2019年9月20日金曜日

世界のへき地で手術と技術指導に奔走する眼科医

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190913-00010002-jij-hlth
9/13(金)、ヤフーニュースより
時事通信
 内藤毅・徳島大学特任教授に聞く
 徳島大学の内藤毅特任教授は、ネパールに頻繁に通い、現地で医療活動、医療教育に奔走しています。同国のアイキャンプ(移動眼科クリニック)は、交通手段がない患者さんのために医師が医療拠点をつくるという、非常にユニークな医療。そのアイキャンプで、手術までこなし、最近は他の国へも支援活動を広げています。ネパールから帰国した直後の内藤教授にお話を伺いました。(聞き手・文 医師・海原純子)
 ◇始まりは現地からの要請
 ――どういう経緯でネパールでの医療支援にかかわるようになったのですか。

 1984年10月から半年間、ネパールの眼科医からの要請で、ネパール(当時はネパール王国、現ネパール連邦民主共和国)の首都カトマンズに滞在しました。

 当時、ネパールでは日本の援助で、ネパール国立トリブバン大学医学部に付属病院が出来たところでした。

 それまで、ネパールには医科大学がなく、医師になるためには、インドなど外国の医科大学へ行く必要がありました。

 ネパール現地のウパダイ教授の要請で、ネパール政府と初めて契約する外国人医学部教官(助教授)となりました。そして、トリブバン大学付属病院眼科で、ウパダイ教授と診療・教育に従事し、ネパールの眼科医学教育をスタートさせることができました。
 ◇眼科医が20人の国
 ――実際にどのようなことをしたのですか。

 半年間のネパール滞在中、アイキャンプでネパールのへき地を回り、白内障で失明した患者さんの手術を多数行いました。

 アイキャンプは、移動手段の乏しいへき地の患者さんにとって、なくてはならないもので、現在でも盛んに行われています。

 84年当時、ネパールには、眼科医が20人という厳しい状況で、ネパール人眼科医の要請でアイキャンプに一緒に行きました。
 
 ――20人というのは驚きですが、今はどうですか。

 現在は約300人に増えていますが、眼科医の多くが都市に住み、山間部のへき地では依然として厳しい状況です。
◇毎月、ネパールへ
 ――ネパールへは、どのくらいの頻度で行くのですか。

 2016年からはJICA(国際協力機構)の草の根プロジェクトを担っていたので、ほぼ毎月、行っていました。それ以前は年に1~3回程度です。現在までに70回ほど渡航しました。

 ――毎月ネパールとはすごいですね。健康管理で気を付けていることはありますか。

 ネパールと日本の時差は3時間15分です。この時差に合わせて就寝時間を早くし、早朝に起床しています。起床後はスクワット、腕立て伏せ、腹筋などの筋トレやストレッチをしています。

 また、現地の食事は炭水化物が多いので、炭水化物を控えめにするようにしています。
 ◇急速に改善
 ――ネパールの医療レベルはどうですか。医療教育の交流は、どのような形で行われているのですか。

 JICAプロジェクトでは、眼科医教育、眼科助手教育、看護師教育、ボランティア教育などを行いました。

 国立トリブバン大学付属病院眼科では、若手医師の教育、特に網膜のフェローシップを立ち上げ、専門教育などを行っています。

 徳島大学医学部とトリブバン大学医学部の交流事業では、徳島大学でのネパール人医学部教員研修や徳島大学医学部生のネパールでの眼科臨床実習を行っています。この臨床実習は、徳島大学医学部で単位認定されています。

 ネパールの医療レベルは近年、急速に改善していると思います。トリブバン大学付属病院は日本の援助で建設され、その後も医療器材の投入なども行われています。眼科は日本と同レベルの高い診療ができています。
 ◇アフリカでも
 ――ネパール以外の国々へも活動の幅を広げていますね。

 06年に駐日モザンビーク共和国大使と面談する機会があり、モザンビークでの眼科医療支援を要請されました。

 07年に現地視察を行い、人口約2500万人に対して、眼科医が15人程度という、極めて過酷な状況であることを知りました。ちょうど1984年当時のネパールと同じ状況であり、アイキャンプを計画しました。

