Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/3e6ded483e4b84356f0ef6b8c7d116eed8f894a9
配信、ヤフーニュースより
「顔がパンパンに腫れた娘が全裸で仰向けに…」出稼ぎネパール人が起こした残虐殺害事件の真相 から続く 【写真】この記事の写真を見る(5枚) いつの時代もなくならない凶悪犯たちが起こす悲惨な事件。彼ら彼女らはなぜ人の道を踏み外し、いとも簡単に人を殺める獣へと変貌してしまうのか。 ここでは、『 日本の凶悪犯罪 昭和―令和「鬼畜」たちの所業100 』を引用し、オッカケまで生まれた連続殺人犯・山地悠紀夫の実像に迫る。快楽殺人犯といわれた男が女性殺しに走った本当の理由とは。(全2回の2回目/ 前編 を読む) ◇◇◇
殺人鬼・山地悠紀夫の実像
2005年11月17日未明、大阪市浪速区のマンションで発生した火災現場。部屋に突入した消防隊員は無残な姉妹の刺殺体を発見した。この部屋に住む姉と妹のものだった。殺人事件だったのだ。翌日からこの事件は大阪姉妹殺傷事件として大きく報道された。姉妹は何カ所も刺されて絶命したうえに暴行の痕跡もあった。残忍な犯行状況に、外国人犯罪やストーカー説も出ていたが、1週間もすると情報がなくなり、報道は止まってしまった。 同年12月5日、事件の犯人は逮捕された。その男の名は、山地悠紀夫。筆者は耳を疑った。この男は、5年前、母親を撲殺しており、その事件を筆者は取材していたのだ。大阪の事件も発生直後に現場に入った筆者は、同じ犯人の2回の殺人事件を現場で再び取材することになった。その後、関係者に話を聞き、裁判傍聴を続け、『我思うゆえに、我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人』(小学館)を山地の死刑執行後に上梓した。 今回、初めて明かす取材の裏側まで含めて、殺人鬼・山地悠紀夫の実像に迫りたい。
「俺がここを出るのを待っている女がいる」
山地は、1983年に山口県下関で生まれた。アル中の父親とは小学生のときに死別しスーパー店員の母との母子家庭となった。キレやすい性格で、暴れて小学校の窓ガラスを腕で割ったこともある。中学の途中からは、不登校となり、同世代の女の子とはほとんど話をしたことがない。 新聞配達をしながら16歳になった山地に初恋の相手が現れた。幼い頃から通っていたおもちゃ屋に新しく入った店員、江崎美幸(仮名)だった。7つ上の23歳。小柄で茶髪、年齢より幼く見えた。優しく話しかけてくれる彼女に山地はすぐに惹かれた。 「婚約者がおるんやけど別れるかもしれん」 江崎は彼氏への当てつけに年下の山地と毎日遊んだ。発作的に山地が告白した夜、なし崩し的にセックスをした。山地の初体験だった。 「妊娠したら責任とってね」 行為が終わり、16歳には背負いきれない言葉を江崎はぶつけてきた。その気になった山地は、当時やっていた新聞配達のバイトを増やそうとしていた。
この山地の異変を訝しげに母親は見ていた。母親は江崎の携帯に無言電話をかけたのだ。それを知り激高した山地は母親を撲殺してしまう。その母親殺害の件の取り調べでの山地の言葉だ。 「すぐに殺さないよう、頭、つまり『急所を外して』殴った(中略)ガラスなども割れた上を母はのたうちまわっていた。(中略)どのくらい殴り続けたかわかりませんが、ある人のことが頭の中に浮かび金属バットを持っている手が止まった」 それは江崎美幸のことだった。母殺しの数時間後、山地は江崎を昼食に誘った。その席で「僕、血の臭いがしないか」と、山地はしきりに聞いていた。母親の肋骨は折れ、顔の判別もつかないほどの状態だった。その後、自分から警察に通報して山地は逮捕された。2000年7月31日のことだ。結果、家裁送致の後、山地は少年院に送られた。 少年院時代、山地は「俺がここを出るのを待っている女がいる」と自慢げに話していたという。だが、江崎からの連絡は一切なかった。
第2の殺人は「初体験」の代償行為か
わずか3年ほどで少年院を出てきた山地は下関でパチンコ屋の住み込み従業員となった。休日ごとに下関から山口まで通っていたという。それはあてもなく江崎を探すためだった。 「お前、山地やろが」 山地は、少年院出身者に恐喝されるようになった。逃げるように職場を変わり、行き着いた先はパチスロのゴト師のグループ。福岡を拠点に山地は全国を回った。そのときの仲間の話だ。 「みんなで風俗に行くときもオレはいいよと断ってた。キャバクラでも、山地は女の子とほとんど話ができんくらいシャイやった」 その山地が、ゴト師グループを追われると、姉妹をレイプ殺人したのだ。05年11月17日、少年院出所からわずか2年後のことだった。 取り調べでは残忍な様子を嬉々として語っている。 「妹の胸からナイフを抜いたときに妹の身が仰け反ったのを見て興奮がマックスになって完全に勃起しました。(中略)強姦するのに妹の手が邪魔になるので、妹の手をナイフで切りつけました。(中略)自分の性的興奮を増すため、妹の右頰を左手に持っているナイフで突き刺しました」
