Source:http://news.ameba.jp/20160607-365/
- 2016年06月07日
- GOOGLEニュースより
今、ヨーロッパでは難民急増でたいへんなことになっている。ゴムボートなどで命がけで地中海を渡った難民は去年までで100万人を超え、さらに増え続けている。
当初、人道的にも難民を積極的に受け入れるべきだと欧州各国は動いたが、2015年のパリ同時多発テロの実行犯が難民にまぎれていたこと、そしてドイツで2015年末に起こった難民による暴行事件で、欧州の人々の警戒感は高まっている。
移民、難民が多い欧州の苦悩
言葉も宗教も習慣も違う民族が共存して暮らしていくのは、それはそれは難しいことだと思う。
たとえば、フランスはヨーロッパでいちばん移民が多い国だ。街によっては「ここはアラブかアフリカか?」と思えるような場所も多く点在している。フランスでありながらフランスではないような地区が増え、フランス人たちは、そういった街を避けて集まって暮らしているような状況だ。
私たちの日本人の多くは、郷に入っては郷に従えで、異邦人として謙虚に暮らしていこうとするから世界のどこに行っても摩擦は起こりにくい。
しかし、自分達の習慣を変えられない、絶対に変えたくないという民族のほうが圧倒的に多く、そこで多くのトラブルが発生することになる。
難民の気持ち、受け入れ住民の気持ち
当初、積極的に難民を受け入れたドイツでは、住民たちが「ウェルカム」のボードを掲げて難民たちを歓迎した。メルケル首相も彼らがよい労働力となり、さらにドイツ経済がよくなると期待したのだ。しかし、言葉も習慣も違う難民を教育し、ドイツ社会に同化させるのは容易ではなかった。
難民たちは、難民キャンプで貧しく惨めな暮らしをしているのに差別されていると、どんどん不満を募らせていく。働き口が見つからない難民の若者は街でたむろするようにもなる。
一方の受け入れ側住民は、はじめは寛容だったものの、難民の数がふえると警戒感のほうが高まっていく。善意で難民を受け入れているのにもかかわらず、風紀を乱され、彼らのせいで治安が悪化するのは許せないと思いはじめるわけだ。
受け入れる側の人々と似た経験をしたことが、私にもある。
私たち家族はパリ郊外の治安のいい街に暮らしていたのだけれど、そこに一夜にしてロマ・キャンプが現れ大騒ぎになったことがあった。
緑の美しい公園にテントやキャンピングカーが100以上も集結して公園を占領してしまったのだ。逞しい彼らはちゃっかり電気もどこからか勝手に引っ張ってきて生活をはじめてしまったので、市民は公園で散歩することも、子どもを遊ばせることもできなくなってしまった。
これはロマ・キャンプの例だけれど、現在、難民キャンプのできている地元住民の戸惑いは似たようなものだと思う。
難民と受け入れ住民のどちらが正しいかなんて誰にも言えない、どちら側に立って考えるかで意見は違ってくるのだから。
日本もシリアの若者を受け入れ
日本は難民救済のための資金援助は他のどの国よりも多い。が、それだけでは世界が納得しなくなっている。
そこで、日本政府はシリア難民の若者150人を留学生として受け入れることを決めた。まだまだ数は少ないが、今後はさらに難民受け入れが増えていくだろう。
アジアにも多くの難民がいる
難民はシリアからだけではない。アジアにもたくさんの難民がいるのをご存じだろうか?
『ふるさとをさがして~難民のきもち、寄り添うきもち~』(根本かおる・著/学研プラス・刊)は、ブータンを追われ難民となったネパール系住民を取り上げた一冊だ。
この本によると2011年末時点での世界の難民総数は4300万人。世界人口は70億人だから160人に1人は難民だという。現在はここにシリア難民の数も加わっているからその数は膨大だ。
幸せの国ブータンから追われた人々
150年以上前、ネパールからブータン南部へ移住し、ブータン国籍を取った人々がいた。ブータン人は仏教徒だが、ネパール系の人々はヒンズー教徒が中心だ。移民の数が増えてくると、ブータン政府は宗教も習慣も違うネパール系住民を警戒するようになっていったのだそうだ。
1980年代後半に入って、政府はブータン人を中心とする国をつくることにしました。法律を変え、さまざまな手段で、ネパール系の人びとが暮らしにくい国にしました。その結果、ブータンで土地を持ち何代にもわたって生活してきたネパール系の人びと多くが、ブータンの国籍をうばわれ、国を追われました。そしてネパールに逃れ、難民となったのです。
(『ふるさとをさがして~難民のきもち、寄り添うきもち~』から引用)
難民を救う日本からの支援
本書では難民キャンプで生まれ育った少女にスポットを当て、彼女とその家族の暮らしぶりと、彼らの抱えた苦悩を紹介すると共に、難民を支援しようと立ち上がった日本の企業、個人も取り上げている。
ユニクロでは、世界のすべての難民、避難民に毎年1人に1着を目標に、全商品リサイクル活動をしている。着なくなった商品を日本全国の店で回収し、難民キャンプに届けるというものでカラフルなフリースなどに難民たちは喜んで袖を通しているそうだ。
また、北海道にある富士メガネでは、ふるさとを追われた難民に見える喜びを与えたいと、30年間で13万組のメガネをプレゼントしているという。
個人としては道端ジェシカさんが難民キャンプを訪れたエピソードや彼女の難民支援活動が紹介されている。
