2019年9月10日火曜日

上昌広「絶望の医療 希望の医療」 福島医大、被災地から医師“吸い上げ”医師不足発生…元病院長、製薬企業から多額報酬

Source:https://biz-journal.jp/2019/09/post_117303.html
2019.09.08、GOOGLEニュースより
 連載
文=上昌広/特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長

福島県立医科大学病院(「wikipedia」より/Kozo)
 私が主宰するNPO法人医療ガバナンス研究所のスタッフに樋口朝霞さんという女性がいる。看護師資格を有する研究者だ。樋口さんはネパールとの共同研究を続けている。最近、英医学誌「BMJ Open」に研究成果を発表した。この研究は、2015年4月に発生したネパール大地震(マグニチュード7.8)が、首都カトマンズのがん医療に与えた影響を調べたものだ。震災前後2年間のトリブバン大学教育病院に入院した患者の記録を調査した。

 結果は意外だった。震災後1カ月はがん患者の入院は減少するものの、2カ月目からは増加に転じ、被害が軽微な遠隔地の地方都市からの患者が目立った。ネパール大震災は首都カトマンズの北西77キロの地下15キロの地点を震源とする直下型地震だ。カトマンズ周辺は大きな被害を蒙った。ネパール政府によると、死者8,460人、負傷者は2万人以上だ。経済損失は50億ドルと推定され、前年のネパールのGDPのおよそ4分の1だ。

 世界各国が支援に入った。日本からは自衛隊および国際協力機構(JICA)が派遣された。資金面でも10億円規模の緊急無償資金協力がなされた。アジア開発銀行は300万ドルの緊急支援を無償提供し、さらに復興費用として2億ドルを拠出した。ネパールの復興を世界中が支援した。

 なぜ、カトマンズの被害が著しい病院に、被災しなかった地方からがん患者が押し寄せたのだろう。私は、その理由を想像することができなかった。樋口さんの見方は面白い。彼女は「大災害で医師や看護師の偏在が悪化したためです」という。どういうことだろうか。彼女の説明は以下だ。

 今回の地震はネパールの首都を直撃した。ネパール政府は1日も早く首都を復旧させるべく大量の資金と人材を投下した。世界各国も支援した。災害復旧の一つの柱が医療の充実だ。災害により医療需要は高まり、もたもたしていると、多くの命を失ってしまう。政権の支持率にも影響する。5月3日、AFP通信は『ネパール地震の救援物資、「お役所仕事」で輸送遅れる』という記事を配信している。同様の批判は他からも出ており、4月29日にスシル・コイララ首相が日本の支援に感謝するために表敬訪問に訪れた際には、市民に囲まれ引き返さざるを得なかった。
ネパール政府は必死に対応しただろう。医療では、さまざまな施策を用いてカトマンズに医師を集めたはずだ。供給先は被災しなかった地方都市だ。ネパールの医師は少ない。人口1,000人あたり0.17人で、わが国(2.34人)の約14分の1だ。多くの医師はカトマンズに集まっているから、わずかの医師が地方から移動するだけで、「無医村」になってしまう。この結果、患者は車で10~20時間もかかる首都の病院に押し寄せざるを得なくなった。

 こんなことが起こるとは、私は想像だにできなかった。樋口さんは何度もネパールを訪問し、現場の一次情報を持っているからこそ、このような分析ができたのだろう。彼女は、「この問題についてさらに研究を進めたい」という。

 彼女たちの論文は示唆に富む。災害からの復興対策が、「予期せぬ副作用」をもたらすのはネパールに限った話ではないかもしれない。

 私たちのチームは東日本大震災以降、福島県浜通りの医療支援を続けている。落ち着いて考えれば、福島でもネパールと同様の事態が起こっている。災害復興を考える上で教訓となるため、本稿でご紹介したい。

「見捨てられた」住民たち
 7月26日、自民・公明両党は2021年度末で設置期限を迎える復興庁を、現行の首相直属の機関として当面継続するように提言をまとめた。一時期、内閣府の外局への配置案などが議論されたが、これで格下げが回避された。福島では大きく報じられ、地元は歓迎している。このようなニュースを聞くと、政府が全力を尽くして福島を支援しているように見える。福島県も、政府と協力して復興に努めるという主張を繰り返している。

 ところが、我々が現場で見る光景は違う。政府や福島県の主張を真に受ける住民はほとんどいない。我々が専門とする医療では「原発事故をネタに福島県立医科大学(福島医大)が焼け太っただけ」と批判する者もいる。どういうことだろうか。

