2018年5月31日木曜日

危急種インドサイの赤ちゃん誕生、3週間で一気に成長

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180525-00010001-nknatiogeo-int

5/25(金) 、ヤフーニュースより


好奇心が強く、冒険好きで、手に負えない
 英国のチェスター動物園で、インドサイの赤ちゃんが生まれた。飼育係によれば、すでに性格のようなものが形成されつつあるという。

 哺乳類の飼育責任者ティム・ローランズ氏は「彼は生まれてすぐ、自信に満ちた若者になりそうな雰囲気を醸し出していました。とても好奇心が強く、冒険好きで、“手に負えない”という表現がぴったりです」と話す。

 名前はまだ決まっておらず、今後、性格を考慮して命名される予定だ。
20世紀には絶滅寸前に
 このサイは5月3日、アシャという母親から生まれた。誕生時の体重は約60キロもあり、おとなになったら2トンを超える可能性が高い。インドサイは角が1本しかなく、ユニコーンにちなんで「ライノセロス・ウニコルニス(Rhinoceros unicornis)」という学名が付いている。よろいのような分厚い皮膚も特徴のひとつだ。

 生まれたての赤ん坊が立ち上がり、よろめきながら歩く様子がカメラに収められているが、1カ月足らずで急激に成長し、動画では、母親のすぐ後ろを弾むように走り回っている。アシャはこれから1年半にわたって子育てし、その後、単独行動に戻る。

 飼育係たちはインドサイの個体数増加に貢献できるかもしれないと喜んでいる。インドサイは国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで、絶滅の恐れがある「危急種(VU)」に指定されている。野生のインドサイを脅かしているのは、角を売って大きな利益を得ようともくろむ密猟者たちだ。インド北西部では、本来の生息地も失われつつある。

「今回生まれた子供が野生に戻される可能性は低いですが、絶滅危惧種の繁殖プログラムで重要な役割を担ってほしいと思っています」とローランズ氏は話す。チェスター動物園は「ヨーロッパ絶滅危惧種プログラム(EEP)」に参加している。動物園や水族館が絶滅の危機にある種を繁殖目的で貸与や交換、譲渡するためのシステムだ。今回生まれた子供も9歳になって成熟したら、ヨーロッパの別の動物園に移動する可能性が高い。

「野生の個体を脅かしている問題に対策が施され、安全な生息環境を確保できるようになれば、未来の世代が(野生に)戻る可能性はもちろんあります」

 インドサイは今も絶滅の危機にあるが、ここに至るまでの復活劇は動物保護におけるサクセスストーリーと考えられている。20世紀末、インドサイは200頭以下に減少し、絶滅寸前まで追い込まれた。世界自然保護基金(WWF)によれば、現在、3500余りの個体が確認されているという。インドとネパールの政府が保護活動に力を入れ始めたことが大きい。
インドサイだけではない
 密猟や生息地の破壊という差し迫った脅威にさらされているサイはインドサイだけではない。3月には、キタシロサイが最後の雄を失ってしまった。現在、2頭の雌しか残されておらず、保護活動家たちは100万ドル(約1億円)をかけて人工授精技術を開発し、新しい個体を誕生させようと必死に努力している。

 5月に入り、米サンディエゴ動物園の科学者チームがミナミシロサイの人工授精を成功させた。まだ道のりは長いが、チャレンジしてみる価値はありそうだ。
文=Sarah Gibbens/訳=米井香織

政府の無策でネパール大地震の被災者にのしかかる「借金地獄」

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180523-00021128-forbes-int
5/23(水) 、ヤフーニュースより

約9000人が犠牲者となったネパール大地震から3年が過ぎ、現地では貧困による「人身売買」が広がっているのだが、自国のみならず、被害者女性たちの多くが連れて行かれるインドでも、政府は「人身売買の撲滅」を訴え、取り締まりの強化をアピールしている。

