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長い歴史の中で飛行機に初めて乗った天皇は昭和天皇でした。1954(昭和29)年8月23日。「全国巡幸」で訪ねた北海道の帰路、昭和天皇が香淳皇后と共に、初めて飛行機に乗り、羽田空港に降り立ちました。皇室と空の旅には知られざるエピソードがあります。4回にわたり皇室と飛行機、そして外国訪問の意外な関係を振り返ります。(日本テレビ客員解説委員 井上茂男) ◇ ◇ ◇ 【コラム】「皇室 その時そこにエピソードが」 第1回「空の旅とオーロラと国際親善」(4/4) ◇ ◇ ◇
天皇は海外に出ることができなかった
天皇は国事行為を託して海外に出ることができませんでした。 戦後、憲法第4条第2項に「天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる」と規定されましたが、その「法律」がなかったのです。1964(昭和39)年5月、「国事行為の臨時代行に関する法律」が施行され、天皇は国事行為を託して外国に出ることができるようになりました。 香淳皇后は外国に出たことがなく、昭和天皇は一緒に外国を旅行したいという希望を持っていました。昭和天皇70歳。宮内庁は年齢を考えて慎重でした。実現したのはそれから7年後の1971(昭和46)年です。前に紹介したオーロラが彩りを添えたヨーロッパ訪問です。
水面下で動いた高松宮ご夫妻
この旅の実現に向けて動いた皇族がいました。高松宮ご夫妻です。高松宮さまは日本・ベルギー協会の名誉総裁でした。 『高松宮宣仁親王』(『高松宮宣仁親王』伝記刊行委員会編、朝日新聞社)と、高松宮妃喜久子さまの著書『菊と葵のものがたり』(中央公論新社)に興味深い秘話が記されています。 1970(昭和45)年4月、ベルギーのボードワン国王の弟のアルベール王子(後のアルベール2世国王)が大阪万博のために来日しました。この時、喜久子さまは外務大臣主催の晩餐会で王子の隣の席で、王子に「皇后さまは一度も外国を訪問されたことはない」と話しました。王子は驚き、「兄に話して何とかいらっしゃれるようにする」と応じたそうです。喜久子さまは高松宮さまに「口火は私が切りましたから、あとはお願いよ」と託し、高松宮さまと王子との間で書翰が行き来します。その頃、喜久子さまは吉田茂元首相を大磯に訪ねて「なんとかならないでしょうか」と助力を頼み、佐藤栄作首相に話が行ったようです。 『昭和天皇実録』の1970(昭和45)年4月17日には、昭和天皇が王子のために昼食会を催したことに続き、ボードワン国王から7月22日付で「天皇・皇后の御訪問を希望する」という親書が届いたことや、昭和天皇が9月5日付で「外国旅行を可能とする機会が到来した場合には、皇后と共にブリュッセルを訪問できることを期待したい」という返事を送ったことが記されています。 ボードワン国王と昭和天皇のやり取りは、高松宮ご夫妻の動きと符合します。外国訪問は政府が決めることですので、皇族が水面下で動き、ベルギー王室が協力していたのは驚きです。
若き皇太子夫妻が担った「皇室外交」
終戦から天皇訪欧までの四半世紀、天皇の名代として先の大戦に対する厳しい視線を受けながら外国訪問を担ったのが、皇太子時代の若き上皇ご夫妻でした。 お二人は1959(昭和34)年4月に結婚され、翌60(昭和35)年2月、今の天皇陛下が生まれます。最初のアメリカ訪問は出産の7か月後。日米安保条約の改定で国内が揺れに揺れ、アイゼンハワー大統領の訪日予定が中止になった年です。 アメリカ訪問は、9月22日から10月7日までの16日間。8都市を回られました。臨まれた行事は約80。飛行機の搭乗回数を数えると、羽田~ホノルル~サンフランシスコ~ロサンゼルス~ワシントン~ニューヨーク~シカゴ~シアトル~ポートランド~アンカレッジ~羽田と、主な移動だけで10回に上ります。 帰国して1か月後の11月には、イラン、エチオピア、インド、ネパールへ。昭和天皇の名代としての28日間の長旅でした。飛行機の搭乗は、羽田~香港~カルカッタ~カラチ~テヘラン~ダラハン~アデン~アディス・アベバ~アデン~ボンベイ~ニューデリー~パトナ~カトマンズ~カルカッタ~バンコク~羽田と、主な移動に限っても15回に上ります。晩秋の日本を発ち、気圧が変わる飛行機の旅を重ね、熱帯にあるエチオピアや、砂漠のサウジアラビア、英領イエメンなどにも立ち寄られ、山岳国のネパールへ。旅先に春夏秋冬の違いがあり、負担は小さくありませんでした。 1962(昭和37)年1月にはパキスタン、インドネシアへ。上皇さまはインドネシアでインフルエンザにかかって39.2度の熱を出して寝込み、次の訪問国フィリピンをキャンセルして帰国されました。上皇后さまも看病疲れに感染が重なり、体調を崩されました。その年の11月、フィリピンを訪問されています。
皇太子時代に地球17周の外国訪問
外国の元首を国賓として迎えると、答礼訪問で返すのが国際儀礼でした。その役目を、天皇の名代として上皇ご夫妻が担われました。お二人の旅は、こうした名代としての訪問を含め、皇太子時代だけで計22回。宮内庁によると、その飛行距離は、約67万キロ、地球17周分にもなるそうです。 上皇后さまは2007(平成19)年のヨーロッパ訪問を前にした記者会見で、外国訪問の負担について本音を語られています。 「嫁いで数か月後、急に翌年5月訪米の案がもたらされたときには、本当に驚き,困惑いたしました。私は皇太子を身ごもっており、もし5月の旅行となりますと、母乳保育は2か月足らずで打ち切らねばならず、産後間もない体が耐えられず、ご迷惑をかけることにならないか不安でもございました。自分の申出が勝手なものではないかと随分思案いたしましたが、当時の東宮大夫と参与に話し理解を求め、米国側も寛容に訪問時期を9月に延ばしてくれほっといたしました」 「出産があったり、子どもが小さかったりで、国内の公務の間を縫うようにして執り行われるこのような旅は、もう自分には続けられないのではないかと心細く思ったこともありました」 2009(平成21)年は「即位20年」「結婚50年」の年でした。その年に開かれた写真展「両陛下の旅」(宮内庁監修)に、外国訪問に向かわれる機内で写した写真が2枚ありました。一枚は日本航空の特別機、もう一枚は政府専用機。同じような写真が選ばれた事情を侍従に聞くと、「それぞれのシーンに思い出がおありになるから」ということでした。写真はお二人が中心になって選ばれていました。 1993(平成5)年、政府専用機(ボーイング747-400)の運航が始まり、お二人の外国訪問でも使われるようになりました。2019(令和元)年4月には2代目となる専用機(ボーイング777)に引き継がれました。性能向上で飛行時間は短く、航続距離はより長くなりましたが、かつて北極回りの旅や、負担の大きい旅を重ねて今日の友好親善があることを、忘れないでいたいと思います。(終)
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