Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/5dae5f05d8691804e83b1145788436906b1f32a4
配信、ヤフーニュースより
TBSテレビ ドキュメンタリー「解放区」
世界的なクライマー・山野井泰史。未踏の巨壁にソロ=単独で挑むというスタイルから、かつて「天国に一番近い男」とも言われた。2002年には、ヒマラヤの高峰ギャチュン・カンの北壁に挑み、壮絶な登山の果てに生還したものの、手足の指10本を失った。その山野井が人生最大の目標と定めた巨壁がある。「ヒマラヤ最後の課題」と呼ばれ、世界第5位の高さ8463メートルの頂上に突き上げるマカルー西壁。超高所にオーバーハング(垂直以上に突出)した岩壁帯があり、その恐ろしいほどの迫力は、挑戦するトップクライマーたちの勇気をも打ち砕く。半世紀を経て蘇る巨壁との闘いを語る山野井に、人生の目標を探すためのヒントが見えた。
手足の指、凍傷で多数失っても「山から情報つかむ能力は自慢」
今年6月、伊豆半島の、とある洞窟。クライマー・山野井泰史は、壁を相手に1人格闘していた。岩にかけた右足の靴は、左足よりも小さい。19年前のヒマラヤ登山の末に、凍傷で全ての指を失ったためだ。両手の指のうち5本も凍傷で失った。山野井は、壁のクラック(岩の溝)に、少なくなった指をねじり込み、何度も何度も挑戦を続けていた。 山野井は、10歳の時に山登りを始めて以来、3000回以上のクライミングを経験してきた。中でも山野井は、単独で登ることにこだわり、標高差が1400メートルある極北のトール西壁単独初登攀を皮切りに、世界第6位の高峰チョー・オユー南西壁新ルート単独初登攀など、「ソロクライマー」として世界の未踏の巨壁に挑み続けてきた。しかしソロは、最も危険なスタイルでもあり、多くのソロクライマーが登攀中に亡くなっている現実がある。「天国に一番近い男」と言われたこともある山野井が、なぜ生き残ってこられたのか。 「最終的には運とかいうけど、ものすごい場数を踏んでるし、山からの情報をつかみ取る能力は、一番自慢できると思う。」 「登山を始めているときから達観しているのは、生命あるものは簡単に失われるというのを子供のころから、やたら意識している。来週はこんな危ないところに行くんだ。もしかしたら一歩間違ったら死んでしまうかもしれない。それを毎週のように繰り返している。運動能力とは違うところで、瞬時に判断していく能力もこの時代に養ったのかもしれない。」 山野井は中学生のころから、岩登りにのめりこんでいった。高校時代に書いた手帳を見ると、毎週末の休みは岩登りに明け暮れ、このころから谷川岳一ノ倉沢などで「単独登攀」の記録も見られるようになる。高校卒業後は、登山家として生きる道を選んだ。その山野井が「ソロクライマー」として、人生最大の目標と定めたヒマラヤの巨壁がある。
ヒマラヤ最難ルートに挑んだ唯一の日本人
きっかけは、高校時代に買った1冊の山岳雑誌だった。世界第5位の高峰マカルー(ネパール)の未踏の西壁への挑戦が特集された。1981年、ポーランドの伝説的クライマー、ヴォイテク・クルティカらが、春と秋の2度にわたって挑戦したものの、7800mから始まるヘッドウォールに到達したのを最後に敗退した記録と、マカルー西壁の写真だった。 「あきらかに垂直以上あるこの影とか、これを見た時、(頂上が)8400m以上あって、なおかつ頂上直下にこんなに切り立った岩壁がある。そしてあの英雄的なクルティカが全然太刀打ちできなかった。えー、どんなのマカルーってちょっと思ったし。そのときから17,18歳からマカルー西壁は頭にずっとこびりついていたと思う。」 「マカルー西壁って完璧な課題だよね。ピラミッドのような形の山で切り立った壁。完璧だね。」 マカルー西壁は標高差2700メートル、8千メートル近い高所にオーバーハングした岩場があり、難しい岩登りを強いられる。頂上を踏んでも、希薄な酸素の中でビバークしなくてはならず、無事に帰って来られるかどうかはわからない。あまりの難しさゆえ、「ヒマラヤ最後の課題」とも言われる。高所での強さと実績、高いクライミング技術を兼ね備えた一流クライマーとしての「資格」が必要とされ、これまで挑戦したのはチームで10隊にも満たない。 「クライマーだったらマカルー西壁に興味を持つと思うけど、勝算がないというか、確率があまりにも低すぎる。行ったら死んでしまうかもしれないと思うから行かないのかもしれない。マカルー西壁に挑むくらいのクライマーという言い方をするとほかの人に失礼だけど、歴史を塗り替えてやろうとかそういうレベルではなくて、もっと本当に純粋に山が好き、垂直のところを登ってみたい。それも困難を突破してみたいと思う人じゃないと行かないんだろうね。」 1996年、ついに挑戦するときがやってきた。後にも先にもマカルー西壁に挑戦した唯一の日本人として…山野井31歳の時だった。
マカルー西壁、頭上から雪崩と落石「どうにもならない」と涙
