Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/8d667ee61dfe49e775e6a315c656eb51ae832c01
梶山大輔氏と亡き妻のヒラさんは2年を費やして廃屋となっていた伝統的な日本家屋を修復した。夫妻は日本の静岡県にある築96年の木造家屋を風情あるゲストハウスに改築した。このゲストハウスはエアビーを通じて1泊2万5000円から借りることができる。 【全画像をみる】日本の田舎で放棄されていた、築96年の家をある夫婦がエアビーに改築。1泊2万5000円で貸し出している
7年間にわたって世界を旅した梶山大輔氏は故郷に戻り、亡き妻ヒラさんとゲストハウスを始めることにした。
「妻はイスラエル出身だが、出会ったのはネパールだ」と梶山氏(当時40歳)がBusiness Insiderに語った。「ふたりで日本へ来た」 梶山氏は日本人だが、大学を卒業するとすぐに祖国を出て、バックパッカーそして労働者として、ポルトガル、タイ、カナダなどさまざまな国で暮らしてきた。 そうやって数年を過ごしたのち、故郷である静岡県、竹林と田んぼに囲まれた魅力的な村である玉取に戻った。 「どんな生活が待っているのか想像もつかず、私たち夫婦にとっても謎に満ちていた」と梶山氏は言う。「長い期間日本を離れていたので、自分の国だという感覚さえしなかった」
梶山氏は伝統的な日本家屋をゲストハウスにしたいと望んでいたが、それに適した家を見つけるのは簡単ではなかった。
「日本家屋のほとんどは、家族内で何世代にもわたって受け継がれてきたもの、いわば家宝だ」と梶山氏は説明する。「そうした家族にしてみれば、長髪でひげを伸ばした私は完全によそ者で、そのため、なかなかいい家が見つからなかった」 たとえ誰も住んでいないとしても、多くの家族はその家を物置として使っていて、なかなか売ろうとはしないそうだ。そこで、彼は代わりに廃屋を探すことにした。 ある日、近隣を散策していたとき、地元のある老婦人がわざわざ探すのを手伝ってくれた。 そして近くにあった2棟の隣接する建物を指して、それらは以前、お茶の製造所および農家として使われていて、今は空き家になっていると説明した。 「これなら手に入るかもしれないと思った」と梶山氏は言う。
所有者はそのふたつの建物はあまりにも老朽化が進んでいるため人は住めないと考え、梶山氏の申し出にためらいを示した。
「でも、彼ははっきりと拒否しなかったので、チャンスがあると思った」と梶山氏は語る。「翌月、私はその家を見るために何度も訪問して、所有者と交渉を続けた」 最終的に梶山氏の粘り勝ちで、緑茶製造所と古い農家を使う許可を得た。製造所だった建物を自宅に、隣接する農家をゲストハウスにすることにした。 建物自体はいまだに前の所有者のものだが、梶山氏は家賃を支払わない。 「この家に関するすべての責任を私が負う、それが契約条件だった」。そこには建物の修復にかかる費用も含まれる。 梶山氏の話によると、両者の取引はこの地方の文化に根付いているそうだ。 「ビジネスやお金が求められているのではない」と彼は言う。「多くの廃屋では、家の世話をする人がいるだけで、家族にとってはありがたい話なのだ」 梶山氏が言うには、彼と所有者の関係は良好で、金銭的なやりとりがなくても契約を維持できるほど、互いを信頼しているそうだ。
日本の田舎では若い世代が都市へ移住していくため、廃屋がたくさん見つかると梶山氏は言う。
しかし、のちにそうした若者が、面倒を見るために年老いた親を都市へ呼び寄せるため、結果として田舎の家が空き家になるそうだ。彼が引き継いだ家もそうだった。 そうした家は時間とともに荒廃していく。家族には家を維持するための資金も時間もないからだ。 Business Insiderのリナ・バタラグスとチェリル・テーが2021年にレポートしたように、そうした廃屋が増えると農村部が「ゴーストタウン」になってしまう。近年、その傾向が顕著だ。 空き家にして出て行く代わりに、解体するという選択肢もあると、梶山氏は言う。 「日本の文化では、古い家を大切にしないと新しい家で不幸が起こると信じられている」としたうえで、こう付け加えた。「そのため、一部の人は古い家を完全に解体する方法を選択する」
しかし、梶山氏のゲストハウス計画は野心的なものだった。その家は7年にわたって誰も暮らしておらず、すべてが放棄されたその日のままの姿だった。
