Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/b0d26c9c2cb7c3e20226df3ad5ffcdb4b125313b
Dr.イワケンの「感染症のリアル」
身近なインフルエンザや帯状疱疹などから、海外で深刻なエボラ、マラリアなどまで、感染症の予防と治療について、神戸大学教授のイワケンこと岩田健太郎さんが解説します。 【表】インフルエンザや新型コロナだけではない 冬に悪化しやすい呼吸器の病気
日本はかつて、先進国の中で結核が非常に多い国でした。しかし現在の罹患(りかん)率は低い水準にあります。もう「過去の病気」と思っている人もいるでしょう。しかし、若者の間では増加しているのです。
「低まん延国」になった日本
日本での結核患者は21世紀になってコンスタントに減り続けました。2021年には、年間の人口10万人あたりの新規結核患者数は10人を切りました。「10人」というは、「結核低まん延国」の水準です。23年は同8.1人です。 ・公益財団法人結核予防会結核研究所疫学情報センター( https://jata-ekigaku.jp/nenpou/ )
「入国前結核スクリーニング」
そうした中、15~39歳の年齢層では新規患者数が増えています。外国生まれの患者が増加しているのが要因です。 23年の新規登録結核患者数は1万96人で、このうち外国生まれの患者数は1619人でした。結核患者全体で言えば少数派と言えますが、こうした外国生まれの方の多くは働き盛りの若い人で、周囲に結核を感染させるリスクが高い可能性があります。 厚生労働省は「入国前結核スクリーニング」を行い、結核発病者が入国しないような施策を取ることにしました。日本入国者で特に感染者が多いフィリピン、ベトナム、インドネシア、ネパール、ミャンマー、そして中国の国籍を有し、中長期在留する者などを対象とします。在留希望者は自国の医療機関で医師の診察や胸部レントゲン検査を受けて、肺結核の可能性がないかどうかを調べます。そして、「結核非発病証明書」の交付を受けて日本に入国するのです。 ・入国前結核スクリーニングの実施について Japan Pre-Entry Tuberculosis Screening(JPETS)( https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/kekkaku-kansenshou03/index_00006.html ) 結核のスクリーニングは日本でだけ行われているのではありません。例えば、多くの海外の大学は入学時に結核の検査を要請します。私が勤務する神戸大学病院感染症内科では、渡航者のための渡航前外来サービスを実施していますが、定期的に留学希望の学生さんがこのような検査や書類の交付を求めて受診されています。 結核は空気感染しますし、死亡リスクも高いです。公衆衛生上、とても対策が重要な感染症です。学校など施設内で集団感染することもしばしばありますから、そうした施設の機能維持のためにも結核感染予防は重要な問題です。厚労省の「入国前結核スクリーニング」は、外国人の結核患者の絶対的、相対的リスクが増している現在、妥当性の高い施策と言えるでしょう。
検査で「発病」は証明できない
ただし、そこにはいくつかの問題点が潜んでいます。まず、「結核非発病証明書」の名称は正しくはありません。なぜなら、医師の診察と胸部レントゲン写真だけで結核を発病していないということを「証明」できないからです。 新型コロナのパンデミックのときに何度も申し上げたことですが、そして何度申し上げても理解してもらえないな、と嘆息したことですが、「検査は一定頻度で間違える」のです。 ぼくは北京の診療所に勤務していたとき、胸部レントゲン写真では「正常」だったにもかかわらず、排菌している肺結核を1例経験したことがあります。病気の患者を何%捉えることができるのかという概念を「感度」といいますが、感度100%の検査は(ほぼ)存在しないのです。まれではありますが、肺に病変がない「喉頭結核」が排菌させることもあります。レントゲン写真の見落としといったヒューマンエラーの可能性も加味しなければなりません。 いずれにしても、(たとえ理解していただけなくても)何度でも繰り返しますが、結核を発症していないことを「証明」することなどできないのです。 インフルエンザや新型コロナにかかっていないことを「証明してほしい」「証明書を書いてほしい」という要請を時々受けます。そのときも「証明はできません」と申し上げています。検査をして陰性結果をお示しすることは可能ですが、疾患が存在しない「証明」とは別の話なのです。 我々が渡航時に「結核の検査」をするときは、検査結果自体を書類にしてお渡しします。「レントゲンは正常でした」とか「ツベルクリン検査は陰性でした」といったような。しかし、「結核を発病していないことを証明します」という書類は絶対に書きません。それは非医学的な言明になるからです。
