Source:http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016053090072647.html
2016年5月30日、GOOGLEニュースより、
【カトマンズ=伊東誠】聴覚障害者として世界で初めてエベレスト(八、八四八メートル)の登頂に成功した登山家の田村聡(さとし)さん(51)=東京都立川市=が二十九日、下山後のネパールの首都カトマンズで本紙の取材に筆談で応じた。喜びに顔をほころばせながら、「好きな事をチャレンジしてみると良い。勇気を出せば道が示される」と記し、「挑戦」と大書した。
二十一日の登頂成功から八日。田村さんは「頂上から見た青い空、雲海の合間にのぞく山は神秘的だった」と感動を表した。世界最高峰へのアタックはこれが三年連続三回目。初回は頂上まであと一息のところまで迫りながら、強風のため断念した。
今回も酸素ボンベのマスクが凍り、呼吸が苦しくなるアクシデントに見舞われた。「過去二回の教訓が生かされた。一刻も早く登りたい、というはやる気持ちを抑え、正しい判断ができたと思う」
山好きの父と祖父の影響で、十三歳の時から登山を始めた。これまでの山行は千回以上。聴覚障害者の場合、同行する登山者の合図が聞こえなかったり、自分が遭難しても声を上げて助けを呼ぶことができないなど、健常者にはない危険が伴う。「一番のハードルは落石の音に気付かないこと。これは不安です」と打ち明ける。
「障害者に対する偏見や差別が色濃く残る世の中が変わることを信じています」と力強く書いた田村さん。今後の目標を尋ねると「今は考えていない。でも山登りは続けます」。六月三日に帰国する予定という。
◆シェルパと命の二人三脚
エベレストの登山に、荷物の運搬と案内役を務めるシェルパの支えは欠かせない。田村さんはネパール人男性のシェルパ(38)と二人三脚で登頂に挑んだ。別ルートでエベレストを4回登頂している中堅クラスで、今回が初顔合わせだったという。「危険な場所にザイルを張って、的確に安全なルートを確保してくれた。命を預ける存在であり、非常に助けられた」と田村さんは振り返る。
1990年代以降、商業登山の増加に伴ってシェルパの需要が増え、シェルパの中には大金を稼いで会社を経営する者も現れた。
一方、シェルパが死と隣り合わせの危険な仕事であることは今も昔も変わらない。2014年4月にエベレストで起きた雪崩事故では16人のシェルパが犠牲になり、「消耗品」として扱われたことに怒ったシェルパたちが、ネパール政府に補償金を求めてストライキを行う騒ぎとなった。
<田村聡(たむら・さとし)> 1965年1月、東京都立川市生まれ。生まれつき聴力障害があり、都立立川ろう学校高等部卒。13歳の時、父や祖父の影響で奥多摩や北アルプスを登り、2002年8月には西欧の名峰モンブラン(4810メートル)に登頂。16歳で中型免許を取得。マシントラブルに見舞われ、完走は逃したものの、世界一過酷なレースと言われるパリ・ダカールラリーの二輪車部門にも挑戦した。今は不動産のビル管理の仕事をしている。両親と3人暮らし。
(東京新聞)
29日、カトマンズで、メッセージを書いた色紙を手にエベレスト登頂成功を喜ぶ田村聡さん=伊東誠撮影
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