2018年5月22日火曜日

グルカ兵は誰のために戦うのか?傭兵として海外に出るネパール人

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180521-00010001-wedge-life
5/21(月) 、ヤフーニュースより

カトマンズには語学学校とビザ取得代理店が雨後の筍のごとく
(2017.2.25~4.26 61日間 総費用13万2000円〈航空券含む〉)

 峠を越えてカトマンズの中心部に近づくと、やたらと語学学校とビザ取得代行の看板が目に付く。語学学校は英会話スクールが大半であるが、中には日本語・トルコ語・韓国語などもある。

 ビザとは就労ビザを指しているようで、“ヨーロッパで働こう”“日本での就労お任せください”みたいな英語のキャッチ・コピーが並んでいる。“ヨーロッパで働こう”の看板の下には“トルコ、ポーランドのビザ手配”とある。トルコやポーランドは外国人労働者にとりビザ取得が容易なのであろうか。

ネパール人の日本での就労ビザ手数料は100万円以上!?
 4月10日。ナガルコットの眺めの良いゲストハウスで相部屋になったのは70歳の元中華料理のコックのHさん。Hさんは仕事を辞めてから、ネパールに魅せられて毎年ネパールで数カ月過ごしている。

 Hさんは昵懇のネパール人男性Y氏の家で一週間過ごす計画という。Y氏が来て雑談していたらY氏は数カ月後に日本に出稼ぎに行くためにビザを申請中という。Y氏はがっしりした体格であり、日本ではネパール料理店でコックをするという。

 Y氏によるとエージェントに支払った金額は1万2000ドル(当時のレートで140万円相当)。しかし1万~1万5000ドルが日本の就労ビザの相場なので1万2000ドルは妥当らしい。どんな仕組みなのかY氏も知らないというが、べら棒に不当な裏金が動いているのだろうか。

 Y氏によると、日本で数年働けばネパールで立派なマンションが建てられるという。日本は彼らにとって“黄金の国ジパング”らしい。ちなみに2017年6月時点の日本政府統計では在日ネパール人は7万4000人。

 参考までに同時期の在日外国人は総計247万人である。多い順に並べると中国71万人、韓国45万人、フィリピン25万人、ベトナム23万人、ブラジル18万人である。やはりアジアが圧倒的に多い。
出稼ぎ大国のネパール
 カトマンズの宿屋のマネージャーが「ネパール人の10人に1人が外国で出稼ぎ労働者として働いている」と話していたことを思い出した。ネパールの日本大使館情報では2012年に新規出国した出稼ぎ労働者は36万人。同年度の出稼ぎ労働者による海外からの外貨送金はネパールのGDPの23%を占めるという。出稼ぎ労働者の送金が滞ると国家経済が破綻するという構図である。
 2017年時点でネパールの人口は2920万人で過去20年間に700万人も増加している。おそらく2017年の新規出国出稼ぎ労働者は50万人を越えているのではないか。1人平均5年海外に滞在していると仮定すれば、現時点で250万人以上が出稼ぎ労働者として海外に滞在している計算だ。10人に1人が出稼ぎ労働者という話はかなり事実に近いと思われる。

ナガルコットの日本人妻
 4月11日。ナガルコットはカトマンズから35キロ東に位置する山村。カトマンズからバスで数時間と近く、ヒマラヤ山脈の展望台として人気スポットだ。村外れの雑貨屋でお茶を飲んで30代半ばの主人と雑談。

 なんとナガルコットには日本人女性と結婚した男性が10人もいるとのこと。人口千人足らずの鄙びた山村に10人もの日本人妻がいることになる。主人の話によると夫婦ふたり日本で稼いで、貯めたお金でナガルコットに戻りゲストハウスやレストランを開業する夫婦が多いという。

 主人は日本女性と結婚した地元の男達は日本で大いに稼げて“果報者”だと盛んに羨ましがっていた。

グルカ兵のナイフ
 カトマンズ市街を歩いているとナイフの専門店が何軒もあることに気づいた。観光客向けのようだ。グルカ兵がナイフを持って格闘している看板が目を引く。グルカ兵が携帯するククリと呼ばれる戦闘用ナイフの専門店である。

