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「ボドイ」と呼ばれる不法滞在ベトナム人の犯罪が増えている。この問題を扱った本格ノンフィクション『北関東「移民」アンダーグラウンド ベトナム人不法滞在者たちの青春と犯罪』(文藝春秋)を書いた中国ルポライターの安田峰俊さんは「ボドイを生んだ技能実習制度は、職業選択や移動の自由を制限しており、基本的人権を奪っている。しかし、いまやボドイの存在なしに、日本経済は成り立たない」という。ライターの國友公司さんが聞いた――。(後編/全2回) 【写真】ボドイたちが共同生活を送っている家 ■ボドイが盗んだ桃はテキ屋には流れていなかった (前編から続く) ――ボドイが農園から盗んだ大量の桃が、駅前などで見かけるテキ屋的な販売者に流れたという説が一時期流れていました。「なぜ駅前で売っている桃はあんなに安いのか」という疑問を抱いていたと人もいたと思います。この説を信じた人もいたと思うのですが、実態はどうだったのでしょうか? 【安田峰俊】ボドイが桃窃盗の犯人として逮捕された後も、しばらくその説がささやかれていました。また、当時はフリマアプリ「メルカリ」に大量の桃が出品されていることも話題になりました。しかし、いずれもボドイの桃窃盗とは一切関係ないことが捜査からも取材からもわかっています。 あのときテレビや新聞の記者たちが「テキ屋」と「メルカリ」にこだわった一因は、彼らが警察からのリークに依存しすぎていたためではないでしょうか。 ――警察も捜査はしているものの実態はつかめていなかったんですね。でも、「なにもわからない」では格好がつかなかった。あるいは警察もある種の思い込みがあったと。 【安田】私の関心は外国人そのものに向いているので、日本の警察の批判はしません。ただ、ものすごい量の桃が盗まれたので、当初は大規模な組織犯罪であると山梨県警が判断しただろうとは思います。家畜・農作物窃盗事件(群馬県内でブタ約720頭、ニワトリ約140羽、ウシ1頭、ナシ約5700個などが盗まれた)のときも同じです。群馬県警は「群馬の兄貴」ことレ・ティ・トゥン容疑者を実行グループの主犯格だとして逮捕しましたが、結果的には誤認逮捕でした。警察としては、世間の関心が高い事件について巨大犯罪組織を見つけ出し、それを捕まえれば大金星です。そういう思考にひきずられた部分は、もしかしたらあったのかもしれません。 しかし実際のところ、ボドイによる犯罪はバラバラに行われているものであって、横のつながりも薄く、必ずしも組織化されてはいません。同じ部屋で共同生活していて、比喩抜きで「同じ布団で寝ている」同居人についてすら、相手がどんなシノギで稼いでいるのか、把握していないような薄い関係なんですよ。現時点までの警察や大手メディアは、その内在的論理をまだ把握しきれていない印象は受けます。
■中国人と違ってボドイは組織化されていない ――前回の記事では、30年前ぐらいの中国人のポジションが、今はベトナム人に置き換わったということでしたが、この点においては両者の性質は異なりそうですね。蛇頭のネットワークを使って日本に入ってきた密航者の中国人たちは、組織化してマフィアになっていたと思います。 【安田】当時の中国人の場合は、あらゆる手段で日本にやってきていました。技能実習生や留学生としてだけではなく、パスポートを偽造したりコンテナ船で日本の沖合にやってきたりして密入国したり、すでに日本にいる親族を頼って来たり。そうすると、故郷の地縁とか血縁が日本に持ち込まれやすいんです。それによって福建幇や東北幇といわれるような、一般に中国マフィアのように見られがちな集団も生まれることになります。 一方のベトナム人は、技能実習生が圧倒的メインです。技能実習生って基本的に若い単身者しかいないんですよ。親を呼ぶこともまずありません。まれに夫婦で技能実習生というケースもありますが、別々の土地に配属されて一緒に暮らせないような世界です。 派閥的なものがあるとしても、ベトナムを出る際の送り出し機関で一緒だった人くらいで、もともと地縁、血縁といった要素を持ち込めない、バラバラの「個」なんです。