Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/401e232a7de942450184a1df07d5ee0ea80cddea
犠牲者が5万人を超えた2月のトルコ・シリア大地震で、神奈川県警から国際緊急援助隊の救助チームに参加した危機管理対策課の平野慎次警部補(38)、新藤太一巡査部長(35)が取材に応じ、トルコでの懸命の救援活動を振り返った。厳しい寒さと余震の中で、がれきの中をはうようにして活動した2人の原点には東日本大震災の被災地での経験があった。(高木克聡) 「安全管理が大変そうだ」。日本時間の2月6日午前10時すぎ、トルコ南部でマグニチュード7・8の地震が発生したと速報が流れた。2015年4月のネパール地震でも派遣された経験を持つ平野さんは建物が倒壊した現地の映像をみて、そう直観した。ほどなくして国からの派遣要請が届き、小隊長として指揮を執ることになった。 新藤さんは夜勤明けで自宅にいたところ、携帯電話が鳴った。「行けるか」と言われ、二つ返事で答えた。「行けます」-。先遣隊として一足先に現地入りし、雪景色から作業の難しさを感じ取った。 発災が現地時間で午前4時だったこともあり、救助活動では寝室付近を中心に生存者を探した。余震が続く中、幅50センチほどの隙間をはって進むこともあった。昼夜の寒暖差は10度以上、夜は氷点下まで冷え込んだ。幕舎で足元の冷えに耐え、窮屈なバスで寒さをしのいで寝たが安眠はできなかった。 過酷な状況下で救援活動に取り組んだ2人のスキル、心の原点は、機動隊隊員として派遣された東日本大震災の被災地での経験だ。当時、平野さんは既に国際緊急援助隊の訓練に参加するなどして機動隊の中でも一目置かれる存在だったが、岩手県宮古市で直面した津波、火災の惨状はそれまでの経験をはるかに越えていた。 多くの警察官や消防隊員らが殉職した東日本大震災。小隊長としてチームを預かる立場となって第一に考えるのは「救助活動の安全を確保し、隊員が救助に専念できるようにする」ということだった。 新藤さんは岩手県釜石市や大槌町での捜索活動を担当。生存者と同様に遺体を丁寧に探し出し、遺族に届けることで「心も救う救助部隊であろう」と心に誓った。 今回の活動では生存者を発見することはできなかったが、遺体を引き渡し、全員で黙禱(もくとう)をささげると、遺族は涙を流して感謝の言葉を繰り返したという。 2月15日夜、トルコから帰国した2人。県警本部で報告を終え、自宅に帰ったのはいずれも日付も変わった16日午前0時半ごろだった。平野さんは安心した家族の顔を見て、温かい布団に包まれながら「無事に帰ってこられた」と安堵(あんど)したという。 平野さんは今回の被災地での活動について「自分のものだけにしてはいけない。組織全体に還元し伝承していく」と話した。
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