さらに動機についてもこう語った。 「私が2人を殺した理由は、昔、母を殺したときのことが楽しくて、忘れられなかったためです。それで、もう一度人を殺してみようと思い、2人を殺したのです。その対象は、この2人でなくても誰でもよかったのです」 無差別に「誰でもよかった」と言っているが、明らかに姉妹の姉のA子さんを狙っていた。
被害者女性の一人は江崎美幸にそっくりだった
山地がいた大阪のマンションの下の階にA子さんは住んでいた。山地はA子さんの部屋の配電盤をいじって停電させている。同居人の有無を調べたようだ。犯行前日には壁伝いに侵入も試みていた。「誰でもいい」ではなく、帰宅時間を待ち伏せしてまで、犯行を実行したのだ。A子さんは背格好と雰囲気が、あの江崎美幸にそっくりだった。 姉妹を強姦殺人したあと、山地は部屋に放火して立ち去っている。金目のものは置いていても、なぜか姉が愛用していたライターだけは持ち歩いていた。結局、それが逮捕の決め手でもあった。 江崎美幸への思いの代償行為としての殺人。初体験のことを知っている筆者は、そう確信している。
「母親を殺したとき、射精していた」山地を落とした女性検事
その山地の殺人の動機を特定したのは、取り調べにあたった大阪地検の女性検事だった。彼女は間違いなく、山地の生涯で母親以外で一番長く時間を過ごした女性だ。法廷で見た彼女は、30代前半だろうか、パンツスーツにショートカットの理知的な美人だった。 罪状はすべて認め、自らも死刑を望んでいた山地だが、起訴前の検察にとっては、不可解な動機だけが難点だった。そこで、検察は山地の供述に「快楽殺人者」というひとつの誘導を仕掛けたのではないか。そうした供述を引き出す切り札が、この女性検事だった。 「母親を殺したときには、あとで気づいたのですが射精していました」 16歳では言わなかったことを女性検事の前で初めて語った。そのうえ、姉妹をレイプする供述も女性検事の取り調べで嬉々として語っている。彼女の前では、快楽殺人鬼・山地悠紀夫なのである。 のちに法廷で「社会に戻れば、また殺人を犯すでしょう」とまで証言して、大きく報道された。
山地は本当に快楽殺人者だったのか
だが、山地が本当に快楽殺人者であったのかは疑問が残る。性衝動と殺人願望が結びついた行動は、ほかには確認できないのだ。 山地は女性検事の求めに応じて供述していたのではないのか。彼女のため、凶悪な快楽殺人犯を演じたのではないか。 山地が読んでいたお気に入りの漫画に『いちご100%』がある。ラブコメ漫画だが、山地は好きな漫画を『ゴルゴ13』だと取り調べでは語っている。江崎の前でも「自分は暴走族にいた」などとワルぶって語っていた。山地は明確に自分を演じ分けていたのだ。 強面の府警一課の刑事の取り調べを拒否していた山地は、この女検事に対してだけは、求められるままに供述をしている。 山地には、疑似恋愛的な、ほのかな憧れが女性検事に対してあったはずだ。だが、その彼女が法廷で求めていたものは、山地の「死刑」にほかならない。 いみじくも、その生涯を、女から求められた死によって山地は閉じることを選択したのだ。
オッカケがいる殺人鬼
山地の死刑執行は、09年7月28日早朝だった。享年25。 その直後から、ネットではイケメンとして一部に熱狂的な女性ファンが出現した。 〈顔立ちが端正で幸薄そうで、不謹慎だけどある種の美しい悲壮感が漂ってるよね〉 ファンは法廷にも複数いた。初公判以来、殺人鬼である山地悠紀夫を一目見るため熱心に法廷に通っていた。つまり殺人犯のオッカケだった。 ニヒルに笑う写真の影響か、一部の女性の間では、かなり人気なようだ。 それは山地の人生で最大の皮肉だ。生前の山地の恋愛はひとつとして成就していない。そのことこそが、山地の殺人をひも解く鍵である。 それは、ずっと取材していた筆者の結論だ。実は、山地の取材過程で、供述調書を手に入れていた。拙著『我思うゆえに、我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人』は、山地や関係者などの供述調書をもとに執筆した。江崎との初体験の様子まであるのは、そのためである。 筆者にとっては、快楽殺人犯とされた山地悠紀夫は、どこまでもシャイで恋愛に不器用な男でしかない(本文中敬称略)。
小川 善照
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