2019年9月2日月曜日

特集】令和のジャパニーズドリーム ネパール 特定技能制度導入で広がる日本熱

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190822-00010000-ytv-soci
8/22(木) 、ヤフーニュースより
カトマンズの学生街に溢れる日本語教室の看板
日本から西に5000キロ。アジアの内陸国、ネパールは仏教とヒンズー教による独自の文化を持っています。ヒマラヤが見下ろす首都カトマンズを訪れてみると意外な光景が広がっていました。学生街バグバザールには様々な店が軒を連ねていますが、中でも多いのが日本語教室。数メートルごとに「JAPAN」や「日本語」の看板が続き、中にはフロアごとに違う日本語教室が入ったビルもありました。
早朝6時から始まっているという授業をのぞいてみると…狭い部屋に学生がひしめき合うような状態で日本語の勉強が行われていました。机がない生徒は、教科書を膝の上に置いてメモを取っています。(中には、教科書を持っていない人も)クーラーのない室内には扇風機が一つ回るだけですが、みな真剣に先生の日本語に耳を傾けます。
いったい彼らはなぜ、日本語を学ぶのか。学生たちから返ってきた答えは一つ。「日本デハタラキタイカラ」でした。
「特定技能」労働者とは?
カトマンズポストという地元紙の図書室で係の人が見せてくれたのは去年12月26日付の英語版の記事でした。

「日本がネパールの労働者をブルーカラー(=労働者)用の新しいビザで受け入れる」と書かれています。

このニュースが若者たちを日本語教室に駆り立てたのだそうです。ところで私たちの周りには、今もネパールから来た人をコンビニなどで見かけますが、いったい何が違うのでしょうか?料理店で働くネパール人のような「専門職」を除くと、昨今日本で働く外国人労働者には大きく2つのカテゴリーがあります。1つは「留学生」で、日本語学校などで勉強しながら週に28時間の労働が許されています。私たちがコンビニで出会う外国人の多くは留学生です。
もう1つは「技能実習生」で、日本の技術を学ぶために外国からやってきた人たちです。工場や農家、建設現場などで働く姿は、もはや当たり前になりました。
しかし、去年12月のカトマンズポストが伝えているのはその2つではない新たな資格、「特定技能」です。介護や外食産業、農業などの14職種でこれまで日本が認めてこなかった「単純労働」のための来日を認め、一部の労働者には家族を呼び寄せた永住への道も開かれています。野党が「事実上の移民政策」と批判する中、去年12月に国会で可決され、ことし4月に施行されました。
日本とは違って若者の人口が多いネパールでは国内に十分な就業先がなく、平均月収も日本円で1万8000円程度です。その10倍程度の金を稼ぐことができる日本で創設された新しいビザは、この国の若者にとって大きな意味を持っているのです。
令和日本のジャパニーズドリームを目指す若者たち
早朝のカトマンズ郊外に響く、聞き覚えのある音楽。その元をたどってみると、お揃いのジャージーを着て朝礼に臨む若者たちがいました。赤と白の“日の丸カラー”の上着の背中には「ネパール人材開発株式会社」と書かれています。

「きょう一日、朗らかに、安らかに、喜んで、進んで働きます!」と唱和。

ここは語学学校ではなく、優秀な労働者を日本に送り出すために作られた人材育成機関。全寮制で集団生活を送りながら日本のマナーや職業の専門知識、出入国管理法などを学んでいます。ユニークだったのは、「うん」と「ううん」の使い分けのレッスン。首をタテに振りながら「うん」と言えば肯定、ヨコに振りながら「ううん」と言えば否定。日本人にとっては当たり前のことでも、外国人にとっては違います。こうした違いを学ぶことで、日本に行った後で戸惑わないようにするのだそうです。この教育機関を作ったサキャ・アノジュさん(47)は語ります。

「ネパールにいるときのネパール人と日本に行ってからのネパール人は全然違う。なんで日本に行くと日本の社会秩序やルールを守らないでいい加減なことをするんだと思って。このまま『特定技能だ、就労できる!』

