Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/f35a431be1cfb0d21c771958a9159b0827e44924
名古屋市天白区の徳林寺。 ここに、新型コロナの影響で困窮する外国人たちが、身を寄せています。
境内で食事の準備をする、大勢の外国人。彼らは、新型コロナの影響で突然仕事を失ったベトナム人たちです。 収入を絶たれ、母国にも帰れない。困難な状況に置かれています。
困窮するベトナム人の支援をしているのが、徳林寺の高岡住職です。 「個々人には、非常につらい背景がありますが、ひとつの共同体みたいになって、みんなが楽しい世界を作るように努力している」(高岡秀暢 住職)
寺に身を寄せる、リエンさん(23)。3年前に夫婦で来日し、現在妊娠4か月です。 夫婦でベトナムへの帰国を望んでいますが、ベトナムはウイルスの封じ込めに厳格な基準を設けています。帰国するためのチャーター便は少なく、大使館に依頼しても先は見えていません。 「一緒に帰りたいけど、一緒に帰れるかは分からない。自分では決められませんから。一緒に帰れればいいです」(夫・ルックさん)
この寺にベトナム人が身を寄せるようになったのは、5月の中旬ごろ。 きっかけを作ったのは、名古屋でベトナム人協会の副会長を務めるユン・テイ・トゥイ・ユンさんです。
「先生(住職)はオッケーしてくれたのでよかった。フェイスブックで困った人、住むところのない人へ呼びかけました」(在東海ベトナム人協会 副会長 ユンさん) 増え続ける困窮したベトナム人。以前から知り合いだった高岡住職に助けを求めたのです。 「いいですか?と言われたから、いいですよと言ったぐらいで、ある意味では当然だし、若い人が来てくれるのはうれしいこと」(高岡住職)
ベトナム人たちは、参拝者用の宿舎に身を寄せています。光熱費などは寺がもち、住職はベトナム人たちから一切生活費を取りません。 5月も下旬になると、ベトナム人は12人から30人に増えていました。 密を避けるため、住職は集会所に新たな部屋をつくることに。“何でも自分でつくること”がモットーの住職によって、あっという間に6部屋が完成しました。
無償の愛を注ぎ続ける住職。その原動力は意外な所にありました。 「若いころ、社会からドロップアウトして、ネパールに10年くらい行っていた」(高岡住職) 寺に生まれ、寺を継ぐ立場だった住職。しかし、自分の生き方に疑問を持ち、ネパールへ渡りました。 一軒家を借り、仏教を学びながら、現地の人や旅人などと共同生活をしていたといいます。 「そういう体験があるから、初めて会った人でも楽しく過ごせる。貧乏なら工夫して生活する、共に生き楽しく生活を作る」(高岡住職) お互いが助け合い、工夫しながら楽しく生きる。ネパールでの10年が自分の生きる形を作ったと住職は話します。
住職の愛に応えるように、身を寄せるベトナム人たちも動き始めました。 ある日、本堂の脇にある土を掘り起こし始めたベトナム人たち。お寺には高齢者も多く訪れるため、住職らが以前から温めていたバリアフリーの計画を、ベトナム人たちが手伝ってくれることになったのです。 「ビックリしています。すごい、彼らのパワーにビックリしています」(檀家 近藤佑次さん)
翌日、コンクリートを入れてあっという間に完成。住職にひとつ恩返しができました。 「お寺に貢献したいという気持ちがあるみたいですね。それは本当にありがたいし、自然な心の発露だと思います」(高岡住職)
ベトナム人が50人を超えた6月末。ついに大使館から帰国の許可が出るようになりました。 「悲しいおめでとうだね。みんなせっかく仲良くなったが別れなくちゃいけない」(高岡住職)
帰国許可がおりたソンさん。お世話になった住職に感謝の言葉を贈ります。 「いろいろなことをありがとうございました。困難な時期に助けていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。住職の助けがなければ、泊まる場所も食べる物もありませんでした。本当に感謝しています」(帰国許可がおりた ソンさん) 「私が助けたとおっしゃったけど、実はいっぱい助けてもらった。一緒に食べ、一緒に働いていたのは、本当に感謝です。みなさんも社会で活躍したら、ここをふるさとだと思って必ず来てください。私もベトナム行きますからね。私が行ったら必ず歓迎してください」(高岡住職)
こうして7月ごろから徐々に帰国の許可が降りるベトナム人が増え、住職は別れを重ねてきました。 しかし新型コロナの終息が見えないなか、職を失い、寺を頼るベトナム人は途切れることなくやってきます。これまで寺に来たベトナム人は延べ80人ほど。 家族として過ごしたかけがえのない時間が、去りゆくベトナム人たちの力となっていきます。
中京テレビNEWS
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