Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/22bd2f01e5fe456e1522ba353e104a3047d3720b
「韓流の街」として知られる東京・新大久保(新宿区)。JR新大久保駅の周辺、とりわけ改札を出て右側(東側)は平日でも韓国のドラマやミュージシャンのファンの女性たちで賑わっている。だが、駅を挟んで反対側には、別の世界が広がっている。ネパール語、ベトナム語、アラビア語……多様な言語の看板と、"ビミョー"なフォントの日本語の看板が混在し、まるで映画などで描かれるサイバーパンクの街並みだ。 【写真】新大久保の街並み そんな新大久保の一面を「再発見」したのが、ライターの室橋裕和さん(46歳)だ。 著書『ルポ新大久保』(辰巳出版)によると、戦前、新大久保からほど近い新宿・歌舞伎町に留学生を受け入れる「国際学友会」ができた(現在は移転)。戦後に新大久保で小規模ではあったが韓国人が暮らし始めた。1983年には中曽根首相(当時)が「留学生10万人(受け入れ)計画」を発表すると、「国際学友会」という土壌があった新大久保に日本語学校が増えた。また一方で、歌舞伎町で働く人たちの流入などもあり、長い時間をかけて国際化が進んだ。 現在、新大久保(大久保1丁目2丁目)の住民の35%が外国人であるという(2020年7月時点)。 新大久保で3年半暮らし、取材を重ねてきた室橋さんに、この地域の面白さと人々が抱える課題について聞いた。(土井大輔) ●雑多な国の人たちが暮らす街 ――「新大久保」の魅力ってなんでしょうか。 外国人が多いことがそうなんですけれど、いろんな国の人が一つの街に住んでいるというは、なかなかないのではないでしょうか。高田馬場(新宿区)にはミャンマー人が多いとか、西葛西(江戸川区)はインド人が多いとかありますが、この街は本当に雑多な国の人たちがごちゃごちゃと暮らしていて、自分もその一人になれるという魅力がありますね。 ――新宿の隣にこんな街があったんだっていう驚きがありますね。 みんな基本的にコリアンタウンしか見てないんですけど、それはあくまで一面に過ぎません。しかもコリアンタウンはテーマパーク的な観光地であって、韓国人が昔から住んでいた街ではないんです。上野(東京都)とか川崎(神奈川)、鶴橋(大阪)のように「生活の街」として発展してきたコリアンタウンとは違いますね。 ――新大久保ではどの国のコミュニティが大きいのでしょうか。 今はネパールとベトナムです。あとバングラデシュ、それから国を問わずムスリム(イスラム教徒)の人たちのコミュニティも大きいですね。韓国のコミュニティはあるにはあるんですけど、ビジネスとしての繋がりなのかなと思います。住んでいる人もいるにはいるんですけど、多くはない気がします。 ――言語は? 日本語の次は英語がたくさん使われるのでしょうか。 ヒンディー語かもしれないですね。ヒンディー語だと、インド人、バングラデシュ人、ネパール人、パキスタン人、このあたりが通じます。共通語としてのヒンディー語ですね。「イスラム横丁」なんかは、完全にヒンディー語のエリアです。英語は3番目じゃないかな。 ――室橋さんが新大久保に住み始めて3年半。大きく変わったところってありますか? 南アジア、ベトナムの勢いと、ハラル(イスラム教の戒律にのっとった食材など)の店ですね。少しずつ増えて、じわじわと広がっています。(大久保駅の西にある)小滝橋通りを越えて5、6軒、もっとあるかも知れません。このコロナ禍でもお店を開く人が結構いるんです。よくやるなぁと思うんだけれども。そういう変化や驚きはありますね。 ――ベトナムとハラルってなにか関係があるんですか? 関係ないんですよ。ただ、ハラルの店側は、この街にベトナム人が多いことをよく知っているんです。だからベトナム人向けの食材も売ろうという発想になったということですね。ハラルショップには、基本的なベトナムの食材はだいたい置いていますね。