2020年3月11日水曜日

21世紀は“インスタ映え”建築 隈研吾が“求められる建築”を語る〈週刊朝日〉

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200305-00000011-sasahi-peo
3/7(土) 11:30配信
、ヤフーニュースより
21世紀は“インスタ映え”建築 隈研吾が“求められる建築”を語る〈週刊朝日〉
 国立競技場のデザインに携わったことでも知られる世界的建築家、隈研吾さん。実は作家・林真理子さんと同い年で、30歳ごろからのお付き合い。先日もネパール旅行にご一緒したばかりというタダならぬ仲なのです。青山の一等地にある隈さんの事務所にお邪魔し、たっぷりお話をうかがいました。

【林真理子さんとのツーショット写真はこちら】
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林:今度の新しい本(『ひとの住処1964-2020』)をさっそく読ませていただきました。「ふたつのオリンピックをつなぐ圧巻の半自伝的文明論」とありますが、同世代としてとても興味深かったです。

隈:林さんと僕は、同い年なんですよね。

林:ええ。隈少年が丹下健三さんが設計した代々木体育館を見て、「建築ってなんて素晴らしいんだろう」と思ったというのは有名なエピソードですけど、大阪万博も隈少年に大きな影響を与えていたとは知りませんでした。

隈:1964年の東京オリンピックで建築に目覚めて夢がふくらんでいたのに、70年の大阪万博はガッカリしちゃってね。黒川紀章さんは当時僕のヒーローで、黒川さんのメタボリズム(新陳代謝)の思想を具現化した建物を見ようと思って胸ふくらまして行ったんだけど、鉄でできた怪獣みたいなパビリオンだったので失望しちゃった。だけどそれでも建築を志すのをやめなかったのは、今から思うとよかったなと思ってる。

林:心を動かされたのはスイスのパビリオンだったそうですね。隈少年はそこで心を癒やされたとか。

隈:そう。ほかのパビリオン、たとえばアメリカ館にしろ当時のソ連館にしろ、とにかくデカけりゃいい、目立てばいいという感じで。その中にあって、スイス館だけは、広場にアルミ製のきれいで繊細な木のようなオブジェがあって、展示は地下にちょっとあるだけ。気持ちのいい広場をつくればいいんだという発想が、高校生ながらカッコよく思えて、唯一の希望が、スイス館だったんだよね。

林:国立競技場もついに完成しましたね。すごく話題で、私も見せていただきました。前の広場で競技場をバックに皆さん記念撮影してますけど、とてもいい風景だなと思って。
隈:ありがとうございます。今、「インスタ映え建築」っていう言葉があって、建築の一部を写真に撮っただけで「ああ、あの建物だ」ってわかる方向に建築デザイン全体が変わってきてるんだよね。

林:へぇ~、そうなんですか。

隈:僕の学生も、「インスタ映え建築」という修士論文を2人も書いてるけど、20世紀の最初のころの建築って、教科書に載ってる小さい写真でも全貌がわかるような、シルエット重視の建築が傑作と言われてたんだけど、21世紀になってからはインスタ映えするためにディテールが特徴的なことのほうが重要になってきた。プロのカメラマンじゃなくて、自分で写真を撮ってその建築らしさが伝わるためには、全体より部分が大事になり始めてる。

林:なるほど。私も全国各地に行くと隈テイストを感じて、富山のガラス美術館とか、木の素晴らしい図書館……、あれはどこだっけ。

隈:梼原かな、高知の。

林:そうです、そうです。素晴らしい図書館でした。長岡(新潟県)の市役所も、毎年花火を見に行くたびに行きますけど、あそこも非常におもしろい空間で、市役所なのにほっとするというか、お役所に来た感じがしなくて、駅から誘導されていく感じが素晴らしいなと思って。

隈:今までの市役所とか公共の建築って、僕的に言うとマッチョな建築で、役所の権威を象徴する感じのつくり方なんだけど、長岡の場合、主役は建物じゃなくて、真ん中の広場。べつに市役所に用がない人も、あそこの広場に遊びに来ればいいという考えです。そしたらほんとにいっぱい遊びに来ちゃって。

