Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/8c297dc5f87251204dcd6692e82db3156afa57fb
梶山正の「ベニシアと過ごした最後の日々」
ハーブ研究家のベニシア・スタンリー・スミスさんの夫、梶山正さんが、2人で過ごした最後の日々をつづります。 【写真2枚】1970年、インドに集まった若者と写るベニシアさん
2022年9月28日、僕は退院したベニシアを1年2か月ぶりに大原に連れて帰りました。住み慣れた家に帰ったら、安心して落ち着いた生活が戻ってくるだろうと期待していましたが、そうなるには時間がかかりました。彼女はグループホームでずっと孤独で緊張が続く生活を送り、新型コロナにも感染して衰弱していました。家に帰ったとたんにリラックス……というわけにはいかなかったのだと思います。実際に自宅介護を始めてみて、僕はその大変さを知ることになります。
手すりを握りしめて拒絶するベニシア
朝起きると僕はまず、ベニシアが寝ているベッドの横へ行き、声をかけます。 「ベニシア、おはよう。よく寝た?」 ニコリとほほえんで、彼女はうなずきます。 朝8時になるとヘルパーが来ます。 「ベニシアさん、おはよう。元気ですか」とヘルパーは必ず声をかけてくれます。それから体温を測ろうと体温計をわきに挟もうとしますが、なんとなくベニシアは嫌がります。それでもなんとかヘルパーは測り終えます。その間に僕は新しい介護オムツや、洗浄用のお湯や使い捨てのナプキンなどを準備しておきます。 そしてオムツの交換。僕もヘルパーを手伝うのですが、これには特に抵抗があったようで、体を横に向けて、ベッドの手すりを両手で頑なに握りしめ、大声を上げて嫌がります。 「ベニシア、手を離して! すぐに終わるから。変えたら気持ちよくなるよ」と言っても動いてくれません。手すりから握りしめた手を離そうとしますが、握力が強くて外せません。これだけ体が弱っているのに、どうしてこんなに力があるのかと思うくらいでした。仕方ないので、こちらも力ずくで彼女の指をはずします。もっと優しく時間をかけてやるといいのですが、ヘルパーが介護のために居てくれる時間は30分間しかないのです。 手すりから離したベニシアの手は、僕の手や腕を力いっぱいにつかみます。つねったり、ひっかいたりもされて、結構痛い。1日4回、そんな格闘技のような時間が続きます。 それでも10日間くらいたつうちに、ベニシアも慣れてきたのか、徐々に介護を受け入れてくれるようになりました。僕たちを信頼してくれるようになったのだと思います。
ベニシアの友人たちも大原に帰ってきた
ベニシアが大原に帰ると、友人たちが毎日のように見舞いに来てくれました。マークさんがメーリングリストを作って、来訪者が同時に重ならないように調整してくれました。 月曜午前にパパジョンズ・チーズケーキを経営しているアメリカ人のチャールズさん、午後はイギリス人の教授アマンダさん。火曜の午前は大原在住のアーチストのノブコさん、午後はイギリス人の教授フィリスティーさん。水曜午後はアメリカ人教授のレベッカさん。木曜午前はアメリカ人の造園家マークさんと奥さんで陶芸家の桃子さん。ベニシアの次女ジュリーは金曜午後と土曜の午前、ベニシアと僕との息子・悠仁は不動産会社で働いているので日曜か水曜のどちらか。 突然来てくれるのは、アメリカ人のアーサーさん。この人の高祖父は、同志社大学創始者の新島襄が江戸末期にアメリカへ密航したときの船長だった人。密航を助けたことが会社にバレて解任されたらしいです。僕の著書「ベニシアの『おいしい』が聴きたくて」の編集者の藤井さんや、ベニシアが出演していたNHKの番組「猫のしっぽカエルの手」の制作スタッフの皆さんは遠路、東京から来てくれます。滋賀県でブルーベリー園や飲食店を数軒経営している康子さんも忙しい仕事の合間を縫って来てくれました。 グループホームでは友人たちの面会は許されなかったので、久しぶりに皆の声が聞けてベニシアはうれしそうでした。