とはいえ、それでも「人身売買」がいっこうに減る傾向にないのは、それだけ原因となっている貧困が深刻化していることでもある。

言うまでもなく、その背景にはネパール政府の無策さがある。大地震から3年を経て、ようやく住宅再建も本格的に動き出したように見えるが、工事のために高利貸しからの借金を強いられた人たちも多く、さらなる重圧が被災者たちにのしかかっている。

ネパール政府が「復興」を声高に言う一方で、その足元はもろく、放置すれば足場が崩壊するのは必至なのが実情だ。

支援金を得るために高利貸しから借金

地震の最大被災地であるシンドパルチョーク県の県都チャウタラへは、首都カトマンズから車で3時間以上、山道を走らなくてはならない。ネパールには車の通れるトンネルはなく、道路は急峻な山道を縫うように通っている。舗装のない道路では、大きな揺れの連続で何度も座席からひっくり返りそうになるほどだ。

ようやくたどり着いたチャウタラ近郊の集落では、あちこちで家の再建作業が進んでいた。集落にあるのは47世帯。とりまとめ役のトク・スレスタさん(48)によると、地震で全世帯の家が倒壊し、2人が死亡したという。

政府の援助が届かず、昨年夏までは住宅再建は手つかずだったが、その後から一気にペースが進んだ。「何軒かがまとまって共同で建築資材を購入し、安く仕入れることができるようになった。専門知識のある石工も指導してくれている」スレスタさんはそう話し、雨期の始まる7月までに再建が完了することに自信を見せた。
 
集落の世帯をグループ化するとともに、石工を養成して再建の指導に当たらせるといった取り組みは、国際協力機構(JICA)の支援で行われている。支援の対象地区では、再建の着工率が8割を超えた。

だが、そうした「モデル地区」でも、住民の不安は消えていない。集落に住む50代の男性は、住宅再建の費用として20万ルピー(約20万円)を借りた。利子は30%。男性の月収が約3000ルピーであることを考えれば、それがいかに無謀な借金であるかがわかるだろう。
不安をさらに煽る悪質な銀行員の存在も
「再建にかかるカネが足りなかった」というのが借金の理由だが、高利貸しに頼る以外、方法はなかったのだろうか。実は、ネパール政府は民間銀行などに対し、住宅再建費用には2%の低利子で融資するよう指導している。だが、実際はほとんど機能していない。「返済能力」をタテに融資を断るケースが相次ぎ、なかには借り手に賄賂を要求してくる悪質な銀行員もいる。
 
ネパール政府は、被災した家屋を再建するため、1戸あたり30万ルピーの支援金を用意している。これは、ネパールでは小さな一軒家を建てるのに相当する費用だ。

支援金は一度には支給されず、3段階に分けて手渡される。1段階目は書類審査で「(書類を)出せば誰でももらえる」(地元記者)というもの。ここで支給されるのは5万ルピーだ。2段階目は、家の基礎部分が建てられたら15万ルピー、3段階目は、屋根を掲げる段階になれば10万ルピーという案配だ。
 
「段階ごとのチェックをして、耐震性のある住宅を再建する」というのが政府の弁だ。しかし、実際には最初の5万ルピーは生活費に消え、さらに15万ルピーを得るため、それよりも多い金額を高利貸しから借り、建築資材を買うという現象が起きている。

今年7月が2段階目の申請締め切りのため、多くの人が借金をして期限に間に合わせようとし、それによって建築資材の値上がりも起きているというから、まさに悪循環だ。

再建に着手できていないのは21万戸

ネパール政府による統計では、地震によって倒壊した建物は約79万戸。今年4月現在で、このうち約69万戸が1段階目の支援を受け、2段階目まで進んだのは約32万戸、3段階目までになると約9万戸に減っていく。

実際に再建に着手できていない家屋は、統計では約21万戸にのぼっている。7月に向けて、これらの数字は大きく変化することが予想されるが、その背景に借金まみれの構図があれば、けっして「復興が進んでいる」とは言えないだろう。