そうすると強固な組織というのは形成されづらいですよね。かつての中国人たちと比べると人間関係は明らかに薄いです。国民性の違いもあるかもしれませんが、日本に入ってきた経緯の違いによるものも大きいだろうと思っています。 ■桃ならベトナム人コミュニティーで売りさばける ――たしかに、仮に組織化していたとすれば桃などではなく、宝石店の強盗など大掛かりでリターンの大きい犯罪に手を出すような気がします。 【安田】はい、もっと稼ぐつもりがあるなら、ほかにもやれることはいくらでもあるはずです。ただ、宝石店を強盗するとなると販路の開拓をはじめ、すごく計画的にやらなくてはいけないし、組織も必要になってくる。でも、桃はそんなに難しいことを考えなくても、屋外の樹木からもいでしまえば盗めるので簡単です。食べてしまえば証拠が消えるのでリスクも低い。 ベトナム人は日本人よりも果物を消費します。そして、同胞だけの間ですべて売れてしまう販路が存在するんですよ。たとえば、日本でいつのまにか増えたベトナム商店。気付いていない人もいるかもしれませんが、田舎も都心もあらゆるところにベトナム商店が存在します。そういう店って、持ち込んだ商品を買い取ってくれるんです。その食材の出所についてよくわからないままでも、買う。
■メルカリで日本人に売る理由がまったくない 【安田】また、Facebookのボドイコミュニティーを使えば同胞にいくらでも売れます。ここは車検の通っていない車が売っていたり、飛ばしの携帯電話や麻薬まで売られていたりと無法地帯化しているのですが、警察の捜査は必ずしもスムーズではなさそうです。一応、存在は知っているみたいですがマンパワーが足りていないのとベトナム語を理解できる人が少ない。 捜査するとなればアカウントの照会をしないといけないでしょうが、したところで登録されている電話番号がベトナムのものだったらどうするんですかっていう話です。 ――そうなると、盗んだ桃をわざわざメルカリで日本人に売る必要性がひとつもないですね。 【安田】そういうことです。メルカリならアシがつきやすいですし、そもそも「怪しい日本語」であっても日本人とメッセージのやりとりができる能力がある人は、そんな危ないことはあまりやらない。桃の窃盗も家畜の窃盗も苦労の割にたいした金にはなっていないはずなんですが、日本人社会から隔絶している同胞のコミュニティー内で市場が成立するからやるんですよ。そういったボドイの全体像を警察がまだつかみきれていない面はあると思います。 ■メディアは「かわいそうな弱者」を求める ――「テキ屋」も「メルカリ」も、警察の間違った解釈に引きずられる形で私たちも勘違いしてしまったと思うんですが、ほかにも世論がボドイに対して見誤っていることはありますか。 【安田】本当に悪かどうかはともかく、いまや日本では「中国は悪」という設定は、実質的に国民のコンセンサスとして存在するじゃないですか。すると、「在日中国人の犯罪やマナー違反を許すな」といったことも、公共圏で容赦なく言えちゃう。極論、差別意識から出ただけの排外主義的な言説ですら、大義というオブラートに包んで言えてしまう。でも、在日ベトナム人に関してはそれが真逆なんです。排外主義とは関係がない現実的な問題点の指摘すら、なんとなく難しい。 そもそも、技能実習生をはじめとしたベトナム人の労働者はお国の政策で呼んできた人間という前提があるので、自動的に「かわいそう」という属性が付加され、そんな存在がやむにやまれず犯罪に手を染めたという図式になる。なので、どうしても突っ込み不足になるし、下手すると取材をする前から同情的立場になってしまっているフシまであります。 ――新聞記者やテレビ番組、一部のジャーナリストなどの言動を見てみると、「技能実習生が職場でいじめ、差別、暴力に遭っているケースが後を絶たない」としているものが目立ちますよね。 【安田】技能実習先から逃亡するベトナム人は後を絶ちませんが、いじめや暴力を原因とするものは多数派ではないんですよ。どうしてもそっちのほうがショッキングですし、人々の怒りをかき立てやすいです。ベトナムは中国とは違って「悪」の存在ではない。となると、わかりやすい人権侵害や、かわいそうな弱者という設定を強調するほうが、報道を作りやすいんです。
