2020年8月4日火曜日

一夫多妻制のパキスタンから第2夫人を......男性の願いに立ちはだかる日本の「重婚罪」

Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/7d45749a032796bbf7ac73d348c7d7939bdd6f25

配信、ヤフーニュースより

ニューズウィーク日本版

<外国人労働者の法律相談を請け負う行政書士が遭遇した、在留資格など日本の法律をめぐる悲喜こもごものエピソード>

浅草で行政書士事務所を経営し、おもに外国人の在留資格取得や起業支援をしている細井聡(大江戸国際行政書士事務所)は、これまで多くの外国人と関わってきた。その経験から細井は、「10年後、20年後、いや5年後かもしれない、『同僚は外国人』という時代がすぐそこまで来ている」と言う。 ここでは、細井が最近上梓した『同僚は外国人。10年後、ニッポンの職場はどう変わる!?』(CCCメディアハウス)向けに執筆したコラムのなかから、紙幅の都合で割愛された外交人労働者の在留資格をめぐるエピソードをいくつか紹介する。今回はその前編。 ◇ ◇ ◇ <1.一夫多妻制の国から> 行政書士として外国人問題を扱っていると、様々な出会いをする。ある日電話で、奥さんを日本に連れてきたいという相談を受けた。ご本人は会社を経営しており、利益もそれなりに出ている。通常であればどうってことのない案件である。「それでは、事務所にお越しください」と伝えて電話を切った。 次の日、約束通りの時間にその方はやってきた。日本人の女性と一緒だった。「妻です」と、流暢な日本語で紹介された。私が混乱したのを察したのだろう。すぐに「母国にいる妻を日本に呼びたいのです」と説明があった。お国はパキスタンである。パキスタンでは4人まで奥さんが持てる。その奥さんを日本へ連れてきたい、というのが今回の相談だった。 この方は30年以上も前に、政治亡命のような形で日本にやってきた。そのときに支えてくれたのが、10歳以上年が離れた今の奥様だったのだ。だが、子どもができなかったため、日本人の奥さんは、「自分はもう60歳を超えているので無理だから、パキスタンで若い奥さんをもらって、子どもを作りなさい」と、第2夫人を持つことを薦めたという。 しかし、「配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない」と日本の民法は定めている(732条)。外国人であっても、日本国内に一歩足を踏み入れれば日本の法律が適用される。したがって、その第2夫人を配偶者として日本へ連れてくるためには、今の奥様と名実ともに離婚してもらうしかない。それをお伝えすると、日本人の奥さんはすぐに納得したのだが、決断できなかったのはご主人の方で、それから30分ほども涙が止まらなかった。「長い間なんでも相談して2人でやってきたのに......」 <2. イスラム教徒について> なぜか私はイスラム教徒の方々と仕事をすることが多い。イスラム教というと、イスラム国とかアルカイダなど過激なイメージをお持ちの方も多いかもしれないが、少なくとも私にかぎってはほとんど嫌な思いをしたことがない。まず、ほとんど嘘をつかない。イスラム教では「嘘」が一番いけないと言われているからだろう、私は裏切られた経験がない。ただし、やるべきことを「やるやる」と言って、いつまでたってもやらないというのはある。「やる」と言ってやらないのだから、それも嘘かもしれないが、人を欺いたり利用したりするような話ではないので、あまり気にしないようにしている。 来日した彼らと、ときおり食事に行くことがある。ハラル料理というイスラム教の戒律にのっとった食事があるのはご存じだろう。だが、このハラルには随分差があるのだ。あるパキスタン人との食事のときには、「豚肉さえ食べなければいい」と言うので、近くのステーキ店に行って食事をした。その店には牛筋煮込みなどもあり、彼もぺろりと平らげていた。その後、エジプト人が来たので同じ店に連れて行ったところ、「この店の肉は祈りを捧げて殺しているのか」と訊く。もちろんそんなことはしていないので、「それは食べられない」ということになり、結局、寿司屋に行くことになった。 別のイスラム教徒に「寿司ならいいか?」と訊くと、「食べたことはないがいい」と言うので、寿司を食べさせたらひと口で吐き出してしまった。生のものは気持ち悪くて食べられなかったらしい。普段、火の通ったものしか食べていないので、無理だったようだ。結局、一番安全なのは焼鳥屋のようである。ただし、彼らはお酒を飲まないので、酒飲みの私としては物足りない食事になるのばかりはしかたがない。