 これは被災地の医師数の推移を見れば一目瞭然だ。厚労省の医師・歯科医師・薬剤師調査によれば、震災前の2010年12月末の福島県内の医療施設に従事する医師は3,705人だった。人口10万人あたり183人で、全国平均の219人(2010年末現在)を大きく下回る。

 震災後はどうなっただろう。復興事業が重点的に行われたのは震災後の数年間だ。2014年12月末の県内の医師数は3,653人、人口10万人あたり189人だった。震災前から医師数は52人減少し、人口当たりの医師数は横ばいだった。

東日本大震災により住民も医師も福島県を離れたことがわかる。ただ、これはやむを得ない。政府・福島県がいかに努力しようが、自らの意志で福島を去る人を翻意させることはできないからだ。なぜ、浜通りの住民は「見捨てられた」と感じるのだろうか。

 それは、実際の被災地である浜通りで医師が激減したからだ。浜通り北部で相馬市や南相馬市が含まれる相双二次医療圏の医師数は2010年の236人から2014年の153人へと83人も減った。人口10万人あたりの医師数は120人から86人となった。相双地区の一部は原発事故により居住不能となったため、多くの住民が避難した。ただ、それ以上に医師が相双地区を離れたことになる。

 では、離れた医師はどこにいったのだろうか。それは福島市だ。福島市を含む県北二次医療圏の医師数は1,228人から1,268人に40人も増加していた。福島県内の最大の医療機関は福島市内に存在する福島医大だ。福島医大に限定すれば、979人から1029人へ50人も増えている。

 この増加は異様だ。福島県全体の医師は52人減だから、県外から入ってきたわけではない。周辺地域、特に相双地区から「吸い寄せた」ことになる。浜通りの人々が憤るのも仕方ない。政府・福島県・医療業界が一体となって被災地を支援した結果がこれだ。なぜ、こんなことになるのだろうか。

行政機構が抱える根源的な問題
 この現象は、医療行政の構造的問題を反映している。改めていうまでもないが、日本は医師不足だ。日本全体で医師数が足りない以上、必ず不足する地域は生じる。偏在は避けられない。厚生労働省は都道府県や大学医局と連携して、医師を計画的に配置することで、医師の偏在を是正しようとしている。専門医制度や地域枠入試など、その一環だ。ところが、その実効性に関しては十分な検証がなされていない。

 災害など突発的な問題に対応するなら、医師の総数を増やし、普段はあまり働かない「予備役」をつくっておくのが賢明だ。世界各地の軍隊は、このような方法をとっているが、日本では財政的な制約や日本医師会の抵抗などがあり、とっていない。大災害が生じれば、どこかで働いている医師を辞めさせて、必要とされる地域に派遣するしかない。

 その際に注目すべきは、誰が「司令塔」になるかだ。読者の皆さんは国が責任を持って対応すべきとお考えだろうが、神ならぬ厚労官僚に医師数を適正に配置することなどできないし、国・都道府県・市町村という三層構造を取る行政システムで、厚労省がやれることには限界がある。原発事故で汚染された地域の処理など大規模事業は国が直轄するが、多くの事業は都道府県内や市町村が担う。国の仕事は彼らに予算をつけることだ。

 医療行政においても都道府県の権限が大きい。福島県の医療は県庁と福島医大が差配する。政府は、福島県と福島医大に莫大な予算をつけて応援した。2012年度の福島医大の経常収益は約364億円だが、このうち132億円(36%)は補助金(運営費交付金を含む)や国・福島県からの委託事業だ。この金額は2017年度には164億円に増加している。

 このカネは何に使われたのだろう。まずはハコモノだ。ネットで「福島医大」と「工事」で検索すると、「福島県立医大付属病院みらい棟」「ふくしま国際医療科学センター」「福島県立医大保健科学部新築」などのキーワードがヒットする。ハコモノにはポジションが与えられる。福島医大の職員は2013年度の1,222人から、2017年度には2,418人に増加した。教員は516人から717人だ。このなかの多くが医師だろう。

 彼らのタスクのメインは「研究」だ。例えば、被曝の影響を研究する福島県民健康管理調査など、その典型だ。被災地は医療を求めているのに、福島医大がやっているのは研究ということになる。被災者から「我々はモルモットか」と非難が集中するのも無理はない。