ネパールでは昨年12月に新憲法の下で初めての総選挙が行われ、野党統一共産党(UML)などの左派連合が勝利し、今年2月には新首相が就任した。大地震後、実に5回目の首相交代となる。新憲法では、2年間は首相の交代ができないことになっており、政府当局者は「これで安定した政治状況のもとで、復興のスピードアップを図れる」と自信をみせた。

選挙前には行政機能がストップし、シンドパルチョーク県などの山間部ではまったく機能していなかったと言っていい。それだけに新政権に対する期待も多いが、貧困層にのしかかる借金は、いずれネパール社会では大きな問題となることは間違いない。

連載 : South Asia Report
佐藤 大介

2018年5月23日水曜日

ネパールは自らの国情にあった国家建設を=外交部

Source: http://japanese.cri.cn/20180518/4608e51f-419b-cde4-c81b-1f96cbfeeea9.html
2018-05-18、GOOGLEニュースより

   外交部の陸慷報道官は18日の定例記者会見で、「ネパール両党の合併を歓迎し、ネパールが早期に国家の発展目標を実現できるよう祈念する」との政府のスタンスを示しました。
 報道によりますと、ネパールの統一共産党(UML)と共産党毛沢東主義派(毛派)が17日、合併して新たにネパール共産党になったということです。陸報道官はこの報道に関する質問に答え、「ネパールの良き隣人および友人として、同国が自ら自国の国情に適した社会制度と発展の道筋を選択することを支持し、両党の合併を歓迎する。中国側は引き続きネパールと互恵協力を深化させ、両国及び国民の幸福の為に努めていきたい」と述べました。(怡康、む)

2018年5月22日火曜日

ホテル業界は歓迎 実習から就労、「双方に利益」

Source: https://www.nishinippon.co.jp/feature/new_immigration_age/article/418038/
 政府が検討する外国人受け入れの拡大策は、人手不足にあえぐ業界にとっては朗報となりそうだ。中でも訪日外国人客の急増に沸くホテル業界は、既に熱い視線を送っている。留学生についても就労手続きの簡素化が盛り込まれ、留学から就労への門戸も広がる。
 外国人旅行者の姿が目立つ那覇市の繁華街、国際通り。ホテルパームロイヤルNAHAで働くネパール出身のサントシュ・パウデルさん(35)は日本語と英語を使いこなし、フロント業務を担う。「給料もボーナスも日本人と同じ。働くのが楽しい」と胸を張った。
 母国の大学を出て、沖縄県内の日本語学校に留学した。卒業後は語学力を生かし、正社員として採用された。ただし、ホテル側にとっては、採用時に入国管理局から理由書の追加提出を求められるなど、煩雑な就労手続きが必要だった。高倉直久総支配人は「手続きの簡素化はありがたい」と歓迎する。
 沖縄県内はホテルの建設ラッシュに沸く一方、人手不足が懸念され、技能実習への「宿泊業」の追加にも期待が膨らむ。「ホテル側は人材難を解消でき、実習生も日本の高品質なサービスを身に付け、帰国後も生かせる。双方に利益がある」と高倉総支配人はみる。
 ただ、サントシュさんのように恵まれた職場に巡り合えるとは限らない。受け入れ先によっては、賃金の未払いや過重労働を強いられるケースもある。
 昨年11月施行の技能実習適正化法では、受け入れ先を監督する「外国人技能実習機構」が新設され、人権侵害には罰則規定も設けられた。さらに政府は今後、外国人向けの支援を強化し「日本人と外国人が共生できる社会の実現」にも力を入れるとする。
 実習生の支援を続ける全統一労働組合(東京)の佐々木史朗書記長は「機構側の人員は限られ、監督態勢は整っていない」と指摘。「労働者としての権利を守り、教育、医療制度の整備など生活者としての支援も欠かせない」とセーフティーネットの整備を求めた。
=2018/05/20付 西日本新聞朝刊=

栗城史多さん、エベレストで死亡。事務所が発表「遺体となり発見されました」(UPDATE)