「水際作戦」の有効性
また、仮に受診時に本当に結核を発病していなかったとしても、それは必ずしも安心材料にはなりません。日本に入国してから結核を発病する可能性があるからです。 結核は、感染してから発病するまでの「潜伏期」が長い感染症です。しばしば月単位、年単位、場合によっては何十年もたってから発病することもあります。 入国前スクリーニングのときには発病していなくても、すでに結核菌には感染していて、入国後に発病する可能性は十分にあります。少し古いデータですが、森野英里子先生たちによると、日本の外国人結核のうち3分の2程度は入国後6か月以上たってから診断されています。こうした患者さんのほとんどは、入国時には発病していなかったでしょう。 ・森野英里子,高崎仁,杉山温人.外国人結核の現状と課題.結核 2016; 91:703-708.( https://www.kekkaku.gr.jp/pub/vol91%282016%29/vol91no11-12p703-708.pdf ) よく、海外の感染症の持ち込みを防ぐために、「水際作戦」なるものが取られますが、空港などで感染症患者を捕捉し、国内に病原体の流入を防ぐことは極めて困難です。09年のインフルエンザ・パンデミックのときも、日本へのインフル持ち込みを防ぐために大規模な「水際作戦」が取られましたが、インフルエンザ患者の6.6%しか捕捉できていませんでした。新型コロナも同様です。 ・Selvey LA, Antão C, Hall R. Evaluation of Border Entry Screening for Infectious Diseases in Humans. Emerg Infect Dis 2015; 21:197-201.( https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4313627/ ) 「水際作戦」で捕捉できるのは、潜伏期が極めて短いデング熱などですが、基本的にヒト―ヒト感染をしないデング熱は空港で捕捉する価値は高くありません。「水際作戦」はおおむね、「労多くて益少ない」手法なのです。こういうことを言うと、「いやいや、水際作戦には一定の効果はあった」とおっしゃる方がおいでですが、ぼくは「毛が3本しか生えない育毛剤」のようなものだと反論しています。それは「実質」効果がない育毛剤でして、「3本生えたのだから一定の効果はあったのだ」という主張はへりくつでしかないのです。今年、「波平さん」と同い年(54歳)になるイワタはそう思います。
感染対策は人権侵害?
さて、もう一つ、大きな問題を指摘しておきましょう。それは人権の問題です。 よく、感染症の専門家は人の自由を阻害してばかりで、医療・医学のことしか考えていないと非難されます。その批判は甘んじて受けねばならない側面もあります。しかし、我々は「人の自由」、とりわけ「人権」を無視しているわけではありません。いや、歴史上、大きな感染症の問題は、常に人権問題とセットになっています。我々は人々の人権をいつも一生懸命考えに考えて、感染対策が人権侵害につながらないことに配慮しているのです。大きな人権侵害はむしろ、政治や「民意」から生じることも多いのです。 ここで思い出されるのは米国におけるHIV/エイズ問題です。米国は1980年代から、HIV感染者の海外からの入国を禁止してきました。それはHIV感染対策、という名目で行われたのですが、実際には少し異なる様相を持っていました。 当時、米国は不況に陥っていました。米国にはたくさんの移民が入国していましたが、国内のアメリカ人たちは、自分たちの職が脅かされるのではないかと危惧しました。同時期にエイズの流行が米国で起きて、米国の人たちの間で大きなパニックが起きました。外国人への恐怖とエイズへの恐怖がヒステリックな形で融合したのです。外国人が入ってくると、自分たちのコミュニティーでエイズがまん延するのでは、という恐怖です。実際にはエイズは性感染症で、日常生活で感染が広がることなどないにもかかわらず。こうして、米国議会はHIV感染者の入国を禁じたのでした。 ・Winston SE, Beckwith CG. The Impact of Removing the Immigration Ban on HIV-Infected Persons. AIDS Patient Care STDS 2011; 25:709-711.