Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/5ee1d5eeae053b12d5e6eba55b89a42d8c4954c9
トルコ・シリア大地震の発生から6日で1カ月。両国の死者は計5万人を超え、復興への道のりは遠く、被災者の疲労も深まっているという。日本政府の国際緊急援助隊・救助チームに参加した神奈川県警の危機管理対策課の平野慎次警部補(38)は、「何か起きるかもしれない覚悟を背負いながら、生存者がいることを信じて最後まで活動していた」と緊迫の日々を振り返った。 【写真】トルコでの捜索活動などを振り返る平野警部補 ◆東日本大震災を想起 災害のエキスパートとされる危機管理対策課の即応対策チームに籍を置く平野警部補。6日の地震発生直後、日本政府から派遣要請が来ることは想定していた。国際緊急援助隊のメンバーに登録されており、2015年のネパール大地震に次いで、海外派遣は2度目だった。「経験を生かして、部隊の指揮ができれば」と被災地へと飛び立った。 トルコの首都イスタンブールへ。その後、国内線を乗り継ぎ、さらにバスで目的地のカフラマンマラシュにたどり着いた。一変した景色は、今でもはっきりと目に焼き付いている。 「津波や火災で被害があった東日本大震災を彷彿とさせるような…。元の街のイメージが全くできなかった」。崩れた高層マンションやビルが街全体を覆い尽くしていた。 生存者救出の可能性が高い「発生後72時間」が迫る。到着した真夜中からすぐに作業に取りかかった。投光器で倒壊するマンションなどを照らしながら捜索活動を展開する。「糸が張り詰めるかのような緊張の中、まさに寝る間を惜しんで救助活動に当たった」。地元の消防隊やボランティア団体、トルコの軍隊なども隣では活動を続けていた。 ◆忘れられぬ心遣い 地震発生から130時間後、倒壊した建物から一人の少女が発見された。「本当に感動した」と印象に残るシーンに挙げながらも、平野警部補は現地住民からの心遣いが忘れられないという。 「ジャパン、アリガトウ」。市街地を歩いていると日本語で話しかけてきたり、胸に拳を当てて感謝を伝えたりしてくれたという。夜間は氷点下となる過酷な環境をおもんぱかって、温かなスープや紅茶が差し入れられることさえあった。「疲労がどんどんたまる中でも力になった」。通信環境も復旧のめどが立たず、派遣期間中は日本に残す妻や2歳の息子と連絡を取ることすらできなかったから、なおさら心の支えとなった。 約10日間の活動を終えて、2月15日に日本へ帰国した。東日本大震災の被災地に派遣された経験も踏まえ、平野警部補は強く思う。「人を助けたいと思う気持ちは、危険のリスクも伴ってくる。何ができて、できないのか。線引きをすることが大事。何がいつ起きるか分からないからこそ、経験を伝えていくことが欠かせない」
神奈川新聞社
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