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180521-00010004-huffpost-int
5/21(月)、ヤフーニュースより
エベレストの山頂を目指していた、登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さん(35)が21日朝、エベレストのキャンプで亡くなっているのが見つかったと、ネパールの「ザ・ヒマラヤンタイムス」が報じた。ベースキャンプの担当者が電話で伝えたところによると、シェルパがキャンプで栗城さんが亡くなっているのを発見したという。死因は明らかになってない。

現地のメディア onlinekhabarによると、今回の登頂計画をサポートしている「ボチボチトレック」のマネージングディレクター、ティカラム・グルング氏の話として、栗城さんは、7200メートル付近のキャンプ3で亡くなっていたという。


栗城さんのFacebookによると、日本時間の午前10時ごろ、「栗城中継班」からのメッセージとして、栗城さんの体調悪化を理由に、7400m地点から下山することになったと伝えていた。
栗城さんは、2009年以降、エベレスト登頂に7度挑み続け、2012年には両手、両足、鼻が重度の凍傷になり、右手親指以外の両手9本の指の先を失う困難に直面しながらも、エベレストの頂を目指していた。

日本時間午前0時ごろの投稿では、「今は、このエベレストを苦しみも困難も感じ、感謝しながら、登ってます」などと、Facebookに投稿していた。
【UPDATE】事務所が死亡発表
栗城さんのFacebookで21日午後3時ごろ、以下のように死亡が発表された。
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栗城事務所の小林と申します。

このようなお知らせになり大変申し訳ございませんが、
エベレストで下山途中の栗城が遺体となり発見されました。

下山を始めた栗城が無線連絡に全く反応しなくなり、
暗い中で下から見て栗城のヘッドランプも見当たらないことから
キャンプ2近くの撮影隊が栗城のルートを登って捜索し、
先ほど低体温で息絶えた栗城を発見いたしました。

生きて帰ることを誓っておりましたのに、
このような結果になり大変申し訳ございません。

生きて帰るため執着しないと誓っておりましたのに、
最後に執着してしまったのかもしれません。

皆様へのご報告が遅くなりなりましたこと、
心よりお詫び申し上げます。

何m地点で発見されたかなど
これ以上の詳細が日本でわからず大変恐縮ですが、
またわかり次第お知らせ申し上げます。
錦光山雅子

グルカ兵は誰のために戦うのか?傭兵として海外に出るネパール人

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180521-00010001-wedge-life
5/21(月) 、ヤフーニュースより

カトマンズには語学学校とビザ取得代理店が雨後の筍のごとく
(2017.2.25~4.26 61日間 総費用13万2000円〈航空券含む〉)

 峠を越えてカトマンズの中心部に近づくと、やたらと語学学校とビザ取得代行の看板が目に付く。語学学校は英会話スクールが大半であるが、中には日本語・トルコ語・韓国語などもある。

 ビザとは就労ビザを指しているようで、“ヨーロッパで働こう”“日本での就労お任せください”みたいな英語のキャッチ・コピーが並んでいる。“ヨーロッパで働こう”の看板の下には“トルコ、ポーランドのビザ手配”とある。トルコやポーランドは外国人労働者にとりビザ取得が容易なのであろうか。

ネパール人の日本での就労ビザ手数料は100万円以上!?
 4月10日。ナガルコットの眺めの良いゲストハウスで相部屋になったのは70歳の元中華料理のコックのHさん。Hさんは仕事を辞めてから、ネパールに魅せられて毎年ネパールで数カ月過ごしている。

 Hさんは昵懇のネパール人男性Y氏の家で一週間過ごす計画という。Y氏が来て雑談していたらY氏は数カ月後に日本に出稼ぎに行くためにビザを申請中という。Y氏はがっしりした体格であり、日本ではネパール料理店でコックをするという。

 Y氏によるとエージェントに支払った金額は1万2000ドル(当時のレートで140万円相当)。しかし1万~1万5000ドルが日本の就労ビザの相場なので1万2000ドルは妥当らしい。どんな仕組みなのかY氏も知らないというが、べら棒に不当な裏金が動いているのだろうか。