今後ますます増えていくだろう難民たちをどうやって救えばいいのか、私たち日本人も真剣に考えなければならない時がきている。
(文:沼口祐子)
当初、人道的にも難民を積極的に受け入れるべきだと欧州各国は動いたが、2015年のパリ同時多発テロの実行犯が難民にまぎれていたこと、そしてドイツで2015年末に起こった難民による暴行事件で、欧州の人々の警戒感は高まっている。
移民、難民が多い欧州の苦悩
言葉も宗教も習慣も違う民族が共存して暮らしていくのは、それはそれは難しいことだと思う。
たとえば、フランスはヨーロッパでいちばん移民が多い国だ。街によっては「ここはアラブかアフリカか?」と思えるような場所も多く点在している。フランスでありながらフランスではないような地区が増え、フランス人たちは、そういった街を避けて集まって暮らしているような状況だ。
私たちの日本人の多くは、郷に入っては郷に従えで、異邦人として謙虚に暮らしていこうとするから世界のどこに行っても摩擦は起こりにくい。
しかし、自分達の習慣を変えられない、絶対に変えたくないという民族のほうが圧倒的に多く、そこで多くのトラブルが発生することになる。
難民の気持ち、受け入れ住民の気持ち
当初、積極的に難民を受け入れたドイツでは、住民たちが「ウェルカム」のボードを掲げて難民たちを歓迎した。メルケル首相も彼らがよい労働力となり、さらにドイツ経済がよくなると期待したのだ。しかし、言葉も習慣も違う難民を教育し、ドイツ社会に同化させるのは容易ではなかった。
難民たちは、難民キャンプで貧しく惨めな暮らしをしているのに差別されていると、どんどん不満を募らせていく。働き口が見つからない難民の若者は街でたむろするようにもなる。
一方の受け入れ側住民は、はじめは寛容だったものの、難民の数がふえると警戒感のほうが高まっていく。善意で難民を受け入れているのにもかかわらず、風紀を乱され、彼らのせいで治安が悪化するのは許せないと思いはじめるわけだ。
受け入れる側の人々と似た経験をしたことが、私にもある。
私たち家族はパリ郊外の治安のいい街に暮らしていたのだけれど、そこに一夜にしてロマ・キャンプが現れ大騒ぎになったことがあった。
緑の美しい公園にテントやキャンピングカーが100以上も集結して公園を占領してしまったのだ。逞しい彼らはちゃっかり電気もどこからか勝手に引っ張ってきて生活をはじめてしまったので、市民は公園で散歩することも、子どもを遊ばせることもできなくなってしまった。
これはロマ・キャンプの例だけれど、現在、難民キャンプのできている地元住民の戸惑いは似たようなものだと思う。
難民と受け入れ住民のどちらが正しいかなんて誰にも言えない、どちら側に立って考えるかで意見は違ってくるのだから。
日本もシリアの若者を受け入れ
日本は難民救済のための資金援助は他のどの国よりも多い。が、それだけでは世界が納得しなくなっている。
そこで、日本政府はシリア難民の若者150人を留学生として受け入れることを決めた。まだまだ数は少ないが、今後はさらに難民受け入れが増えていくだろう。
アジアにも多くの難民がいる
難民はシリアからだけではない。アジアにもたくさんの難民がいるのをご存じだろうか?
『ふるさとをさがして~難民のきもち、寄り添うきもち~』(根本かおる・著/学研プラス・刊)は、ブータンを追われ難民となったネパール系住民を取り上げた一冊だ。
この本によると2011年末時点での世界の難民総数は4300万人。世界人口は70億人だから160人に1人は難民だという。現在はここにシリア難民の数も加わっているからその数は膨大だ。
幸せの国ブータンから追われた人々
150年以上前、ネパールからブータン南部へ移住し、ブータン国籍を取った人々がいた。ブータン人は仏教徒だが、ネパール系の人々はヒンズー教徒が中心だ。移民の数が増えてくると、ブータン政府は宗教も習慣も違うネパール系住民を警戒するようになっていったのだそうだ。
1980年代後半に入って、政府はブータン人を中心とする国をつくることにしました。法律を変え、さまざまな手段で、ネパール系の人びとが暮らしにくい国にしました。その結果、ブータンで土地を持ち何代にもわたって生活してきたネパール系の人びと多くが、ブータンの国籍をうばわれ、国を追われました。そしてネパールに逃れ、難民となったのです。
(『ふるさとをさがして~難民のきもち、寄り添うきもち~』から引用)
難民を救う日本からの支援
本書では難民キャンプで生まれ育った少女にスポットを当て、彼女とその家族の暮らしぶりと、彼らの抱えた苦悩を紹介すると共に、難民を支援しようと立ち上がった日本の企業、個人も取り上げている。
ユニクロでは、世界のすべての難民、避難民に毎年1人に1着を目標に、全商品リサイクル活動をしている。着なくなった商品を日本全国の店で回収し、難民キャンプに届けるというものでカラフルなフリースなどに難民たちは喜んで袖を通しているそうだ。
また、北海道にある富士メガネでは、ふるさとを追われた難民に見える喜びを与えたいと、30年間で13万組のメガネをプレゼントしているという。
個人としては道端ジェシカさんが難民キャンプを訪れたエピソードや彼女の難民支援活動が紹介されている。
今後ますます増えていくだろう難民たちをどうやって救えばいいのか、私たち日本人も真剣に考えなければならない時がきている。
(文:沼口祐子)
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