林:素晴らしいですね。だけど今、「建ててほしい」と依頼が来ても、「予算が足りない」とか「もったいない」とか言う人が必ずいて、つくりづらくなってるということはないですか。

隈:それがすごく状況が変わってきて、20世紀の戦後のシステムの中では、建築をつくることは基本的にいいことだったから、有名な建築家を呼んできて目立つものをつくれば誰も批判しなかったんだけど、今は違う。まずコストが高かったら絶対にダメだし、選ぶ過程でも首長さんが自分で指名するなんてことはできなくて、全てコンペなの。長岡の市役所も指名じゃなくて、厳しい審査があったんだよ。
林:そうなんですか。だけどコスト、コストって言われると、イヤな気持ちがしませんか。

隈:でも、今の時代、そのハードルを越えないと建築って絶対建たないわけ。どんなにカッコいい、美しいと言っても、コストが高かったらその建築は実現させられない。

林:何年か前、青山のベルコモンズがなくなったじゃないですか。あれは名建築というか……。

隈:黒川紀章さんの建築ね。あれはおもしろかった。

林:都市の中に丘をつくるというコンセプトで、あれがなくなったのはショックでした。いくら黒川さんが残したものといっても、時代にそぐわなきゃガンガンこわしていくんですよね。私は四角っぽいビルばっかりがあふれても、つまんないような気がするんです。

隈:そこが建築家として知恵をしぼらなきゃいけないところだね。そして最初から形だけを考えるんじゃなくて、つくり方を考えながらやっていく時代になってきてる。

林:それは隈さんが昔から考えていたことですか。

隈:僕らのときは、磯崎新さんとか黒川さんとかのスターアーキテクトが出てきた時代だけど、僕がついた先生の一人に、内田祥哉先生という人がいてね。内田先生は、つくり方にものすごくこだわった人で。「日本の大工を復権しなきゃいけない」ということを70年代から言い始めてたの。その内田先生が、日本の大工がどうやって同じような寸法の木材を使いながら豊かな空間をつくってきたかを教えてくれたわけ。

林:隈さんは「日本の大工の技術を世界中に持っていくことが夢です」とおっしゃってますね。

隈:それは内田先生の影響なんだよね。大工の切り方とか材料の使い方とかを研究して、それが世界の中でも飛び抜けた技術だということを教えてくれた。

林:しかし64年にお父さんと一緒に代々木体育館を見て「すごいな」と思った少年が、55年後に国立競技場の設計に関わったんだから、すごい話ですよね。

隈:それは林さんも同じだと思うんだけど、僕らの世代って64年の盛り上がりも知ってるし、そのあとの70年代の公害問題、環境問題も知ってて、そこで育てられ、鍛えられたところがあるじゃない。日本の両極を見られたラッキーな世代だと思う。
林:確かにバブルも経験してるし、そのあとの停滞して淀んだ感じも知ってる。バブルのあと、隈さんは地方の建築を多数手がけられましたね。それが今の実力というか、体力をつくったみたいに言われてますけど、そうなんですか。

隈:90年に事務所を始めてすぐに、30代の人間には来ないような大きな仕事も来たんだけど、急にバブルが崩壊したから、ある種挫折して、地方回りを始めた。その中で、地方で職人たちに土の塗り方を教わったり、木の使い方も教わったの。それがあとにつながってるわけ。僕は幸い地方にいい友達が見つかって、小さくて地味な仕事の中にある楽しみを見つけたのが大きかった。

林:今となっては、根津美術館も、歌舞伎座も、目立つものはみんな隈さんがやってるような気がします。

隈:歌舞伎座の建て直しなんかも、「目立つものをつくってほしい」というんじゃなくて、「昔からの歌舞伎の精神を受け継ぐ建物をつくってほしい」という、どっちかというと地味なデザインが求められた。

林:そうなんですか。

隈:根津美術館も、根津(公一・館長)さんから「目立つものじゃなくて、庭と調和するようなおとなしいものをつくってほしい」と言われたし、今の時代のニーズはそっちです。形が目立つような80年代的なものじゃなくて。

(構成/本誌・松岡かすみ、編集協力/一木俊雄)

※週刊朝日  2020年3月13日号より抜粋

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