Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/b4f90a2d5ed87d2935cc70bd42a63db90e8abc15
ネパールの首都カトマンズに住む11歳の少女、リヤさんはその時、父親のハリチャンドラさん(46)に電話をかけていた。父は観光ガイドで、中国国境に近い街にいた。
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「今ちょっと忙しいんだ。後でかけ直すよ」
そう言われて電話を切った。これが父と子との「最後の会話」になった。
8月26日にネパールと中国の国境付近で起きた土石流は、両国合わせて1496人の命を奪った。行方が分からなくなっている人は6千人超。親を失った子どもは約540人に上るとの推計がある。大人だけでなく、子どもの心に与えた傷も深刻だ。
(文・共同通信ニューデリー支局 岩橋拓郎、写真・共同通信写真部 横山純太郎)
▽つながらない電話
一家は12年前から首都カトマンズに住む。ハリチャンドラさんは妻のリタさん(38)、長男ロザルさん(17)、リヤさんとアパートで暮らしていた。
観光ガイドのハリチャンドラさんは、世界最高峰エベレストにも行ったことがあるベテランで、家族にとって自慢の夫であり父だ。
8月26日朝は、中国チベット自治区にあるヒンズー教やチベット仏教などの聖地、カイラス山に向かう観光客8人にガイドとして付き添っていた。他のツアー客とも合流し、計54人のグループを形成していた。
リヤさんが電話をしたのはその日の午前8時40分ごろ。用事があったわけでも、胸騒ぎがしたわけでもないという。
妻のリタさんがニュースで土石流の発生を知ったのは午前9時半ごろだったと記憶している。
茶色い濁流が、中国の国境検問所をのみ込んでいる映像を見た。すぐに夫の携帯に電話をしたが、応答がない。「まさか…」
何度もかけ直したが、反応がないままで、正午ごろ、つながらなくなった。
リタさんたち家族はハリチャンドラさんの写真を病院の壁に張ったり、交流サイト(SNS)に投稿したりして、必死に安否の確認を進めた。しかし何の手がかりも得られない。時間ばかりが過ぎた。
土石流が発生したのは、午前8時37分ごろと推定されている。リヤさんが電話をかけたとき、土石流はすさまじい勢いでハリチャンドラさんのいた国境付近に押し寄せていたことになる。
▽「お父さんは帰ってくる」
ネパールで多数派のヒンズー教では、死後13日目を服喪期間の区切りと位置づける。土石流が起きてから13日目に当たる9月7日、リタさんら家族は聖なる草で作った人形を父に見立て「火葬」した。
リタさんは、伏し目がちにこうつぶやいた。
「気持ちの切り替えはできません。葬式をしたところで何も変わりませんから…」
子ども思いの人だった。ロザルさんとリヤさんの誕生日にはプレゼントを準備し、ケーキも買ってきてくれた。取材中、硬い表情だったリヤさんはハリチャンドラさんの話題になると、はにかんで言った。
「優しいお父さんで、一度も怒られたことがないの」
リヤさんが席を外すと、リタさんは声を押し殺して私にこう告げた。
「あの子は『お父さんは帰ってくる』と言っている。すごく好きだったから、(最悪の結果を)信じていないんです」
リタさんは主婦で、収入はない。子ども2人は学校に通っているが、今後は学費をどう工面するかが現実的な課題になる。
「大学まで行かせたいと思っていました。どんな仕事でもいいから自分が働いて稼ぐしかありません」
リタさんは自分に言い聞かせるように語った。
土石流で親を失った子どもは、国際非政府組織(NGO)「セーブ・ザ・チルドレン」によると約100人。親が行方不明になるなどし、親族に預けられた子どもは約440人いると推定。安否が分かっていない子どもも600人を超えるとみられている。
▽手弁当で支援活動を続ける日本人
こうした苦難の子どもたちを支えようと、手弁当で活動しているカトマンズ在住の日本人男性がいる。非政府組織(NGO)「ルンタプロジェクト」代表の中原一博さん(74)だ。
もともとは建築家で、ネパールの隣国インドの北部ダラムサラに拠点を置くチベット亡命政府から建築設計の仕事を依頼され、1985年からダラムサラに住んでいた。1997年にルンタプロジェクトを立ち上げ、チベット難民の支援を続けてきた。
2015年に発生し、約9千人が犠牲になったネパール大地震をきっかけに、ネパールに移住。被災者の支援をする傍ら、エイズウイルス(HIV)に感染した女性や人身売買被害者らに対する人道支援活動を続けてきた。
大地震の被害を知る中原さんでも、今回の土石流のすさまじさには言葉を失った。
土石流が起きた中国国境の程近くには、中国の圧政を逃れたチベット難民たちがいくつかの集落をつくっていた。中原さんがこれまでに何度か訪れ、義援金を渡して生活をサポートしてきた地域でもある。
中原さんは土石流発生後の衛星写真を見た。中部シャブルベシの川沿いにあったはずのチベット難民の集落は建物が消え、灰色の土砂だけが広がっている。高台にある集落に15世帯ほどのチベット難民が簡素な小屋に住んでいたが、「これでは助からないだろうなあ…」。絶望視せざるを得なかった。
亡命政府があるインドなど、他の国に向かうチベット難民が多い中、中国国境近くの集落にいた人たちは「すぐにチベットに帰れる」と考え、故郷からあまり遠くない場所を選んでいた。帰郷の夢も、命も土石流がのみ込んでしまった。
大地震から立ち直ってきたネパールを襲った未曽有の土石流災害。手を差し伸べるべき人はあまりに多い。中原さんはまず孤児や遺児に焦点を当て、彼らが身を寄せる避難所に足を運んで現状を聞き取り、ルンタプロジェクトに集まった寄付金を渡すなどして支援したいと考えている。





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