 ある店で聞くと、現在でもネパール人青年が志願して英国陸軍で軍務に就いているという。おおよそ1万人くらいがグルカ兵として海外に出ているようだ。勇猛なグルカ兵は近代英国陸軍の先鋒部隊として知られている。

 ネパールの山岳地帯の建築現場で働いている労働者は、小柄であるが頑健そのもの。50キロくらいの資材を平気で担いで梯子を登っている。英国陸軍の給与がネパール国内労働者の平均賃金の10倍近いことから元気で優秀な若者が志願するという。また軍務を一定期間全うすれば英国市民権を与えられるという特典も魅力らしい。
究極の進路選択
 他の店ではグルカ兵が活躍している写真が展示されていた。第一次世界大戦や第二次世界大戦のグルカ兵の部隊写真からフォークランド紛争での出兵などが並んでいた。最近ではイラク戦争に出征した英国王室のハリー王子を囲んだ部隊写真があった。

 店の主人によると、最近ではマレーシア等でガードマンとして働く若者も多いという。さらには英国陸軍よりも給与が高い欧米の民間軍事会社と契約を結んで、イラクやアフガンで傭兵として危険な任務に従事するネパール人も多数いるようだ。

 平和な山村で貧困生活を送るか、危険な傭兵業務に従事して短期間で一攫千金を得るかという選択肢である。

他国民のために命を懸けて戦う傭兵とは
 世界の歴史を振り返れば傭兵はいつの時代でも存在した。ローマ時代の後半になると、ローマ市民からなる正規軍団は有名無実となり、周辺属国出身の傭兵部隊によりローマ帝国の版図を守った。中世では当時貧しかったスイス人の傭兵部隊が活躍。今でもバチカン市国の法王庁はスイス人衛兵が警護している。
 帝政ロシアではコサック騎兵軍団が組織され、日露戦争でも大日本帝国陸軍を悩ませた。現在でもコサックの末裔はロシア軍特殊部隊“スペツナズ”の中核を担っている。

 フランス外人部隊も上位指揮官だけがフランス人で下士官以下外国人という近代傭兵組織である。外人部隊は途上国からの志願者が大半であるが、ソ連崩壊直後はロシア・ウクライナ・東欧出身者が激増した。

 豊かな国が国益のために、他国の貧しい若者を傭兵として自国の軍隊に組織するということが歴史の法則のようだ。残念であるがネパールの若者に究極の選択を課している根本原因である経済格差は容易に解消されそうもない。
国連平和維持軍は現代の傭兵部隊なのか
 世界平和遺産のダージリン・トイ・レール(ダージリン鉄道)の急坂に設けられたループの中に軍人慰霊碑が立っている。1947年のインド独立後に世界各地でなくなった兵士を祀る慰霊碑のようだ。見たところ、150人近くの氏名が刻まれていた。

 ダージリン鉄道の隣席のインド人観光客の男性によると、パキスタンとの国境紛争を除けば大半の犠牲者は国連軍に参加して戦った兵士である。ローカル紙にはしばしば地元出身兵士が国連平和維持活動で亡くなった追悼記事が掲載される。国連平和維持活動での待遇(給与)が高いのでインド兵は率先して志願する。現在海外展開しているインド兵は一万人以上という。

 ちなみに国連平和維持活動に従事している将兵の出身国は、2014年時点でインド、パキスタン、バングラデッシュが上位三ヶ国。エチオピア、ナイジェリア等アフリカ諸国に続きネパールが7番目である。途上国出身兵が太宗を占めている。
米国海兵隊は経済大国日本の傭兵なのであろうか
 ネパールの若者のことを考えていたら、ふとアメリカ軍の志願兵の若者を思い出した(2017年3月20日掲載の『アメリカの貧しい若者の犠牲の上に平和を享受している日本』ご参照)。

 一朝有事があれば自衛隊だけで日本の国土及び国益を守ることは不可能だ。しかし大半の日本人は、米国に基地を提供して「思いやり予算」という金銭まで提供しているのだから、アメリカ軍が日本を守ることは当然と考えていないだろうか。

 これは米国海兵隊の若者を暗に日本の傭兵とみなしている傲慢な浅慮であると憂慮する。
高野凌 (定年バックパッカー)

0 件のコメント:

コメントを投稿