Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/fb72859a115bfab75280cc4b68204eed4833dc4a
【&M連載】隣のインド亜大陸ごはん
インド、ネパール、バングラデシュ……、日本で出会うことが多いインド亜大陸出身の人たち。日本では普段、どんな食事をし、どんな暮らしをしているのでしょうか。インド食器・調理器具の輸入販売業を営む小林真樹さんが身近にある知られざる世界の食文化を紹介します。 【画像】もっと写真を見る(17枚)
区民農園で採れた「ラルシャク」
「これがバングラデシュの野菜、ラルシャクですよ」 強い日差しのもと、ホーセンさんは自慢の畑にしゃがみ込むとこちら側にその特徴的な色味をした葉の部分をグイッと向けて見せてくれた。確かにベンガル語の名が示すとおり、「赤い(ラル)葉(シャク)」をしている。 ホーセンさんが住む葛飾区内にある区民農園では、ナスやジャガイモと共に赤紫色をしたラルシャクが収穫期を迎えていた。 ラルシャクは英語でアマランサスといい、インド東部やバングラデシュではその葉が広く食用にされ、地元の野菜市場でもよく売られている。しかし実際にこうして土に植わっている姿は初めて見た。 刈り取られたラルシャクが、歩いて15分ほどのホーセンさん宅に持ち込まれる。奥さんのピンキーさんは、その採れたてを手早くバジ(炒め物)にする。 「本格的に料理をはじめたのは結婚してから。実家にいる時はお母さんにまかせっきりでした(笑)」 そう謙遜するピンキーさんだが、横で見ていると実に手際よく調理を進めている。収納も見事で、とりわけ冷蔵庫の中の見事な整理整頓のされ方がピンキーさんの几帳面(きちょうめん)さをよくあらわしている。 かたわらのボウルには、こちらも先日畑で採れたばかりだという大ぶりのカリフラワーが、スパイスでマリネされた鯛(たい)と共に下ごしらえされている。料理名は「フルコピル・マチェル・ジョル」という。直訳するとカリフラワーと魚の汁物料理となる。使う鯛は冷凍ではなく、生の尾頭付き。それをバングラデシュらしくブツ切りにしてスパイスでマリネしている。
来日後の食生活と故郷の味
「今ではバングラデシュ産の魚を冷凍して日本に輸入する会社が増えました。われわれベンガル(=バングラデシュ)人は魚が大好きなんでね。でもやっぱり味が違うんですよ。冷凍は冷凍。だったらバングラデシュの魚じゃなくたって、日本にもおいしい鮮魚がいっぱいありますから。特に鯛はバングラデシュの魚に味が似ていて、私たちの料理にもよく合うんです」 ホーセンさんがいうように、確かにここ数年でバングラデシュの食材を扱う店は、東京を中心に劇的に増えた。バングラデシュの国民魚といわれるイリッシュ(英語でヒルサと呼ばれるニシン科の汽水魚)ですら輸入されるようになっている。 ただし輸送の関係で、どうしても冷凍ものになる。すると日本生活が長いバングラデシュ人などは「冷凍か生か」で迷うようになるのだ。 冷凍でも故郷で慣れ親しんだ魚にするか、それとも鮮度の高い日本の魚にするか……。「身体が米と魚でできている」とまでいわれるバングラデシュ出身者ならではの迷いだといえよう。 ホーセンさんのフルネームは、林ホーセンという。その姓からわかる通り、バングラデシュから帰化して現在は日本国籍を取得している。 「初めて日本に来てみたら、街はきれいで安全だし、人も良いしで本当に好きになっちゃって。職場の社長や周りの人たちに助けられて、帰化申請することにしたんです」 先行して兄や親戚たちが来日していたこともあり、2004年に初来日する前から日本のことは強く意識していた。社会科の授業で日本の事例を習うほどバングラデシュは日本への関心が高い。勉強や仕事の機会を求めて多くの人たちが来日もしている。 それでも帰化して日本の国籍を取得するまではさまざまなハードルをクリアしなければならず、決して「好き」なだけでは通用しなかったはずだ。ホーセンさんのほがらかな笑顔の下には、そうした苦労が隠されているのである。 ホーセンさんの家業は布の染色工場である。バングラデシュは女性の着るサリーなど繊維産業が昔から盛んで、大小さまざまな工場が都市部近郊に密集している。近年では多くの世界的な外資系アパレルメーカーが現地生産の拠点を置くようになった。 「ウチには20人ぐらいの職人がいましたね。彼らの大半が、実家に隣接した寮に住みこみでした。よく食事を作っている姿を見ていましたよ」 住みこみの職人たちの食事は、ひと月ぶんの食費を渡され自分たちで作るのがバングラデシュ式。食事当番を決めて交代制でまかないを作るのだ。子どもだったホーセンさんもよく食べさせてもらったが、お母さんの作る優しい味とは違う、塩やスパイスが強めの「職人の味」だったのをよく覚えている。