 Y氏によると、日本で数年働けばネパールで立派なマンションが建てられるという。日本は彼らにとって“黄金の国ジパング”らしい。ちなみに2017年6月時点の日本政府統計では在日ネパール人は7万4000人。

 参考までに同時期の在日外国人は総計247万人である。多い順に並べると中国71万人、韓国45万人、フィリピン25万人、ベトナム23万人、ブラジル18万人である。やはりアジアが圧倒的に多い。
出稼ぎ大国のネパール
 カトマンズの宿屋のマネージャーが「ネパール人の10人に1人が外国で出稼ぎ労働者として働いている」と話していたことを思い出した。ネパールの日本大使館情報では2012年に新規出国した出稼ぎ労働者は36万人。同年度の出稼ぎ労働者による海外からの外貨送金はネパールのGDPの23%を占めるという。出稼ぎ労働者の送金が滞ると国家経済が破綻するという構図である。
 2017年時点でネパールの人口は2920万人で過去20年間に700万人も増加している。おそらく2017年の新規出国出稼ぎ労働者は50万人を越えているのではないか。1人平均5年海外に滞在していると仮定すれば、現時点で250万人以上が出稼ぎ労働者として海外に滞在している計算だ。10人に1人が出稼ぎ労働者という話はかなり事実に近いと思われる。

ナガルコットの日本人妻
 4月11日。ナガルコットはカトマンズから35キロ東に位置する山村。カトマンズからバスで数時間と近く、ヒマラヤ山脈の展望台として人気スポットだ。村外れの雑貨屋でお茶を飲んで30代半ばの主人と雑談。

 なんとナガルコットには日本人女性と結婚した男性が10人もいるとのこと。人口千人足らずの鄙びた山村に10人もの日本人妻がいることになる。主人の話によると夫婦ふたり日本で稼いで、貯めたお金でナガルコットに戻りゲストハウスやレストランを開業する夫婦が多いという。

 主人は日本女性と結婚した地元の男達は日本で大いに稼げて“果報者”だと盛んに羨ましがっていた。

グルカ兵のナイフ
 カトマンズ市街を歩いているとナイフの専門店が何軒もあることに気づいた。観光客向けのようだ。グルカ兵がナイフを持って格闘している看板が目を引く。グルカ兵が携帯するククリと呼ばれる戦闘用ナイフの専門店である。

 ある店で聞くと、現在でもネパール人青年が志願して英国陸軍で軍務に就いているという。おおよそ1万人くらいがグルカ兵として海外に出ているようだ。勇猛なグルカ兵は近代英国陸軍の先鋒部隊として知られている。

 ネパールの山岳地帯の建築現場で働いている労働者は、小柄であるが頑健そのもの。50キロくらいの資材を平気で担いで梯子を登っている。英国陸軍の給与がネパール国内労働者の平均賃金の10倍近いことから元気で優秀な若者が志願するという。また軍務を一定期間全うすれば英国市民権を与えられるという特典も魅力らしい。
究極の進路選択
 他の店ではグルカ兵が活躍している写真が展示されていた。第一次世界大戦や第二次世界大戦のグルカ兵の部隊写真からフォークランド紛争での出兵などが並んでいた。最近ではイラク戦争に出征した英国王室のハリー王子を囲んだ部隊写真があった。

 店の主人によると、最近ではマレーシア等でガードマンとして働く若者も多いという。さらには英国陸軍よりも給与が高い欧米の民間軍事会社と契約を結んで、イラクやアフガンで傭兵として危険な任務に従事するネパール人も多数いるようだ。

 平和な山村で貧困生活を送るか、危険な傭兵業務に従事して短期間で一攫千金を得るかという選択肢である。

他国民のために命を懸けて戦う傭兵とは
 世界の歴史を振り返れば傭兵はいつの時代でも存在した。ローマ時代の後半になると、ローマ市民からなる正規軍団は有名無実となり、周辺属国出身の傭兵部隊によりローマ帝国の版図を守った。中世では当時貧しかったスイス人の傭兵部隊が活躍。今でもバチカン市国の法王庁はスイス人衛兵が警護している。
 帝政ロシアではコサック騎兵軍団が組織され、日露戦争でも大日本帝国陸軍を悩ませた。現在でもコサックの末裔はロシア軍特殊部隊“スペツナズ”の中核を担っている。