「テーブルの上にも、冷蔵庫の中にもモノが残っていた」と梶山氏は言う。 最も厄介だったのは、そもそもリノベーションに取りかかるために、すべてを清掃することだった。 「清掃は簡単ではなかった。あらゆるゴミを、他人が捨てたゴミでさえ、すべて分別する必要があったからだ。これにはかなりのエネルギーが必要だった」と梶山氏は語る。 見た目はみすぼらしかったが、木でできた家の骨格自体は完全にオリジナルのままだった。 「この家の雰囲気は、ほかとはまったく異なっている」と彼は言い、こう付け加えた。「じつにシンプルな農家で、一度たりとも改築されていないのがすばらしい」 その家は96年のあいだ、何ひとつとして変わっていない。
梶山氏はプロの大工ではないが、バックパッカーとして旅の途上で請け負った仕事を通じて、ある程度の経験を積んでいた。
「旅行していたころから、いつかゲストハウスを運営しようと考えていたので、それと関係する仕事、たとえば農業や屋根葺きなどの仕事を選んだ」と彼は説明する。 改修のための労働力を得るために、必要に応じて日本のワーキングホリデー制度も利用した。 「この制度を利用して日本へやってくる人々に、家の修復を手伝ってもらって、その見返りとして食事と宿を提供した」
予算が厳しいため、梶山氏はもとの家に残されていた家具は可能な限り再利用することにした。
「必要のないものは捨て、使えると思ったものは残した」と梶山氏は言う。 取り壊しが決まったほかの家からも、使える資材を集めた。 「資金が豊富にあるわけではないので、つねにほかの伝統家屋にも目を光らせている。誰かが取り壊す前に、古い建材、扉、窓などを譲り受ける」そうだ。
梶山氏と亡き妻は2012年に廃屋の修復を始め、完成までに2年を要した。
ゲストハウスの広さは85平方メートルだ。地面より少し高い位置に組まれた木造構造で、障子や畳が使われている。 梶山氏の計算では、改装プロジェクトに総額約70万円を費やした。そこにはゲストハウスと、今彼が暮らしている元緑茶製造所の両方が含まれている。 「トイレはなかった。屋外にある大きな穴のようなものがトイレだった」と梶山氏は言う。「トイレを建てるだけで15万円前後の出費だった」
梶山氏のゲストハウスは、Airbnb経由で1泊120ドルで貸し出されている。
梶山氏が「ユイバレー」と名付けたゲストハウスは、現在までエアビー(Airbnb)で503のレビューを集め、4.98の星を得ている。 梶山氏はエアビー経由でゲストハウスを10年間運営してきた。妻も日々の業務に携わっていたが、2022年にがんで亡くなったそうだ。
梶山氏は建物とゲストの管理をするかたわら、竹林も育てている。
「自分が竹を育てることになるとは想像もしていなかった」と梶山氏は語る。「エアビーを始めたころ、日本はまだルールがなくて、グレーゾーンだった」 梶山氏はゲストハウスの運営許可を得る必要があると考え、そのためのいちばん簡単な方法が「農家民宿」だった。そしてありがたいことに、彼の暮らす地域にはたくさんの竹林があった。 「私はふたつの事業を組み合わせて、竹を育てながらゲストハウスを運営している」と同氏は言う。
冬の厳しい気候を理由に、ゲストハウスは11月中旬から3月末までは休業している。
現在の伝統家屋はほとんどの場合で断熱を理由に壁を改良しているが、梶山氏はゲストハウスに関してはオリジナルの構造を維持することに決めた。これは、壁に冬の寒さに耐えられるほどの断熱材が使用されていないという意味だ。 「私は竹農家で、竹は冬にしか伐採も加工もできない」と梶山氏は言う。 そして、彼は今も熱心な旅行者だ。「年末のホリデーシーズンには外国へ行きたいので、冬には営業しない」
興味のあるゲストは梶山氏が隣の家で開く竹編みワークショップにも参加できる。
ゲストは竹を使ってかご、輪、コースターなどを創作できる。 値段はつくるものによって変わるが、梶山氏のウェブサイト「Yui Valley Bamboo」によると、1人1000円から5000円程度だ。 ワークショップの最低参加人数は2名で、事前に予約をしておく必要がある。
ゲストハウスは、日本の高速鉄道網の一部をなす東海道新幹線の路線上、東京と京都のあいだにある。
ゲストハウスは静岡県にある。新幹線で東京から1時間、京都からは95分の位置だ。 近所のハイキングコースはびく石山と呼ばれる山につながっていて、そこで登山客は遠くから富士山を眺めることができるそうだ。 ゲストは家の前を流れる川で泳ぐこともできると、梶山氏は付け加えた。 同氏は、自然との近さこそが、彼のゲストハウスの最大の魅力だと言う。 「伝統家屋のすばらしさは、内側と外側が見事な形でつながっている点にある」と梶山氏は言う。「とても静かだ」 編集部より:初出時、一部異なる施設の写真もユイバレーのものとして紹介しておりました。お詫びして訂正致します。 2025年2月4日 23:50
Amanda Goh
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