ニョクマム(魚醤)とかフォーに使う米麺とか、ベトナム人が好きな「ハオハオ」っていう袋麺とか。このあたりは押さえていますね。 ――おすすめのものってありますか? これを買うといいよ、みたいな。 スパイスはいろんなものがあるので、特に自炊をする人はすごく楽しいと思います。ハラルショップだけじゃなくって、中国、韓国の食材店、東南アジアも。僕はけっこう自炊をするので、いろいろ買って歩くんですけれども、ほんと面白いです。インドの店なんかだと粒胡椒がすごく安いです。あとはナツメグなんかが使いやすいのかなと思います。肉料理にちょっと入れるだけでも、違いますしね。スパイスファンにはすごく注目されている街ですよね。 ●コロナ禍の新大久保に変化も ――新型コロナの影響はどうですか? この1年間でだいぶ外国人が減ってるんですよ。新大久保だけで1000人ぐらい減っていると思います。新しく留学生が入って来られないというのもあるし、卒業した留学生の行く場所がない、就職先がないというので、PCR検査を受けて国に帰ったという子もいます。 ――体感としても「店が閉まっている」という感じでしょうか。 長年続いた老舗のチュニジア料理店が潰れたりとか、ネパールの店もいくつか潰れたかな。あとは「明らかに客が入ってないな」「大丈夫かな」というお店もある。韓国のお店では営業が続いているように見えて、店名が変わったとか。要はオーナーが変わったということなんですけれども。あとは首をつったという話を聞いたこともありますね。食っていけなくて、借金があって。 ――彼らは補償を受けられたのですか。 それは全部受けられています。基本的に国籍で差別はしていないんですね。ただ、外国人も最初は「えっ、俺らももらえるの?」って感じで知らなかったわけです。外国人もオッケーというアナウンスをしなかったんですよね、日本政府は。ホームページを見ても、役所に問い合わせてもわからない。「いちいち明記しなくても日本に住んでるんだから当たり前でしょ」っていう意思表示だったかもしれないし、面倒くさかったのもしれないし、忘れていただけなのかもしれないですけれど、アナウンスはすごく遅れていましたね。 でも、いろいろ調べた結果、特別定額給付金も、持続化給付金も、東京都の感染拡大防止協力金あたりも全部オッケーでした。ただ、お金を借りる、給付ではなくて貸付けに関してはその人の在留資格によるんですよ。基本的に永住者とその配偶者のみ。その他に関しては「要相談」ということで。貸付けなのでいつか返さなければならない。そうすると労働許可を取って住んでいる外国人あるいは留学生というのは、一時的にこの国にいるだけであって、いずれ帰るんでしょうという判断で、貸すには躊躇するということもあったんでしょうけど。 この件に関しては、諸外国よりもちゃんとやっていたと思いますよ。この街に住んでいる外国人は「安倍さん、ありがとう」って言ってましたからね(笑)。特にネパールとかバングラデシュとかから来た人たちは、感謝してる人が多いと思います。彼らの国では、そうした補償がなかったので。日本にいたほうが安全だし、安心できると言ってましたね。 ――申請はどうやってやったんでしょうね。かなり大変だったと思うんですけども。 自分でできる人は本当にわずかですよ。日本人だって面倒じゃないですか。彼らは、ビザのアレンジを頼んでいる行政書士とか税理士、あとは自分の会社の書類をやってもらっている弁護士にお願いしていますよね。お金を払って依頼して。そういう人がほとんどです。新大久保には行政書士の事務所が結構ありますよ。外国人向けのフリーペーパーに広告を出したりしていますから。ビザのアレンジ、会社設立、「家族滞在ビザで故郷から家族を呼べます」とか。そういうアピールの広告を出している業者がいっぱいありますね。 ●改めて考えさせられた「街の人たちとの交流ってなんだろう?」 ――本では、この街に暮らす外国人は「商魂がたくましい」と書かれていましたが、なぜなんでしょうか。 「昔は日本人もそうだったんだよ」って、近所に住むおっさんなんかは言いますね。