2018年5月22日火曜日

大地震から3年、ネパールで広がる「人身売買」の闇

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180519-00021046-forbes-int
5/19(土) 

約9000人が犠牲となった2015年4月のネパール大地震から3年が過ぎた。

世界最高峰のエベレストを抱えるヒマラヤ山脈の麓として、トレッキングなど観光産業が順調な回復を遂げている一方で、被災者の中には、トタンでできた粗末な仮設住宅での暮らしをいまだに強いられている人も少なくない。

アジアでも最貧国のひとつに数えられるネパールを襲った地震は、ただでさえ脆弱なインフラに深刻な影響を与え、被害の大きかった山間部の復興をさらに困難にした。そうした場所に暮らす人々は貧困から脱することができず、人身売買の犠牲となる女性が後を絶たないという深刻な問題も生み出している。

今年4月末、首都カトマンズから車で約3時間のシンドパルチョーク県へ取材に出かけた。震源地に近く、最も被害を受けた場所だが、険しい山肌へ張り付くように点在する集落には、所々で崩壊した建物が放置されたままになっていた。

昨年の4月にも訪れたが、状況に大きな進展はみられていない。県都チャウタラでは道路の舗装が進まず、大型の車が通るたびに土埃がもうもうと舞っている。「政府の支援は当てにならない。3年間、放っておかれたのも同じだ」住民の男性は、憤りと諦めの入り交じった表情を見せた。

被害者は年間1万人以上か

ネパールは地震後、内政の混乱により首相が次々と交替する事態となり、復興にブレーキがかかった。ネパール政府の集計では、被災した住宅の約3割が手つかずのままとなっている。地元記者は「政府が権力争いをしているなか、シンドパルチョークなどの山間部は放っておかれたのも同然だ」と話す。

復興の遅れは、女性や子どもが隣国インドに売られる人身売買の増加をもたらした。シンドパルチョーク県でも被害は深刻で、現地で人身売買の被害者救援を行う非政府組織(NGO)によると「地震後、ブローカーから『外国で稼げる安全な仕事がある』と声をかけられ、インドに連れて行かれる女性が増えている」という。
 
国連児童基金(ユニセフ)は、ネパールでは年間7000人の女性が人身売買の被害に遭っているとするが、地震後は被災した家庭の女性が貧困のために売られてしまうなど、被害者は年間1万人以上との見方もある。

被害者の女性たちは、陸路で国境管理の緩いインドに連れて行かれ、インド全体では20万人以上のネパール人女性が売春を強要されているとされる。インドを経由して、中東などに送られるケースも少なくない。
 
インド当局によると、国境で救出されたネパール人の被害者は、地震前の14年は33人だったが15年に336人に急増した。16年は501人、17年は607人と増えているが、NGO関係者は「氷山の一角に過ぎない」と指摘している。
日本人が自立支援施設建設で活躍
日本人が自立支援施設建設で活躍

そうしたなか、人身売買の被害者たちを救おうと、現地で支援活動を続けている日本人がいる。広島県出身の中原一博さん(65)だ。チベット亡命政府のあるインド北部ダラムサラに住み、NGO「ルンタプロジェクト」を立ち上げて、チベット難民への支援を20年以上続けてきた。

地震後、ネパールに住むチベット難民への支援のため現地入りした際、目の当たりにしたのが貧困とともにある人身売買の実態だった。「彼女らを助けるには、息の長い活動が必要」そう思い、生活の拠点をカトマンズに移した。

中原さんは、実際に人身売買の被害に遭った女性が立ち上げた現地のNGOを支援する形で、2016年7月より被害者の救出活動に乗り出した。2017年末までに34人の被害者救出に成功、カトマンズにあるシェルター施設に収容し、社会復帰に向けて職業訓練などを行っている。

こうした活動を続けるなかで、浮かび上がってきたのが人身売買の被害者に対する、根深い社会の偏見だった。とりわけ深刻なのが、被害女性の中でHIVに感染した人たちへ向けられる、差別的な視線だ。女性はもちろん、胎内感染で生まれてきた子どもたちを取り巻く環境は厳しく、中原さんは「人身売買という苦しみを受け、そして社会から差別されるという二重の苦しみを受けてきた」と話す。
 
国連の統計では、ネパールの感染者は約3万9000人(15年)。NGOなどは、実際は10万人以上と指摘する。政府による感染者への保護も不十分で、家族や地域から見捨てられる女性や子どももいる。そうした人たちに生きる希望を持ってもらおうと、中原さんが進めているのが、自立支援施設の建設だ。
 
中原さんは「ルンタプロジェクト」の事業として、カトマンズから車で約1時間のバグマティ県バスドルに、約500平方メートルの土地を購入。HIVに感染した女性7人と、胎内感染した子ども14人が暮らす建物の建設を進めている。

子どもたちは隣接する公立学校に通い、近くの畑を借りて農業や園芸で生計を立てる。「援助に頼るのではなく、自分たちの力で生きていくことを目指したい」そう話す中原さんの目標は、園芸や手工芸などの事業によって、3年後に施設が経済的な自立を果たすことだ。軌道に乗れば、施設に入る人を50人程度まで増やしたいと考えている。
 
目下の課題は、建設費などの資金集め。中原さんは「地震から3年がたっても貧困の問題は解決されず、その中で、HIVの感染者はますます光の当たらない存在になっている。ひとりでも多くの人に力を貸してほしい」と話し、日本からの寄付を呼びかけている。
佐藤 大介

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