 フランス外人部隊も上位指揮官だけがフランス人で下士官以下外国人という近代傭兵組織である。外人部隊は途上国からの志願者が大半であるが、ソ連崩壊直後はロシア・ウクライナ・東欧出身者が激増した。

 豊かな国が国益のために、他国の貧しい若者を傭兵として自国の軍隊に組織するということが歴史の法則のようだ。残念であるがネパールの若者に究極の選択を課している根本原因である経済格差は容易に解消されそうもない。
国連平和維持軍は現代の傭兵部隊なのか
 世界平和遺産のダージリン・トイ・レール(ダージリン鉄道)の急坂に設けられたループの中に軍人慰霊碑が立っている。1947年のインド独立後に世界各地でなくなった兵士を祀る慰霊碑のようだ。見たところ、150人近くの氏名が刻まれていた。

 ダージリン鉄道の隣席のインド人観光客の男性によると、パキスタンとの国境紛争を除けば大半の犠牲者は国連軍に参加して戦った兵士である。ローカル紙にはしばしば地元出身兵士が国連平和維持活動で亡くなった追悼記事が掲載される。国連平和維持活動での待遇(給与)が高いのでインド兵は率先して志願する。現在海外展開しているインド兵は一万人以上という。

 ちなみに国連平和維持活動に従事している将兵の出身国は、2014年時点でインド、パキスタン、バングラデッシュが上位三ヶ国。エチオピア、ナイジェリア等アフリカ諸国に続きネパールが7番目である。途上国出身兵が太宗を占めている。
米国海兵隊は経済大国日本の傭兵なのであろうか
 ネパールの若者のことを考えていたら、ふとアメリカ軍の志願兵の若者を思い出した(2017年3月20日掲載の『アメリカの貧しい若者の犠牲の上に平和を享受している日本』ご参照)。

 一朝有事があれば自衛隊だけで日本の国土及び国益を守ることは不可能だ。しかし大半の日本人は、米国に基地を提供して「思いやり予算」という金銭まで提供しているのだから、アメリカ軍が日本を守ることは当然と考えていないだろうか。

 これは米国海兵隊の若者を暗に日本の傭兵とみなしている傲慢な浅慮であると憂慮する。
高野凌 (定年バックパッカー)

大地震から3年、ネパールで広がる「人身売買」の闇

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180519-00021046-forbes-int
5/19(土) 

約9000人が犠牲となった2015年4月のネパール大地震から3年が過ぎた。

世界最高峰のエベレストを抱えるヒマラヤ山脈の麓として、トレッキングなど観光産業が順調な回復を遂げている一方で、被災者の中には、トタンでできた粗末な仮設住宅での暮らしをいまだに強いられている人も少なくない。

アジアでも最貧国のひとつに数えられるネパールを襲った地震は、ただでさえ脆弱なインフラに深刻な影響を与え、被害の大きかった山間部の復興をさらに困難にした。そうした場所に暮らす人々は貧困から脱することができず、人身売買の犠牲となる女性が後を絶たないという深刻な問題も生み出している。

今年4月末、首都カトマンズから車で約3時間のシンドパルチョーク県へ取材に出かけた。震源地に近く、最も被害を受けた場所だが、険しい山肌へ張り付くように点在する集落には、所々で崩壊した建物が放置されたままになっていた。

昨年の4月にも訪れたが、状況に大きな進展はみられていない。県都チャウタラでは道路の舗装が進まず、大型の車が通るたびに土埃がもうもうと舞っている。「政府の支援は当てにならない。3年間、放っておかれたのも同じだ」住民の男性は、憤りと諦めの入り交じった表情を見せた。