( https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3263303/ ) ・Gonsalves G, Staley P. Panic, Paranoia, and Public Health – The AIDS Epidemic’s Lessons for Ebola. New England Journal of Medicine 2014; 371:2348-2349.( https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMp1413425 ) 皮肉だったのは、当時エイズの最大の流行国は当の米国だったことでした。国内で感染がまん延しているのに、海外からウイルスの流入を禁止しようとしても意味がありません。これは体(てい)の良い感染者差別にほかなりません。米国への入国を禁じられたHIV感染者は憤り、抗議しました。国際社会も米国の不当な措置を批判し、国際エイズ学会は米国では開催されなくなりました。米国でHIV感染者の入国が許可されるようになったのは2010年のこと、実に22年間もこのような不当な措置は継続されてきたのです。
重要な国内対策
さて、翻って日本です。外国からの結核輸入を防ごうという取り組みは良しとします。しかし、国内での結核の発症や感染拡大をきちんと防止できていなければ、安易な外国人差別につながってしまいかねません。幸い、現在の日本では国内での結核発症者は減り続けていますが、対策を怠ると再流行が起きてしまうのが結核です。そのような再流行を我々は何度も国内外で観察してきました。 例えば、日本では潜在性結核(LTBI、発症していない結核菌感染状態)治療の扱いがぼんやりしており、明確な成果(アウトカム)が設定されていません。ぼくがLTBIを診断し、保健所に届けると、「この方は若いし免疫抑制もないのに、本当に治療が必要ですか」と言われることがあります。「今は若いけれども、いずれ年を取りますし、病気にもなるかもしれません。『今』の発症リスクが低くても、将来の発症を今、回避できるようしておく方が、より合理的ではありませんか」と反論すると、「イワタしかそんなこと言ってないじゃないか」と嫌な顔をされてしまいます。 日本よりもさらに結核対策がうまくいっている米国では、結核は明確な「撲滅を目指す感染症」です。年間の人口10万人あたりの新規発生数は2.9人。日本よりもずっと先を進んでいます。米国ではLTBIは「疾患」であり、基本的に全例治療の対象です。 ・CDC Reported Tuberculosis in the United States, 2023( https://www.cdc.gov/tb-surveillance-report-2023/summary/national.html#:~:text=During%202023%2C%20the%20United%20States,2.9%20cases%20per%20100%2C000%20persons ) でも、日本では低まん延国を維持するといったやや緩い目標にとどまっており、結核ゼロを明確に目指す政策はありません。明確なアウトカムを設定できない。日本の感染症対策の弱点の一つです。 感染対策は大きな目標の設定をまずやってから、そこから逆算して各論的な対策を取ります。「外国人の結核を減らす」ことは、「大きな」アウトカムではありません。それは「日本の結核を減らし、ついにはなくす」という、より大きな目標の達成のための一手段でしかないのです。 だから、国内での結核対策強化と連動してのみこそ、この「入国時スクリーニング」は意義深いものになるのだとぼくは思います。
岩田健太郎(いわた・けんたろう)
神戸大学教授 1971年島根県生まれ。島根医科大学卒業。内科、感染症、漢方など国内外の専門医資格を持つ。ロンドン大学修士(感染症学)、博士(医学)。沖縄県立中部病院、ニューヨーク市セントルークス・ルーズベルト病院、同市ベスイスラエル・メディカルセンター、北京インターナショナルSOSクリニック、亀田総合病院(千葉県)を経て、2008年から現職。一般向け著書に「医学部に行きたいあなた、医学生のあなた、そしてその親が読むべき勉強の方法」(中外医学社)「感染症医が教える性の話」(ちくまプリマー新書)「ワクチンは怖くない」(光文社)「99.9%が誤用の抗生物質」(光文社新書)「食べ物のことはからだに訊け!」(ちくま新書)など。日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパートでもある。
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