知り合った。彼は日本の医療に関心があり日本の病院での実習を予定していたが、仲介してくれた学生団体との行き違いがあって、直前になって予定していた実習ができないと判明した。彼女は伝手を頼りに日本で実習を受け入れてくれる病院を探し、モロッコから当該科の責任者に連絡を取って実習を調整して、さらに日本での移動手段や宿泊先もすべて手配したそうだ。ちなみに彼女は今年、新型コロナ流行の影響で紆余曲折があった末、福島の病院で病院実習をしている。 また、彼女は毎年の長期休暇でも積極的に我々の研究活動に参加し、共著者としても複数の論文に名を連ねているが、今年は第一著者として2本の論文を作成した。そのうち1本は、経済協力開発機構(OECD)加盟36ヵ国の女性医師比率に影響を与える社会的特徴を調べたもので、今年1月にInternational Journal of Health Policy and Management誌に掲載された。女性医師の比率に、高等教育を受ける機会との関連性があると示している。ニュージーランドで高校時代を過ごし、東欧で大学生活を送る彼女の視点からの問題提起だ。
「活動の内容が重要」肩書に囚われず、研鑽を積む若手
今年の演者の一人、看護師の樋口朝霞さんは、北海道大学に在学中から、医療系学生の国際交流団体に参加するなど、積極的に見聞を広げる活動をしていた。大学を卒業後、東京の虎の門病院に勤務していたが、看護研究や国際的な共同研究に携わりたいと考えた。組織に所属していると活動が制約されてしまうため、退職して医療ガバナンス研究所の研究員となり、大学院生として研究活動を続けることを選んだ。 週末には、看護師としても働いている。研究に専念するのではなく、常に現場の視点を持ち続けるためだ。彼女自身は高齢者の終末期における蘇生措置拒否についての論文をNursing Open誌で発表したり、医療経済について英国のLancet誌にレターを投稿したりしているが、一方でネパールの医療者との共同研究も行なっている。彼女は、学生時代から交流のあったネパール人医師を招聘し、日本の病院を見学してもらうとともに、日本人医師と議論を行える場を調整した。 その後、2015年12月のネパール地震では東日本大震災の事例をもとに寒冷地での災害後対応の必要性を訴えるレターを2016年のLancet Global Health誌に投稿した。この地震に関連してはカトマンズの大気汚染問題や、がん患者の入院の動向についても学術論文を作成している。これらは東日本大震災での経験をネパールでいかした共同研究だ。また2017年の南ネパールでの洪水に際し、インドとの二国間紛争が災害対応を難しくしていることを例にして災害時の国際対応への問題提起をLancet Planetary Health誌に投稿している。 自分が彼女達の年齢だったときに同じことができたとは思えない。二人とも、肩書きではなく実力をつけようと努力している若手である。 今回は演者ではないが、我々のナビタスクリニックで働く山本佳奈医師も、専門医資格という肩書きを選ばず、女性の健康問題をテーマに臨床医としての経験を積むことを選んでいる。彼女は滋賀医科大学を卒業後に福島県南相馬総合病院で初期研修を受けた。後期研修の期間中、自分の専攻を決めようとする過程で、医師本人の希望に反して特定の研修施設や期間を強制してくる専門医制度に疑問をもち、朝日新聞『私の視点』にて専門医制度を批判した。 肩書きではなく仕事の内容が重要、というのは、前述の『さらば厚労省』の著者の考え方にも通じる。おかしいと感じることに対して、はっきりと異を唱えたことも評価できる。 彼女は資格をとるよりも実質的な活動をすることを重視した。日々外来での一般診療を続けながら、大学院に属して英語論文を作成している。自身のテーマである女性の健康に関し、今年6月には、日本と上海の若年女性における鉄欠乏性貧血を比較した論文をCureus誌に発表した。ほかにもロート製薬で女性の健康についてアドバイザーとしての活動や講演を行ったり、AERA.dotでの定期連載などの情報発信をしたりしている。
女性への教育提供が、既得権益のない実力派医師を輩出
もちろん年配の女性演者でも素晴らしい方はいる。麻田ヒデミ医師は、香川県丸亀市では有名な医療機関の経営者だ。女性医師が少ない時代から活躍している先達である。東日本大震災後の福島での医療支援で出会った方だ。一度は所有する病院が破産したが、その後、立て直しを図り、現在も第一線で診療を続けている。彼女は丸亀市の地域医療および福祉を積極的に展開している。 2018年7月に発生した西日本集中豪雨では、外来施設が浸水し使用不能になった倉敷市真備地区のまび記念病院に対し、自らのクリニックの総合検診車を無料で貸与したという。総合健診車は診察室のほかX線写真検査やエコー検査もできる機能を備えており、臨時診療所として使える。被災地域の方々は、馴染みのある主治医のもとで診療を受け続けることができた。 それだけではない。彼女は20年に渡り、中国の医師・医療従事者と医学交流を続けており、来日研修の受け入れや現地医療機関への健診技術の指導、移動健診車の導入、日本人医師による画像診断支援システム構築などを行ってきた。地域に密着し、患者に寄り添う彼女の信念には頭が下がる。 残念ながら、この世代の女性医師は少なすぎて、ここまでの人材は多くはない。しかし、女性医師数は、全年齢では全体の2割程度だが、年代別では40代で26.3%、30代で31.2%、20代で35.9%と増えてきている。人数が増えてくれば、潜在的能力のある人材の数も増えるはずだ。 女性は、肩書きを重視する社会に置かれなかった分、男性のような既得権益は少ない。今まで男性が与えられてきたようなリーダシップ教育と実践の機会を女性にも与え、人材の層を厚くすることに注力すれば、男女ともに実力のある人材が出てくるはずだ。そうすれば、現場から離れたベテランに頼らなくてもいい。 昭和世代の男性社会の思考のまま、審議会のメンバーを決めるようでは会議の存在意義がない。次世代の医師達のためにも、社会のためにも、現場力があって多様な背景をもつメンバーを集めたほうが、既得権益に無関係な「専門家」集団を作れるだろう。
今が過渡期…古い価値観を脱却し、次世代へどう繋ぐか
冒頭のキャンベル氏の話に戻る。「未来を描く」場に女性も入れること。これは女性への優遇措置ではない。紅一点とかヒロインとかマドンナとか、そんなお飾りは要らない。「社会という公の場にいるのが男性、家庭という私の場にいるのが女性」という線引きは、過去における古い価値観だ。社会を構成している半数は女性であり、医療界にも女性の数は増えている。 今は過渡期なのだ。男性も女性も、社会と家庭を常に行き来する時代が来ている。未来を描くなら、社会に働きかけるなら、社会の半分をしめる女性を意図的に入れていくべきだ。そしてこれは、「女性を」ではなく「優秀な人材を」を引き上げるための流れでもある。 どうやら今のところ、私の世代では、まだそこまで到達できていない。女性の教育への後押しは今後も必要だと思う。だがその目的は、会議に女性を入れることではなく、社会に多様性をひらくことであり、透明性をもたせることだ。 「未来を描く」ために、男性優位な政治や世界観に対し、あえて否定力をかけていかなければならない。いまだに昭和を引きずっている40代以上の世代から、若い世代へ、世間の価値観をどう変えて、社会をどう繋いでいくかが課題だ。 【記事をもっと読む】 濱木 珠恵 新宿ナビタスクリニック院長
濱木 珠恵,医療ガバナンス学会
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