Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/7da0adfd30615d60f0d40d334cc0e98b352cb622
新型コロナウイルスの感染拡大は人々の暮らしを大きく変えました。医療従事者、夜の街で働く人たち、インバウンドが消えたゲストハウス、東京五輪、パラリンピックが延期になった選手、厳しい状況の外国人留学生…。色々な立場の人たちを訪ね、コロナ禍に見舞われた「私たち」の2020年を伝えます。 【写真】アルバイト先のコンビニエンスストアに向かうラマ・ミランさん=2020年11月27日午後4時34分、東京都文京区、鬼室黎撮影 今年3月、ネパール人留学生のラマ・ミランさん(23)は、さいたま市にある2年制の日本語学校を卒業した。その頃は学業の傍ら、新聞配達で得た給料をネパールの家族に送金することもできた。 しかし4月、新型コロナウイルスの感染拡大によって進学予定だった都内のビジネス専門学校が休校に。寮へ引っ越したがアルバイトは見つからず、5月、わずかな貯金は底をついた。貧困問題に取り組む市民団体「反貧困ネットワーク」による支援金や友人からの借金などでなんとかしのいだ。 授業は6月から徐々に始まったが、7月に予定されていた日本語能力試験は中止に。8月、コンビニエンスストアでアルバイトの面接に臨んだ。これまで5カ所から不採用にされていた。「もしよろしければ、お願いします」。店長から日本語の会話力を買われて採用。今では夜勤を任されるほど頼りにされている。 品出し、レジ打ち、調理、掃除など「簡単に見えても覚えることはたくさんある。でも採用されてうれしかった」。ベトナムや中国、ウズベキスタンの同僚とともに働く。 7月に受けられなかった日本語能力試験を12月6日に受けた。難度2位の「N2」は「難しかったけど、がんばりました」。結果は1月に判明する。(鬼室黎)
朝日新聞社
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