Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/92788985e45d94c639402e4a9550813306ba14a4
配信、ヤフーニュースより
2015年7月、サウジアラビアへ働きに出ていたネパール人男性が事故で亡くなった。物言わぬ人となって帰ってきた夫を妻は弔うが、数年後、思わぬかたちで再会することになる。 一連の不気味な事件の裏で、いったい何が起きていたのか? 米「ロサンゼルス・タイムズ」が追いかけたところ、その背景に横たわっていたのは、外国人労働者を使い捨てる法律の暗部だった。 誰かにネパール南東部にある森まで連れて行かれ、サントシはひとり残された。 そして人の体を燃やす薪の山を目にした。 燃える身体が彼女の方に手を伸ばし、炎の中へ引き込もうとする。 その身体は、彼女がかつてこの森で燃やした人のものだった。 5年前、彼女の夫で外国人労働者だったスバシの遺体は、サウジアラビアで死亡したという通知と共に家に送られてきた。サントシは、気を失いながらも目にした火葬の様子を断片的に覚えている。 白布に包まれた遺体。ゆっくりと森の中へ遺体を運ぶ僧侶、隣人、親戚の列。その後を追う幼い娘と息子。 彼らは遺体を燃やすことで魂を解放できると信じていた。しかし、約6500キロメートル隔たれた砂漠で起きた不気味な出来事のせいで、その炎は魂を自由にするどころか、ふたつの家族を永遠に呪っている。 サントシはどういうわけか、スバシが生き返るのではないかという希望を常に持っていたという。「でも、彼の遺体が燃えるところをこの目で見届けたじゃないかと、自分に言い聞かせたのです」と彼女は語った。 「だから、生き返るはずはない」 ──しかし、彼は生き返ったのだ。
虐待の温床、カファラ制度
33歳のスバシ・タマンと3人のネパール人の同僚は、サウジアラビア最大の湾岸都市であるジッダ郊外に住んでいた。2015年7月9日。その日、4人は働いていた発電所の外でタクシーを拾う。 彼らはジッダ南火力発電所を建設した韓国の巨大企業、ヒュンダイ重工業(自動車メーカーのヒュンダイとは異なる)で勤務していた。煙突が、まるで火のついたタバコのように何マイルにも渡って立ち並び、アクアマリン色の紅海に向かって突き出している。 サウジアラビアのカファラ制度において、移民労働者の自由は雇用主に縛られている。権利団体や国際機関はこのシステムを虐待的で搾取的だと非難し、国連いわく「現代の奴隷制度を促進する」ものだという。 「カファラは国際法に矛盾している」 国連で移民の人権問題を担当するフェリペ・ゴンザレス・モラレスはそう語った。 実際、サウジアラビアにおける労働法の下では、雇用主が労働者の生活を「管理」できる。ほとんどの外国人労働者が(たとえばヒュンダイのような)雇用主の許可がなければ、職場であり、食事の場であり、就寝の場である「キャンプ」を何年も離れることができない。国を離れることなどもってのほかだ。こうした事実上の「年季奉公」は、新型コロナウイルスによって悪化している。 インドと中国の間に挟まれたネパールは人口3000万人。人口あたりで国外へ労働に出る人の割合はアジアで最も高く、その多くはペルシャ湾で働く。近年では、ネパール国外からの送金額が、国内総生産の最大3分の1を占めている。これは世界で最も高い割合だ。
叔父の死をこの目で確認させてもらえずに
その日、スバシと同僚たちは稼いだ賃金を家族へ送るために送金所へ向かっていた。それは彼らを乗せたタクシー運転手、ネパール出身のテヘンドラ・ブハンダリ(25)にとってはいつものことだった。セピア色の砂漠と建ち並ぶ倉庫を抜けながら車を走らせた。 ところが、発電所から約32キロメートル離れた環状交差点に差し掛かったときだ。タクシーはトラクタートレーラーに激突し、アルミホイルのようにくしゃくしゃになった。そして、運転手を含めタクシーに乗っていた5人のうち3人が死亡した。 アスファルトの上に残る捻れた車体と身体の残骸に関するニュースは、ネパールや南アジア各地からの労働者が集うジッダの労働者キャンプ内で、すぐに広まった。衝突事故を生き延びたのはスバシと、運転手のテヘンドラだけ。意識不明の重体となった彼らは、空路でアブドゥルアズィーズ王病院へ搬送され、翌日ひとり死亡した。 事故の知らせが、ヒュンダイ発電所、そしてスバシと同じマネージャーの下で働いていた甥のブパル・タマンに届いたとき、事故の死亡者はまだ特定されていなかったという。 ブパルは叔父の生死を確認するために病院へ行かせてほしいと会社に頼んだ。だがマネージャーは、上司の許可が下りなかったため、自分がスバシの生死を確認すると答えた。 病院で遺体を確認したマネージャーは、ブパルの恐れていた事態が現実になったことを知る。 ヒュンダイが遺体をネパールへ送るのまでに1ヵ月以上かかった。ブパルによると、同社は叔父の遺体送還への同行を認めず、そのうえ、スバシの最後の給与も払わなかったという。 数年後のジッダでは、スバシとテヘンドラが事故に遭った日に通った道路脇に、燃え尽きた車が砂に半分埋まった状態で置かれていた。過去に起きた悲劇、そしてこれから訪れる危険を警告するかのように。(続く)
Molly O’Toole
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