となったら社会問題になってくる。それは、教育で変えていくしかないと思いますね」(サキャ・アノジュさん)
サキャさんの教え子は現在およそ40人。そのうちの一人、スレシュタ・ザビトリさん(20)のノートは、平仮名とカタカナの例文がビッチリと書かれていました。日本語を学び始めて8か月というスレシュタさんは、日本で農業をしたいという希望を持っています。将来日本で働く人々は、どこからやってくるのか?私たちは、彼女の故郷を訪ねることにしました。
日本で働く若者はどこからくるのか?
私たちを乗せた小型機はカトマンズの空港を飛び立ち、スレシュタさんの故郷ジャパ郡へと向かいました。バスで12時間の距離も、飛行機で飛べば1時間ほど。窓の外に広がる8000メートル級の山々は、飛行機初体験のスレシュタさんにとっても初めて見る光景でした。
インドと国境を接するジャパ郡の飛行場から、さらに車を飛ばすこと1時間。田んぼの合間にポツポツと家が点在するサヌバラガリ村が彼女の故郷です。スレシュタさんは三人姉妹の長女。農業を生業とする父親は、中東やシンガポールで出稼ぎをして家計を支えてきました。この村から日本に働きに出た女性がお金を稼いだだけでなく礼儀やマナーを身に着けて帰ってきたのを見て、娘の日本行きを応援することにしたそうです。
まだ「特定技能」の資格を取ったわけでも就職が決まったわけではありませんが、日本語を学んで日本に行くことを決めたスレシュタさんにかけられた期待の大きさを感じました。
日本語はもう古い?ネパールの韓国語熱
再びカトマンズのバグバザールに行くと、驚くべき光景を目にしました。模擬試験が終わったばかりのようで、狭い路地のあちこちで若者たちが答え合わせをしています。道の真ん中だろうと商店の前だろうとお構いなしに一心不乱に自己採点をする若者たち。話を聞いてみると「チョヌン、ネパールサラム イムニダ!」との答え。彼らが勉強しているのは韓国語でした。
実は韓国もネパール人にとって人気の“就職国”です。韓国政府はEPS(労働許可制度)に基づいて定期的にネパールの労働者として受け入れているのです。最低賃金法や保険制度も準備されていて若者の人気は高く、ことしは1万人の募集に9万2000人の受験者が殺到しました。カトマンズの空港では韓国とネパールの旗をあしらった揃いの赤い帽子をかぶり、意気揚々と飛行機に乗り込んでいく若者を目にすることがあります。それは、EPSによって韓国に旅立つ人々。1日に1000人の若者が出稼ぎに出る国の現実です。

韓国語学習者の一人はこう語ります。
「韓国は以前から労働者を受け入れてきました。日本も募集をしたようですが、途中で止まっていてみんな不安に思っています。日本語を勉強する人は減っていると思います」(韓国語の学習者)
日本語学校AJISAIを経営するラビ・シュレスタさんはさらに詳しく教えてくれました。

「日本も韓国のように労働ビザで行けると決まったときに学生の人数は増えましたが、時間がかかるというニュースが流れてからはどこでも減っていますね」(日本語学校を経営するラビ・シュレスタさん)

どうなっている?ネパールの「特定技能」試験
特定技能の資格を取るためには、日本語能力検定4級程度の日本語力と、自分が目指す職種の専門知識を測るテストをクリアする必要があります。ことし4月からは日本国内やフィリピンで試験が始まりました。しかし、取材(ことし6月)の時点では試験の予定すら発表されていなかったのです。ネパール政府で「特定技能」を管轄する海外雇用局のビシュマ・ブサル局長に聞くとこんな答えが返ってきました。

「さる3月の覚書締結後、4月に試験が行われることを期待していました。しかし、日本側の準備で少し時間がかかりました。」(ビシュマ・ブサル 海外雇用局 局長)
ビシュマ局長は我々に、ネパールで最初の試験はことし10月末に「介護職」について行われることを教えてくれました。その結果を見て、他の分野に拡大する方針だといいます。
ネパールにおける「特定技能」は動き出していますがまだまだ時間がかかりそうです。(そもそも、日本政府は特定技能の資格は現在の技能実習生や元技能実習生からの移行組を主体として考えていて、試験による資格取得はまだ仕組みが十分に整っていないのです。)

実は日本への留学経験のあるビシュマ局長は、それでも日本への労働者派遣に期待を寄せます。

「ネパールの若者が日本で働き、文化や習慣についても学んでくることを期待しています。」(ビシュマ・ブサル海外雇用局 局長)
長期的なビジョンで日本行きを見据えた動きは、子供たちの間にも広がっていました。カトマンズの私立学校「チルドレンズモデル ハイスクール」。すべての授業を英語で行うこの学校では、ことしから日本語の授業も開始しました。長野県の高校と提携した留学制度も始まっていて、将来は日本語を完璧に話すことのできる人材を育成することになりそうです。
日本語を学ぶ生徒の一人、プラティマ・ギミレさんはこう話します。

「日本は私の夢の国です。日本の文化や価値観、時間を守る習慣などを学んでみたいと思います。」(プラティマ・ギミレさん)

こうした考えは、様々なところで耳にしました。日本で働いたり学んだりするということは単に金を稼げるということではなく、「時間を守る」とか「マナーを守る」といった習慣をネパールに持ち帰るという考え方です。

日本政府は特定技能資格による外国人労働者の数を今後5年で最大34万5150人と見込んでいます。その一人一人が、言葉も文化も違う国から、それぞれの夢を抱えてやってくる若者たちです。
ネパール人材開発株式会社のサキャ・アノジュさんは、「令和」と書かれたシャツを指さしながらこう語ります。

「平成が終わり、令和に入りまして、日本は外国人との共生社会実現に向けて変わろうとしています。安全で幸せに暮らせる社会を願って、心がある、ハートがある人間を送り出したいと思っています。」(サキャ・アノジュさん)

ヒマラヤの国の若者たちが胸に抱いたジャパニーズドリーム。私たちの社会は、それをどう受け止めるのでしょうか?
読売テレビ「ウェークアップ!ぷらす」

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