Source:http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/workers/2016/001403
GOOGLEニュースより、
パク・チョムギュ 非正規職ない世の中作り執行委員 2016.06.14 08:35
6月8日午後8時、建国大病院葬儀場前。 5月28日に九宜駅で安全扉を修理している時に列車に轢かれて亡くなった下請労働者を追慕するために市民対策委員会の主催で文化祭「9-4番乗り場」が開かれた。 多くの韓国の青年たちの間で、移住労組のウダヤ・ライ委員長と移住労働者も十九歳の青年のくやしい死を共に追慕した。 青年の境遇と移住労働者の境遇は同じだからだ。 ソウル京畿仁川移住労働者労働組合(移住労組)は昨年5月に大法院判決を受け、 8月に労組設立畢証が発給されて労組設立10年目に合法労組になった。 それまで政府は移住労組を認めず、「不法団体」であった。
世界移住民の日の贈り物
昨年12月18日の世界移住民の日をむかえ、 金属労組は80人ほどの移住労働者組合員が働いている工場を訪問し、 暖かいバフ(タオルマフラー)をプレゼントした。 プレゼントの包装紙には、移住労働者の国の言葉で 「世界移住民の日おめでとう。われわれは仲間です」と記されていた。 1年に二回(メーデーと移住民の日)、12か国の言語で印刷したニュースレターも配る。 金属労組は慶州と慶南などの自動車部品メーカーで労組を作る時、 移住労働者を組合員として受け入れ、共にしている。
大邱では移住労働者を組合員として受け入れて連帯活動をしている城西工団労組は、 毎週水曜に「移住労働者無料診療所」を運営している。 城西工団の「マチコバ(小規模工場)」で働くモンゴル、バングラデシュ、パキスタンなどの体調が悪い移住労働者を診療し、薬をつける。 病院に行くのが難しい多くの未登録移住労働者がやってくる。 すでに10年目だ。 城西工団労組に加入した移住組合員は60余人だが、夏修練会に行くと100人をはるかに超え、 相談、診療室、ハングル教室に参加する労働者は数百人になる。
通訳-翻訳公益協同組合「リンク」発足
釜山で移住民連帯運動をしている「移住民と共に」は、去る3月10日にコミュニケーションが難かしい移住民と連帯するために、公益的通訳・翻訳協同組合「リンク移住民通翻訳協同組合」を作った。 全国で初めて移住民が主導して作った通訳・翻訳、相談、多文化事業の専門性を持つ移住民の組合員たちが共同で出資して運営している。 組合は、フィリピン語、ネパール語、モンゴル語、ビルマ語、ウズベク語、カンボジア語など12の言語を専門的に通訳・翻訳している。 金属労組で移住労働者事業を担当するイ・サンウ局長も、リンクを通じて労働組合加入願書、賃金および団体協約要求案などを各国の言語に翻訳し、移住組合員に提供している。
大法院の判決が延期された8年間で委員長4人が強制追放
韓国における移住労働者問題は、20年前に遡る。 1994年に産業災害にあった移住労働者が経実連で座り込みを行い、1995年にネパール産業研修生が明洞聖堂で鎖をまいて座り込みを展開し、産業研修生の問題を社会に知らせた。 1994年に始まった産業研修生制度は移住労働者を人として待遇しなかった。 暴行、賃金未払い、産業災害未保障、送出不正、与党差し押さえなど、多くの人権侵害が暴露された。 政府はこれを認め、2003年8月に雇用許可制を立法し、2004年8月に施行した。 3年働き、事業主が望めばさらに1年10か月、韓国で合計4年10か月働ける制度だ。 その後、会社が望めば3か月間出国し、また戻って同じ方式で4年10か月を働くことができる。
しかし政府は雇用許可制が通過した直後の2003年11月から、全国で未登録移住労働者を捕まえ、追放し始めた。 いわゆる「人間狩り」だった。 移住労働者運動後援会のチョン・ヨンソプ事務局長は 「絶望した多くの人々が命を捨てた。 地下鉄に飛び込んだり、コンテナ寄宿舎で首を吊ったり、本国に戻る船の上から飛び降りた」と当時の状況を書いた。 全国で移住労働者と連帯団体が座り込みを行い、特にソウル明洞聖堂では平等労組移住支部をはじめ、移住労働者と団体が摘発追放中断と合法化を要求して戦った。 2005年にソウル京畿仁川移住労働者労働組合(MTU)を結成し、労働権を認める労働許可制導入を要求した。
政府は移住労組が出した労働組合設立申告書を拒否した。 2006年2月7日、ソウル行政法院はソウル地方雇用労働庁の主張を認め、設立申告書返戻が正当だとしたが、 2007年2月1日、ソウル高等法院は1審判決を取り消して労組設立申告書返戻処分には法的根拠がなく、違法と判決した。 だが大法院はなんと8年間、この事件を審理しなかった。 その間、アノアル・フセイン(バングラデシュ)初代委員長をはじめ、 ミシェル・カトゥイラ(フィリピン)4代委員長まで、 移住労組の主な幹部が標的摘発で強制追放された。
昨年、国際労働機構(ILO)理事会は8年間係留されている移住労組設立申告上告審をこれ以上遅らせず、 移住労働者が滞留資格とは無関係に結社の自由の権利と団体交渉権を全的に保証できるようにしろと韓国大法院と政府に要求した。 結局、大法院は昨年5月、8年目に移住労組合法化判決をした。
問題が多い雇用許可制、行く道は遠い
だが行く道は遠い。 事業場の移動の自由を禁じる雇用許可制により、契約期間中に雇用主の許諾なしで会社を移動するとビザを失う。 管理者に殴られて不当な処遇を受けても立証が難しいので耐えなければならない。 農畜産業、漁業、建設業など同種産業間の移動も不可能だ。 2014年冬、大邱でインドネシア出身の移住労働者と会った。 彼は漁業ビザで入り、鬱陵島でイカ釣り船に乗った。 しかし船員たちは彼が上手く話せないとし、毎日殴った。 逃げることもできず、殴られながらイカ釣りをした彼は、陸地におりた後に逃げた。 「未登録移住労働者」になったのだ。 幸い、城西工団労組の助けを受けて、殴られることなく働いている。 同年、韓国人の船員らがインドネシア出身移住労働者船員を殴って死亡させる事件もあった。 2012年、国家人権委員会の実態調査の結果、94%が暴言を、43%が暴行を経験した。
移住労組と各団体は5年以上、十分に働くことができ、会社を自由に移動することができ、 家族と一緒に定着できる方案を用意して、 未登録移住労働者に対する赦免措置を実施しろと要求している。
韓国労働者たちが移住労働者と連帯して戦って16年の歳月が流れた(2000年「移住労働者労働権完全争奪と移住・就職の自由実現のための闘争本部」結成)。 多くの人々が力をあわせて共に戦い、その結果、移住労働者の権利はかなり良くなった。 ところが逆に移住労働者のために韓国人の雇用が減っているとし、 「未登録移住労働者」を追放しろという労働者の声が強まった。 移住労働者の権利を守ることがまさに私の権利を守ることだという階級的覚醒がさらに重要な時期だ。
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