周囲のサポートに支えられて
こうした経験から、来日したホーセンさんは葛飾区立石の染色工場に就職。やがて同じバングラデシュ出身のピンキーさんと見合い結婚し、娘のイシラトちゃんが生まれた。そのイシラトちゃんが日本で成長するにつれ、一つの問題が生じてくる。 「やっぱり日本語の問題ですね。私たちも日常会話には困りませんが、子どもの学校とか病院の書類関係がどうにもならなくて」 それをサポートしたのが、当時の会社の同僚だった日本人女性Aさんだった。相談を持ち掛けられたAさんは、しばしばホーセンさん宅を訪ねるようになる。するとお礼も兼ねて夕飯をごちそうになる機会が増えた。 「夕方になると香辛料のいい香りがしてくるんです。それがとてもたまらなくて(笑)今まであまり食べたことのない魚介のスパイス料理ですが、食べてみるとご飯にもよくあう味でした」 もともと専門店巡りをするほどインド料理好きだったAさんだったが、ピンキーさんの作るバングラデシュの家庭料理はそれまで食べたどの店でも味わったことのないものだった。すっかり魅了されたAさんは、その後もイシラトちゃんのサポートを口実に足しげくホーセンさん宅に通い、その都度夕食のご相伴にあずかった。 食べるだけであきたらず、料理まで教わるようにもなる。そうしてピンキーさんから教わったレシピはかなりの量になり、今ではその蓄積されたレシピをミニコミ誌にして販売したり、ピンキーさんと共に料理教室を開催したりするまでに至っている。
ライスが進む、心づくしの家庭料理
そうこうしているうちに、本日の料理が完成。 テーブルに並んだのはラルシャクのバジ、鯛を使ったフルコピル・マチェル・ジョルのほか、暑い時期によく食べるという青マンゴーの入った少し酸味のあるダル(豆のスープ)、骨つきのゴルル・マンショ(牛肉)がゴロゴロ入ったこってりとしたブナ(炒め煮)など。 バングラデシュは日本と同様に米食文化圏で、おかずの全てがライスに実によく合う。またバングラデシュではおかず類はそれぞれ皿に盛り、個別にライスと共に食べる。ほかのおかずと混ぜることはしない。 よく一つのお皿の上に複数のカレー系のおかずをのせ、互いによく混ぜて食べるのが本式だなどといわれるが、少なくともバングラデシュ(ベンガル)の食べ方にそれはない。ライスの上にのせた一つのおかずを食べきってから、次のおかずをのせていく。 ピンキーさんの心づくしの料理はどれもおいしくライスが進み、気がつくとつい3回もおかわりをしてしまっていた。膨張した腹をさすりながら、しばし余韻にふけっていると、食後のミシュティ(甘い菓子)が出てきた。バングラデシュの食を特徴づけるのはまず魚、そして米、それからこの甘い菓子といわれる。 この日出してくれたのはチョムチョムとションデシュ。共に乳脂肪から作る代表的なベンガル菓子で、バングラデシュの人たちの大好物だ。 「誰かお客さんが来た時だったり、お祝い事だったり。まあ、何もなくても私たちはよくお菓子を食べるんですけど(笑)こういうミルク菓子はお気に入りのお菓子屋から買うことが多いのですが、ピターなんかは自宅で作りますよ」 そういうとピンキーさんは、ピター作りにも使うという、地元から持参したコライと呼ばれる鍋を見せてくれた。 ピターとは主に米などの穀物を発酵させ、蒸したり焼いたりした軽食の総称だ。菓子のように甘く味付けするピターもあれば、軽く塩味をつけおかずと共に食べるピターもある。屋台の人気料理だが、朝食として家庭で作ることも多い。 「昔は家でよくピターを作ってましたけど、今では屋台で買う人が増えました。昔と違って外食する人が増え、自宅での料理時間が短くなったからでしょうね」 それが果たして良いのかどうか……という含みを持たせながら、ピンキーさんはよく手入れされたコライを大切そうに棚にしまった。 Aさんと共催する料理教室は回を重ねるごとに、参加する日本人が増えている。料理を通じてバングラデシュ文化に関心を持つ人が一人でも多く増えれば、というのが二人の共通の願いだ。そしてこれほどうまいバングラデシュ家庭料理ならば、確かにもっと広く知られるべきだと私も強く思った。 ■著者プロフィール 小林真樹 インド食器輸入業 インド食器・調理器具の輸入販売業を主体とする有限会社アジアハンター代表。1990年頃からインド渡航を開始し、その後も毎年長期滞在。現在は商売を通じて国内のインド料理店と深く関わっている。最大の関心事はインド亜大陸の食文化。著書に『日本の中のインド亜大陸食紀行』『日本のインド・ネパール料理店』(阿佐ヶ谷書院)『食べ歩くインド』(旅行人)。最新刊は『インドの台所』(作品社)。
朝日新聞社
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