被害者は年間1万人以上か

ネパールは地震後、内政の混乱により首相が次々と交替する事態となり、復興にブレーキがかかった。ネパール政府の集計では、被災した住宅の約3割が手つかずのままとなっている。地元記者は「政府が権力争いをしているなか、シンドパルチョークなどの山間部は放っておかれたのも同然だ」と話す。

復興の遅れは、女性や子どもが隣国インドに売られる人身売買の増加をもたらした。シンドパルチョーク県でも被害は深刻で、現地で人身売買の被害者救援を行う非政府組織(NGO)によると「地震後、ブローカーから『外国で稼げる安全な仕事がある』と声をかけられ、インドに連れて行かれる女性が増えている」という。
 
国連児童基金(ユニセフ)は、ネパールでは年間7000人の女性が人身売買の被害に遭っているとするが、地震後は被災した家庭の女性が貧困のために売られてしまうなど、被害者は年間1万人以上との見方もある。

被害者の女性たちは、陸路で国境管理の緩いインドに連れて行かれ、インド全体では20万人以上のネパール人女性が売春を強要されているとされる。インドを経由して、中東などに送られるケースも少なくない。
 
インド当局によると、国境で救出されたネパール人の被害者は、地震前の14年は33人だったが15年に336人に急増した。16年は501人、17年は607人と増えているが、NGO関係者は「氷山の一角に過ぎない」と指摘している。
日本人が自立支援施設建設で活躍
日本人が自立支援施設建設で活躍

そうしたなか、人身売買の被害者たちを救おうと、現地で支援活動を続けている日本人がいる。広島県出身の中原一博さん(65)だ。チベット亡命政府のあるインド北部ダラムサラに住み、NGO「ルンタプロジェクト」を立ち上げて、チベット難民への支援を20年以上続けてきた。

地震後、ネパールに住むチベット難民への支援のため現地入りした際、目の当たりにしたのが貧困とともにある人身売買の実態だった。「彼女らを助けるには、息の長い活動が必要」そう思い、生活の拠点をカトマンズに移した。

中原さんは、実際に人身売買の被害に遭った女性が立ち上げた現地のNGOを支援する形で、2016年7月より被害者の救出活動に乗り出した。2017年末までに34人の被害者救出に成功、カトマンズにあるシェルター施設に収容し、社会復帰に向けて職業訓練などを行っている。

こうした活動を続けるなかで、浮かび上がってきたのが人身売買の被害者に対する、根深い社会の偏見だった。とりわけ深刻なのが、被害女性の中でHIVに感染した人たちへ向けられる、差別的な視線だ。女性はもちろん、胎内感染で生まれてきた子どもたちを取り巻く環境は厳しく、中原さんは「人身売買という苦しみを受け、そして社会から差別されるという二重の苦しみを受けてきた」と話す。
 
国連の統計では、ネパールの感染者は約3万9000人(15年)。NGOなどは、実際は10万人以上と指摘する。政府による感染者への保護も不十分で、家族や地域から見捨てられる女性や子どももいる。そうした人たちに生きる希望を持ってもらおうと、中原さんが進めているのが、自立支援施設の建設だ。
 
中原さんは「ルンタプロジェクト」の事業として、カトマンズから車で約1時間のバグマティ県バスドルに、約500平方メートルの土地を購入。HIVに感染した女性7人と、胎内感染した子ども14人が暮らす建物の建設を進めている。

子どもたちは隣接する公立学校に通い、近くの畑を借りて農業や園芸で生計を立てる。「援助に頼るのではなく、自分たちの力で生きていくことを目指したい」そう話す中原さんの目標は、園芸や手工芸などの事業によって、3年後に施設が経済的な自立を果たすことだ。軌道に乗れば、施設に入る人を50人程度まで増やしたいと考えている。
 
目下の課題は、建設費などの資金集め。中原さんは「地震から3年がたっても貧困の問題は解決されず、その中で、HIVの感染者はますます光の当たらない存在になっている。ひとりでも多くの人に力を貸してほしい」と話し、日本からの寄付を呼びかけている。
佐藤 大介