 現地での活動を行うに当たって、活動団体の存在が不可欠となり、「アフリカ眼科医療を支援する会(AOSA=Association for Ophthalmic Support in Africa)」を設立しました。

 モザンビークでは2008年から毎年、医療活動を行っています。現地の眼科医の技術指導をしながら、現在までに約1800の白内障手術を行いました。
◇徐々に彼らだけで
 ――1800はすごいですね。

 11年からはエジプトに4回渡航し、徳島大学に留学したエジプトのソハーグ大学の眼科医たちを現地指導しています。

 エジプトでは、網膜硝子体手術ができる医師はカイロなどの大都市に集中し、ソハーグのようなエジプト南部では、網膜硝子体手術のできる眼科医は極めて少なく、非常に困難な状況です。

 そこで現地で技術指導することとなりました。私の現地滞在中には毎日10例程度の硝子体手術を行い、技術指導しました。

 最初の頃は、ほとんどの症例を私が手術しましたが、徐々に彼らだけで手術できるようになりました。

 ――現地の医療発展に大いに貢献されたのですね。

 硝子体手術件数の増加に伴い、病院の収益も増加し、新たに手術機器を購入して、設備を充実することができました。

 今では、エジプト南部で網膜硝子体手術ができる病院として、貴重な存在となってきています。徳島大学で勉強した後、学んだことを生かして、母国で精力的に働いているのを見るのは誠にうれしいことです。

 先日は、初めてザンビアに行きました。現地の医療状況の視察のためで、今後、現地の方々と相談し支援を行う予定です。
 ◇ベース演奏も「すご腕」
 ――先生が医師になり、眼科を選ばれた理由をお聞かせください。

 もともと、カメラや天体望遠鏡などの光学器械が好きで、映像に興味がありました。眼はカメラとよく似た構造なので、特に興味が湧きました。

 ――先生はベーシストでもいらっしゃいますね。学生時代からですか。ネパールでライブ活動はやりましたか。

 中学生時代にオーケストラ部に入り、初めてベースを弾きました。本格的にベース奏法を勉強したのは、徳島大学入学後にオーケストラ部に入部してからです。

 その時期から、当時の大阪フィルハーモニー交響楽団の首席奏者に師事し、レッスンに通って勉強しました。現在は徳島交響楽団に所属しています。

 ネパールでは、ベースが見つからなかったので、インドの弦楽器のシタールを習いに教室へ通っていました。ネパールでのライブの経験はありません。

 ――国際的なベーシストの安カ川大樹さんから、内藤先生は「すごい腕前」とお聞きしました。

 クラシックでは、徳島交響楽団の演奏会が年に3回程度あります。ジャズは徳島ジャズストリートというジャズフェスティバルに年2回出演しています。行きつけのライブハウスのセッションにも参加しています。

 ――本日はお忙しい中、ありがとうございました。後進の医師の教育を行い、医療の恩恵の少ない地域で支援を続ける素晴らしい活動のお話。お聞きするうちに、エネルギーをもらったような気がしました。
 内藤 毅(ないとう・たけし)
 1981年徳島大学医学部医学科卒、同学部付属病院眼科医員。同学部眼科助手などを経て、84年ネパール・トリブバン大学講師。88年徳島大学医学部眼科講師となり、文部省在外研究員として米カリフォルニア大学サンフランシスコ校・プロクター眼研究所へ留学。徳島大学医学部眼科助教授、同大学大学院ヘルスバイオサイエンス研究部眼科学分野准教授を経て、2015年から徳島大学特任教授。専門は網膜硝子体疾患、硝子体手術、眼感染症。

 海原 純子(うみはら・じゅんこ)
 東京慈恵会医科大学卒業。医学博士、心療内科医、産業医。日本医科大学・特任教授。ハーバード大学・客員研究員(2008~10年)。近著に「男はなぜこんなに苦しいのか」(朝日新書)、「今日一日がちいさな一生」(あさ出版)、「こんなふうに生きればいいにゃん」(海竜社)。20年間休止していた歌手活動を1999年より再開。

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