バンバン商売を仕掛けて、失敗したら「しょうがない」ってまたやり直すみたいな。やっぱり上り調子の国、ベトナムから来た人たちなんかそうですね。みんな「一度は商売を」みたいなことを言いますよ。失敗する人も多いですけれども。 ――新大久保という街の課題としては何がありますか。 あえていえばゴミかな。ちょっと路地を入るとゴミが目立つことがありますね。強いて言えばそれぐらいです。治安に関してはよく言われるけれど、そんなに問題があるようにも感じられないですね。 基本的にはみんな平和に共存していますよね。最近では人種混在型のビジネスがどんどん増えています。ネパール人と日本人が共同で八百屋を経営したり、ベトナム人とネパール人が共同で居酒屋をやってみたり。韓国レストランでも、雇っているのはベトナム人とかネパール人のアルバイトだったり。そういうのは珍しくもない。基本的にみんな生活者であったりビジネスをしている人たちだから、日本に腰を据えていたいんですよね。余計なトラブルを起こしたがらない人が多いですよ。 ――なるほど。 あとは「住民同士、もうちょっと混じり合いがあったほうが」と考える日本人は多いですよね。商店街もそうですし、新大久保で「多国籍YouTube」みたいなことを始めた人もいます。やっぱりみんなそれぞれの生活があるので、そこまで混じり合いみたいなのはないんですよね。商売を一緒にやったりだとか、子どもの学校が一緒だったりとか、いろんな国の人たちと交流はしてるんでしょうけど、それ以上のものがあるかっていうと、そうでもない。 新大久保では、とりあえず祭りをやろうかということで、去年あたりから始めていています。イベントをやること自体よりも、その準備する段階で仲良くなれるだろうという狙いがあるんですね。共同作業をやることを大事にしていて、その一環です。 ――住民の「混じり合い」が難しいのは、どういったところなんでしょうね。 僕もこういう人たちの活動を見て改めて思ったんだけれども、じゃあ自分がここに引っ越してくる前に何をしていただろうと思うと、隣の部屋の人も知らないし、街の人たちとも顔を合わせたことがなかったんですよね。「交流」ってなんだろうって、改めて考えさせられました。 それをさらに国籍を超えてやらなければならないところもある。お互いに文化も違うし生活の習慣も背景も違う。そういう人たちが好き勝手に暮らせる街であるから、みんな集まってきてはいるんだろうとは思うんですけどもね。外国人がよく使う言葉では「カルチャー・エクスチェンジ(文化の交換、交わしあい)」っていうのはありますね。「カルチャー・エクスチェンジができるからこの街が大好き」だって。 ――ここで暮らす外国人の「二世」は育ってきているのでしょうか。 いますね。その子たちが大久保小学校に通っていたり、あちこちの幼稚園・保育園に入ったりしています。二世の子どもたち、日本で生まれ育っている子たちは、もう日本人ですよ。メンタリティも、話す言葉も。日本のテレビを観て、日本人の友だちに囲まれて暮らしていますから。だから、逆にその子たちに母国の言葉を教えようと動きもあるんです。ミャンマー人の子どもにミャンマー語を教えるというような。そうしないとやっぱり忘れられちゃうので。親と会話ができなくなる子もいるから。 ――二世が育ってきたとき、もう少し「混じり合い」が進むかもしれませんね。 その子たちが、商店街の運営する側にまわるようになればすごく面白いんじゃないかと思いますけれどもね。まあ、商店街(新大久保商店街振興組合)の伊藤節子理事長なんかもそうなっていくだろうって言ってましたけどね。「いずれ商店街の運営も外国人に任せるようになるんじゃないかな」って。みんなが「あの人がいいね」っていう人が、ベトナム人だったり韓国人だったり。いずれそういう社会になっていくだろうから、それでいいんじゃないのって。
弁護士ドットコムニュース編集部
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