<旧ソ連圏の大学の学位>

<3.世界の大学事情> 在留資格の申請をする際、学歴の説明をしなければならないときがある。「特定技能」ができる以前は、「技術・人文知識・国際業務」が、一般企業が利用できるほぼ唯一の就労資格であることは本編(『同僚は外国人。』)でも書いたとおりだ。この資格は大学卒が前提になる。日本の大学を卒業していればたいした問題も起こらないのだが、海外の学校を卒業している場合、稀に面倒なことになる。 世界中の国が同じような教育体制であればこんな苦労はないのだが、日本の6・3・3・4制というのは、世界的にみて必ずしも一般的ではない。例えば、ネパールの大学は3年制である。ただ、学位がバチェラー(学士)であれば無条件で大卒と判断される。 私は、旧ソ連の学位で苦労させられたことがある。日本語学校に通うロシア人の方の就職が決まり、「留学」から「技術・人文知識・国際業務」への変更手続きをすることになった。立派な卒業証書をお預かりした。ちなみに、入管へ提出する卒業証書は、オリジナルを申請時に提示し、オリジナルのコピーであることを確認してもらったうえでコピーを提出する。翻訳も一応つける。 彼の卒業した大学は、世界的にも著名な大学だった。彼がその大学を卒業した20年近く前は、旧ソビエト連邦の制度がまだ残っており、理科系の6年制大学を卒業すると「インジェニエール」という資格が与えられた。「インジェニエール」を翻訳すると「技師」となる。本来であれば「マスター」(修士)に相当するはずなので、その説明をもつけたのだが、入管から「学士を持っていることを証明しろ」という資料提出要請が来た。大学名から考えてもそんなことはありえないのだが、職業学校の学位と判断されたのだ。 そうなるとこの学位がマスターに相当することを法的に説明しなくてはならない。そこで本人に根拠法令を探しくれと依頼したところ、根拠法令を見つけてきて、そのロシア語を英語に翻訳してきた。そこでようやくわかったのだが、ロシア語の「インジェニエール」(技師)という単語は、英語に訳せばエンジニアだが、スペシャリストという意味にも使い、多くの大学がこの「スペシャリスト」という学位を付与していたのである。 そこでロシア大使館へ行き、「インジェニエール」は「スペシャリスト」であり、スペシャリストは修士に相当するという根拠条文の和訳を認証してもらって提出した。再提出から2週間、ようやく在留資格が下りた。その間、ご本人は不安なのだろう、毎日連絡をしてきた。ソ連崩壊から四半世紀もたって......亡霊に取り憑かれたような思いだった。 <4.強制送還> 強制送還とか国外退去という言葉を聞いたことがあるだろう。報道などではよく使われるが、強制送還も国外退去も入管行政には存在しない。近いのは「退去強制」であろう。「退去強制」とは、不法滞在など出入国管理法に違反したケースのほか、薬物、人身売買などの犯罪、テロリスト集団に所属している外国人、フーリガン、一定の犯罪で禁固、懲役の実刑を受けた外国人などに適用される。 言葉のイメージから、収容されて手錠をかけられ、空港まで連れて行かれて無理矢理に飛行機に乗せられるような様子を想像する人も多いが、実際には退去強制令書が発布されても、すぐに強引に飛行機に乗せられるわけでもなく、だいたい自ら自費で出国する。航空券を持っており、出国するに十分な費用を持っていれば、できるかぎり自費での出国を促す。そして、退去強制で出国した日から5年間は、上陸拒否事由に当たるため入国が制限される。

<強制送還された? されてない?>

手続きが言葉のイメージより淡々と進むので、本人に自覚がないということがある。ある海外在住のご夫婦の申請案件について、ビデオチャットで「“Deportation“があったか」と質問をすると、いや、そんなことはないと言う。そこで「退去強制歴なし」として申請をした。もちろん、ご本人に申請書も見せて、特に修正もされなかった。ところが、奥様だけ却下されてしまったのだ。入管に理由を聞きに行くと、「先生はご存じないと思いますが、この方、退去強制歴が2回あります」と言われて愕然とした。申請自体が虚偽と見なされ、それを理由に却下されたのである。奥様としては、捕まったわけでもなく、無理矢理飛行機に乗せられたわけでもないので、“Deportation“ではないという認識だったようだ。 また、これは別件で、オーバーステイになったが自主的に出国した奥様を、1年経ったから日本に呼びたいという問合せのときである。実は、オーバーステイになっていても、自ら出頭した場合には「出国命令」という少し軽いお仕置きですむ場合があるのだ。そこで確認のためにパスポートの写真を送ってもらったら、「52-4」と記載されている。これは出入国管理および難民認定法の52条4項のことで、退去強制令書が出ているが自費で出国するときのことを定めた条項である。退去強制であったのなら5年は入ってこられない。この方は短期滞在から難民申請をしたのだが、短期滞在が切れてから難民申請をしているため、その間がオーバーステイになっていた。そして、収容されて仮放免になっているのだが、実際には収容はされていないので、ご本人に自覚がなかったのである。残念ながら、もう4年待っていただくしかない。

ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

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