Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/857dc88815c41006e00e65129ac324e88fc2124b
スパイス料理が健康の秘訣
「ブラジルの外食費は高いですが、自分で料理すれば食材は豊富で安く、ネパール料理もおいしく食べられます」と、サプコタさんは初めてのブラジル滞在で、サンパウロの食事情の印象を話す。 「ブラジル料理も食べられますが、体調が悪い時はスパイスの効いたネパール料理が良いですね」とブラジルに8年暮らすガネッシュさん。 ネパールは主食に米で、スパイスを効かせた野菜やチキンのカレーを右手で食べる。普段から自炊するガネッシュさんは、基本的にネパール料理がサンパウロでも日常食だ。
ネパール人の本格インド料理店
ブラジルのネパール人の間でよく知られているインド料理レストランが『リート・ナマステReet Namaste』。現在、サンパウロではジャルジン地区とモエマ地区、他にミナス・ジェライス州ベロオリゾンテに店舗を構える。
オーナーのラムチャンドラ・カレルさん(39歳)はネパールのマンプン(ブトワル)生まれ。10歳の時に飲食業を営む家族とインドのニューデリーに移り、自らも15歳からホテルで料理人として働き始めた。18歳でアラブ首長国連邦のドバイに移ってホテルのシェフを務め、2年後にはタイに移り、インド料理店で4年働いた。 その間、インドとパキスタンが分断した時にフィンランドへ移民したインド人の子どもであるインド系フィンランド人宝石商と出会い、インド料理しか食べない人で、彼の妻がブラジル人でもあったため、おいしいインド料理をブラジルでも食べたいと言うことで、カレルさんは2007年に就労ビザを得てブラジルに渡った。
最初は共同出資でレストランの営業を始め、2012年に自分の店をベロオリゾンテでオープンした。ブラジルに来て4年ほどは経済的に苦しかったが、2015年にモエマ店、2019年にジャルジン店をオープンし、在伯インド人やブラジル人にも人気レストランとなって生活も落ち着き始めた。 ブラジルで知り合ったムンバイ出身のインド人シェフの娘を紹介されて、2013年に結婚。今は5歳の娘と3歳の息子に恵まれ、娘の名前をレストランに冠した。 「6月から営業が再開できるようになりましたが、今も最盛期の10%しかお客さんは戻っていません」とカレルさん。今年4月にはリオにも新店舗をオープンする予定で準備を完了していたが、パンデミックとなり、今後の見通しが立たないままでいる。 「農業に依存するネパールの経済情勢で生きるのは難しいです」。既にネパールには親戚もおらず、母やきょうだいはブラジル、他の親族はインド、日本、米国などに移住している。 日本にいるおじは日本各地で6店舗のネパール&インド料理店「ラム」を経営している。ブラジルに来る時、カレルさんの日本行きのビザも取得してくれたが、親戚を頼らず自分の実力で勝負したいと、あえてブラジル行きを選んだ。 「ネパール国籍ではビザが煩雑で不便なので」と、2017年にはブラジルに帰化。今は子どもたちの教育を考え、カナダに移住することも一つの選択肢と考えている。 「58歳の母は、ムンバイに戻りたいとばかり言います。私は1年ほどでポルトガル語に慣れましたが、彼女は慣れず、友人もいません」と、パンデミックが明けたらムンバイの自宅に母親を帰国させるつもりでいる。 「好きなブラジル料理はシュラスコ。でも私は(宗教上の理由などのため)牛も豚も食べられないのでチキンのみです」とのこと。 『リート・ナマステ』の従業員は全店舗で1人を除いて皆インド人。政府関係者も御用達の本格インド料理店で、上品な味わいのスパイス使いが特徴だ。特性の窯で焼くナンと3種の付け合わせソースもコクがありながらあっさりとした味わい。 「夢はレストランを成長させ、自らのチェーン店を世界展開すること」。カレルさんの目は、どこにいてもいつも世界に向いている。 ☆ ネパール人コミュニティーの人々は地球全体がビジネスの舞台。ネパール本国の経済情勢もコロナ禍にも負けず、明日の世界を作り続けている。そんな彼らの合言葉は「ナマステ!(こんにちは、ありがとう、さようならなどの意)」(ネパール編終わり、大浦智子さん取材)
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