目が見えなくなり、以前のようにはしゃべれないけれど、みんなの会話を聞いて理解しているし、ゆっくり対応すれば、ちゃんとコミュニケーションできる。いつも話題の中心にいたがる人だったので、来訪した友人たちがお互いに勝手にしゃべっていると、声を上げて、自分に話しかけるよう促していました。 寝たきりで動けないのに、突然、「そうだ、私も家のことをせなあかん。掃除しようかなあ」などと言い出して、ビックリさせられることもありました。 一方、娘のジュリーはここに来ても、いつも座ったままお茶を飲んで延々とお菓子を食べ続けています。 「ジュリー! まったく、なーんもせんヤツやなあ。人に言われんでも、なんか自分で見つけて手伝ってくれよ」と僕が意見すると、「もう~!」と言い返すのはジュリーではなく、ベニシアでした。そうやってジュリーをいつもかばうのでした。
まさか? 腰痛が始まり、僕も診てもらう
ヘルパーさんや看護師さんたちから、しばしば僕はアドバイスされました。 「介護を始めた皆さんは、必ず腰を痛めますよ。ベニシアさんを抱えるときの腰の使い方など、気をつけてくださいね」 ベニシアは痩せ細って体重は37キロでした。僕は高校時代からずっと登山で足腰を鍛えていたので、腰を痛めるなんてことはあるはずがないと思っていました。ところが自宅介護を始めて1週間ぐらいたった頃から、ジワジワと腰が痛くなってきました。おそらく僕は自分の腰の軸の中心で、ベニシアを抱え上げていなかったのです。1回のオムツ交換で4回、彼女を抱え上げます。1日4回オムツ交換するので、4×4で1日に16回ぐらい、不安定な姿勢のまま抱え上げることを続けていたのでした。 ベニシアが大原に戻ってちょうど2週目。渡辺先生の往診の日が来ました。 介護を始めてから、僕はよく眠れた日が一度もありません。初めのうちはベニシアが寝ている部屋のすぐ隣の開け放った部屋で寝ようとしましたが、ベニシアが気になって眠れません。それでさらに奥の部屋に移動して、音が聞こえにくいようにドアを閉めて寝ようとしました。それでもずっと緊張が続いて眠れません。自分をコントロールできない不安にかられ、うつ病になるのでは……と怖くなっていました。 ベニシアの診察が終えた頃に、おそるおそる先生に聞いてみました。 「あの~、ベニシアの診察で先生は来られたのだから、こんなことを僕が頼んでいいのかわかりませんが……。眠れないんです。何か睡眠薬とか先生に頼んでいいですか?」 「介護を始めた人は皆そうなるものです。睡眠薬よりも抗不安薬の方がいいでしょう。でも睡眠導入剤も準備しましょう。他に問題は?」 「腰も痛いです」 「そうですか。腰痛も不眠と同様、皆が歩む同じ道です。湿布を頼んでおきましょう」 ベニシアを家にひとり置いて、僕がどこかの病院に出かけることなんて絶対にできません。僕も先生に診てもらえて、助かったと思いました。そのうち頭がおかしくなるかもしれないという恐怖がありましたが、処方してくれる薬を飲めば、なんとかなるでしょう。介護は始まったばかりです。(梶山正)
梶山正(かじやま・ただし)
写真家。1959年、長崎県生まれ。ネパール・ヒマラヤでのトレッキングの後、インドを放浪し、帰国後は京都でインド料理店を開く。92年、店の常連客だったベニシア・スタンリー・スミスさんと結婚、96年に京都・大原の築100年以上の古民家に移住。山岳雑誌などで活躍。近著に「ベニシアの『おいしい』が聴きたくて」。ベニシアさんとの共著に「ベニシアと正、人生の秋に」「ベニシアと正2 青春、インド、そして今」「ベニシアと正3 京都大原・二人の愛と夢の記録」など。
ベニシア・スタンリー・スミス
ハーブ研究家。1950年、ロンドン生まれ。貴族の家庭に生まれるが、貴族社会に疑問を持ち、19歳でインドに渡って瞑想(めいそう)を学ぶ。71年来日、その後京都で英会話学校を開設。著書に「ベニシアのハーブ便り」「ベニシアの京都里山暮らし」など。ライフスタイルを紹介したNHKの番組「猫のしっぽ カエルの手」が人気を集め、ドキュメンタリー映画「ベニシアさんの四季の庭」にもなった。23年6月、誤嚥(ごえん)性肺炎で亡くなった。
0 件のコメント:
コメントを投稿