■「日本が好きで来たのに」と答えるのは本心ではない こうしたステレオタイプの報道と相性がいいのが、ベトナム人の「お手本文化」です。すなわち、取材者を前にすると、ベトナム人たちは「日本が好きです」「日本の技術は発展しています」「夢があります」といった紋切り型の言説を、ひとまず口にします。 これは中国にも共通するのですが、儒教文化圏は「お手本文化」圏なんですよ。自分の頭で考えたことではなく、相手が望むことやその場において好ましいとされるスローガンをとりあえず口にする。でも、しょせんお手本なので、実はそれ以上の言葉は続かない。20分くらいビールを飲んで冗談を言い合ってから、日本に来た理由をベトナム語で尋ねれば「カネのため」「日本に興味なんかない」としか言わない人が大部分になります。特に男性はそうですね。 ――技能実習制度の矛盾がボドイを生んだのであれば、日本はもう「労働者としての移民を受け入れます」と声高らかに宣言したほうがいいんじゃないでしょうか。 【安田】それは悩ましい問題です。技能実習生って職業選択の自由も移動の自由もなく、要は基本的人権が制限されているわけです。一方で、その基本的人権を奪っているからこそ、過疎地域や中小企業の労働力が充当されている現実があるんですよね。 基本的人権が保証されたまともな移民労働者だったら、過疎地域なんかで働かずに、当然東京や大阪で働く。彼らも人間なので、日本の若者と同じく、自分の意志で田舎の山奥や、給料が異常に安い中小企業で働きたいとはあまり考えない。さらには彼らに基本的人権を与えて自由競争にした場合、給料もそれなりに払わなくてはいけません。 ■日本社会は“ボドイ依存”よって成り立っている 現状、ファミレスの総菜もコンビニ弁当も技能実習生かボドイが作っている場合があるわけです。技能実習生の基本的人権を奪っているからこそ、あの値段が実現できている。仮に彼らの人権を尊重して、職業選択と移動の自由を認めた場合、日本の地方産業は軒並み崩壊します。その上で生き残る産業もあるかもしれませんが、その結果は大幅な物価高として反映される。いまの日本にそんな選択はできないでしょう。外国人の人権のために、牛丼の並が1000円になってもいいと言い切れる日本人は多くありません。 ――本書には、「あと15年でボドイは消える」とありました。これから先15年、日本はどうなっていくんでしょうか。 【安田】中国人の技能実習生が減少したように、ベトナムの経済が発展して日本との格差が縮小すれば、ボドイは結果的に日本社会から消えるでしょう。さきほどもお伝えした通り、彼らが日本に来る動機はお金なので、ベトナムから見て日本が稼げない国になれば、出稼ぎに来る必要はなくなります。書籍では「あと15年でボドイは消える」と書きましたが、もしかしたらボドイが消えるまでにあと5年もかからないかもしれません。 ただ、ベトナム人の代わりにカンボジア人なりネパール人なりが増えるだけで、「ボドイ的な外国人」は常に生まれ、存在し続けるはずです。世界のどこの国からも、出稼ぎする価値がないと判断されるほど、日本が貧しくなるそのときまでは。 ---------- 安田 峰俊(やすだ・みねとし) ルポライター、立命館大学人文科学研究所客員協力研究員 1982年生まれ、滋賀県出身。広島大学大学院文学研究科博士前期課程修了。著書『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』が第5回城山三郎賞と第50回大宅壮一ノンフィクション賞、『「低度」外国人材』(KADOKAWA)が第5回及川眠子賞をそれぞれ受賞。他の著作に『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)、『八九六四 完全版』(角川新書)、『みんなのユニバーサル文章術』(星海社新書)など。 ----------
ルポライター、立命館大学人文科学研究所客員協力研究員 安田 峰俊
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