 福島医大では同様の復興事業プロジェクトが林立し、特任教授などのポジションが設けられた。福島県内の医師が任命され、福島市内で医師が激増した。

 これが行政主導の医師偏在対策の実態だ。国は県に、県は地元の大学に丸投げする。予算がついた大学は自らがやりたいことを推し進める。医師は人事権を行使しやすい医局員を異動させて確保する。こうやって大学の医師が増え、地方の医師が減るという本末転倒な結果が生じる。このあたりネパールで起こったことと似ている。行政機構が抱える根源的な問題なのだろう。

バイトに明け暮れるトップ
 大学医局の常だが、トップには誰も逆らえない。桁違いの予算がつけば、容易に腐敗する。「福島医大のドン」と称されるのは菊地臣一氏だ。2008年から16年まで理事長を務めた整形外科医で、現在も「常任顧問」で大学に残っている。

 この人物の所業が頂けない。ワセダクロニクルと我々が立ち上げた製薬マネーデータベースを用いて検索したところ、2016年度に製薬企業から依頼された講演会などを29件こなし、394万円を受け取っていた。復興をリードする福島医大のトップが、毎月2回以上、製薬企業でアルバイトしていた。移動時間も含めれば、膨大な時間を費やしていたことになる。このような振る舞いは菊地氏に限った話ではない。病院長を務めていた紺野愼一・整形外科主任教授も同年に55件の講演などをこなし、537万円の報酬を得ていた。

 なぜ、彼らは製薬企業のアルバイトに明け暮れることができるのだろう。それは整形外科が大勢の医局員を抱えているからだ。助教以上の常勤医は25人、うち7名は教授だ。ちなみに、相双地区の中核病院である公立相馬総合病院と南相馬市立総合病院の整形外科には常勤医は一人しかいない。

 こんなことがまかり通るのだから、組織は緩む。不祥事が起こらないはずがない。総合情報誌「選択」は8月号で『福島県立医大で重大医療事故 厚労省が問題視する「組織的隠蔽」』という記事を掲載した。私のところにも、後述する第三者委員会の報告書が回ってきたので、この件を調べてみた。そして、あまりのいい加減さに驚いた。

 医療事故とは、2015年末に整形外科で手術を受けた患者が、四肢麻痺を起こしたものだ。病院側は過失を認めず、訴訟となった。手術後に後遺症が残るのはよくある話だが、その後の福島医大の対応に問題があった。事故後50日間も院内調査を行わず、日本医療機能評価機構にも報告しなかった。

 患者が証拠保全を申請した後に立ち上げた院内の事故調査委員会もお手盛りだった。医療安全管理部長は当事者である整形外科の医局員で、紺野主任教授も病院長として参加していた。そして、報告書は、直接原因は不明だが、手術手技の影響は考えにくく、患者への説明も問題ないと結論した。これでは、組織ぐるみの隠蔽と言われても仕方ない。患者は福島地裁に民事訴訟を提起した。

 福島医大も危機感を抱いたのか、今年1月に外部委員による第三者委員会を設置し、2月に日本医療機能評価機構に報告した。6月にまとまった第三者委員会の報告書では福島医大の対応は厳しく批判され、厚労省は処分を検討しているという。この件が表にでたのは、被害者の兄が医師だからだ。おそらく氷山の一角だろう。問題の根は深い。

 以上、ネパールと福島の震災復興で起こった本末転倒な話をご紹介した。両者に共通するのは政府による統制だ。災害弱者が見捨てられ、提供者サイドの都合が優先される。その結果、利権と腐敗が生じる。

 大災害が起こると、政府のリーダーシップを求める声が挙がる。もちろん、政府は災害復旧における中心プレーヤーだ。ただ、彼らの行いをチェックし、どうすれば被災者サイドに立ったサポートができるか検討しなければならない。ネパールおよび福島の経験が、その一助になれば幸いである。

(文=上昌広/特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長)

●上昌広(かみまさひろ)

1993年東大医学部卒。1999年同大学院修了。医学博士。 虎の門病院、国立がんセンターにて造血器悪性腫瘍の診療・研究に従事。

2005年より東大医科研探索医療ヒューマンネットワークシステム(後に先端医療社会コミュニケーションシステム)を主宰し医療ガバナンスを研究。 2016年3月退職。4月より現職。星槎大学共生科学部客員教授、周産期医療の崩壊をくい止める会事務局長、現場からの医療改革推進協議会事務局長を務める。

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