頭上からひっきりなしに落ちてくるチリ雪崩(粉雪が斜面を滑り降りる雪崩)と落石。そして巨大なオーバーハングした壁を前に、山野井は葛藤を始めていた。 「本当に威圧的に、下から登っていくと、被っているように見えたね。一歩一歩が勇気を必要とする…地獄に向かっていくような感じで、触りたいような触りたくないような。そんな感じで一歩一歩進めて行くからスピードも上がらないし…。」 夜間登攀の最中、今まで経験したことがないくらい、強く深い衝撃が頭に加わった。7300メートル地点に来た時、山野井のヘルメットに落石が直撃したのだった。 「雪に顔をこすりつけながら、もう十分だ、どうにもならないと思い、涙をこぼした。(山野井の日記より)」 マカルー西壁は、山野井が想定したよりもはるかに難しかった。体力面も、高所に適用する能力もすべてが足りなかった。山野井は挑戦を断念したものの、再びマカルー西壁をやると心に誓っていた。しかし、この6年後、ヒマラヤのギャチュン・カン(7952m)で手足の指10本を失い、再び挑戦する夢はあきらめざるを得なくなってしまった。 「あと何年、ぼくが生きるかわからないけど、死ぬ間際に、あー、マカルー西壁を登れなかったなあって思うかもしれない。絶対的な理想、絶対的な夢を達成できなかったというのはやっぱりちょっと残っている。マカルーを登れるくらいの理想のクライマーになりたいとずっと思っていたのになれなかった。第三者は関係ない。マカルーがあって僕があって、僕は登れなかった。」 絶対的な理想を目指す先に広がるのは、同時に“死と限りなく近い世界”だ。自分には超えられない壁があるという挫折は味わったが、とにかく山野井は死なずに済んだ。指を失わずに挑戦を続けていたら、もしもの時が訪れていたかもしれない。 山野井のマカルー西壁への挑戦から25年。その後、世界最強とも言われたスロベニアのクライマーなどが挑んだが、山野井の到達点までも行けずに敗退している。今後、マカルー西壁を登るクライマーは現れるのだろうか。 「(もし登った人が現れたら)どうやって岩を触ったのか、氷にピッケルを突き刺したのか、どういう景色が見えたのか、聞いてみたいなと思う。生身の人間が8200mぐらいのところで酸素ボンベも使わずに垂直の岩壁を登っている感覚ってどういうものなんだろう。」 もし若いときに戻ってもう一度、マカルー西壁に挑むとしたら―――。 「マカルー西壁には1人でいた方がきれいだね。登れるか登れないかわからないけど、あの巨大な三角形の中に、ぽつんと1人いて、垂直のところをガシガシガシと登っているのが僕の中で理想のクライマーだから。そもそも成功させるために行っているのかも微妙。ここに自分がいたらいいだろうなというのを想像する。」
山野井の9歳年上の妻であり、クライマーでもある妙子は、山野井のことをどう見ているのだろうか。
妻「山のことだけ何十年も集中できる珍しい人」
山野井の妻・妙子も日本を代表するクライマーだ。ヒマラヤでは、マカルー(8463m)に一般ルートから登頂後、8千メートル以上で2晩もビバークを強いられ、手足の指18本を凍傷で失ったが、その後も8千メートル峰2座の登頂に成功している。2人は28年間、奥多摩で生活し、去年、伊豆に引っ越した。それまでと同じように普段は質素な生活をしながら、好きな山に出かける人生を続けている。 インタビューの途中、山野井が過去の登山を振り返って「本当に満足できた登山は一度もなかった」と言い出した。成功した登山でも、もうちょっと頑張れたのではないかと思ってしまうのだという。それを聞いた妙子が語った。 「でも結局満足したとしても次を探すわけでしょ。(山登りを)やる気がなかったのはギャチュン・カンで入院していた前半くらい、そのときは本当に何にもやる気ないんだなと思ったけど、あとは常に何か探していて。大きな目標でなくても、何か探してそれをやってる。」 山野井を、どんな人だと思うか尋ねると―――。 「めずらしいかな。そういう人。ずっと山というかクライミングのことだけ何十年も集中できるというのは珍しいのかな。」 手足の指10本を凍傷で失って、岩登りの能力が落ちただけではなく、年齢とともに体力も少しずつ衰えてきた。それでも…。 山野井「普通、運動する人たちは、そうだったらやめるとかすると思うんだよね。アスリートたちはピークから落ち始めたら耐えられないでしょ。それもなおかつ命がかかっているような行為なら。本当に俺、おかしいくらい山が好きなんだなっていうのだけは、今でも思います。やめられない。」 今年6月、山野井は、伊豆半島にある洞窟の壁に1本のルートを引いた。登っている間の驚異的な集中力と叫び声…山野井に宿る「狂気」が一瞬姿を見せた。自分の能力の限りを尽くして挑戦する山野井の姿勢は、今も昔も変わらない。命がかかった行為だが「趣味」と言い切る。名誉や名声も求めない。何よりも大切なのは全力を傾けるに値する「目標」=山をみつけることだ。「生きがい」と言い換えてもいいかもしれない。それを探す努力をしないと見つけられないことを、山野井が教えてくれている。(敬称略)。 この記事は、TBSテレビ・ドキュメンタリー「解放区」とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
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