Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190717-00010001-bookasahi-life&p=1
7/17(水) 、ヤフーニュースより
「在日外国人」のコミュニティを取材したルポルタージュ『日本の異国 在日外国人の知られざる日常』(晶文社)が発売されました。著者の室橋裕和さんは、多国籍化が進む東京都・新大久保、クルド難民が住む埼玉県・蕨市などの地域で、さまざまな国籍の人々に取材をしています。「在日外国人」たちは異国である日本でどのような生活を送っているのか? 室橋さんに新大久保で話を聞きました。
失敗しても挑戦するアグレッシブさ
――室橋さんはなぜ在日外国人のコミュニティに関心を持ったのですか?
30代の10年間はタイの日本語情報誌で記者をやっていました。一度仕事に区切りをつけ、日本に戻ってきた5年ほど前、街中が外国人だらけになっていることにとても驚きました。コンビニでも居酒屋でもどこに行っても外国人が働いています。もともと中国や韓国はお隣ということもあり、比較的多かったと思いますが、それ以外にも、ネパール人やベトナム人など東南アジア、南アジアの人々が非常に増えていることが気になったのです。
ちなみに、タイは多国籍国家です。たくさんの近隣諸国の人たちがタイに来て働いています。工事現場で働いているのがカンボジア人で、レストランで働いているのがミャンマー人だ、というような状況は当たり前でした。そんな環境に慣れていたこともあり、日本に来ている彼らがどのような暮らしをしているのか知りたくなったわけです。最初はそれを仕事にしようとはまったく考えておらず、ただの好奇心で高田馬場(東京)のミャンマー人街などに飲みに行ったり、昔の旅仲間に聞いた在日外国人の多いエリアなどを探索しているうちにだんだん面白くなってきて、これは本格的に調べようと思いたったのです。
――室橋さんは今、外国人が多い新大久保に住んでいるそうですね。本書の中でも新大久保が「最先端」エリアとして取り上げられていて、イスラムのハラルフードの食材店やネパール人向けの新聞社などが紹介されています。
新大久保には2年ほど前から住んでいます。取材を続けるうちに非常に興味深くなったので「もう引っ越した方が早い」と思って。僕が住んでいる付近は外国人ばかりで、耳に入ってくる会話はほぼ日本語ではないですね。古くから居る日本人と新たに流入してきた外国人たちが一緒になって暮らしています。
たとえば、老舗の魚屋の真向いにイスラムの雑貨屋があって、隣の2階には韓国人や中国人向けの美容室がある。通りの向こうから聞こえる声の主はベトナム人の留学生たち。自転車をのんびり漕いでいるのが昔から住んでいる年配の日本人。そんなエリアは今のところ新大久保以外ありません。
ただし、今のところ、というのがポイントで、これからの日本は多かれ少なかれ新大久保的にならざるを得ないのではないかと考えています。若者がどんどん減り、その空いたスペースには外国人たちがやってくる。
そうした状況にはギャップやすれ違い、ある種の文化的衝突がありつつも、混然となった生活や文化の「日常」が生まれていて、そこには日本全体に失われつつある「エネルギー」がみなぎっているように感じるんです。生活の糧を稼ぐギラギラした感じや、清潔感からは少し離れるけれども生命力たっぷりの生活臭など。
とは言っても、いざ住んでみると「日本の居酒屋やスーパーがちょっと少ないな...」など色々思うことはあるんですが(笑)。
――新大久保というと韓流好きの集まるコリアンタウンのイメージが強いですが、本の中では東南アジアや中近東などアジア各地からどんどん人々がきていることを書いています。
実際に韓国の化粧品や食べ物目当てでやってくる日本人の若い女性は本当に多くて、週末は道がまるで満員電車状態になっていて動かないほど。駅もそれほど大きくないので、乗り降りができず、一時封鎖されることもありました。そうした日本人や日本にやってきた同胞を相手にしている韓国人も多いのですが、一方で、東南アジアなどから若い留学生や働き手が縁を伝ってどんどんやって来ています。
最近は特にベトナム人が増えている印象があります。彼らは語学学校で日本語を学ぶと、専門学校や大学に進んでスキルを身につけ、それから就職というパターンが多いのですが、必要な経験を積んだらすぐに独立を目指す。学校を卒業後、すぐに起業する人も珍しくはありません。その前のめりなエネルギーは、いまの日本人にはなかなか持ちづらいものだと思います。見ていて羨ましいですね。いま新大久保には、ベトナム人の経営するカフェ、レストラン、それにガールズバーなどさまざまな店があります。
――本の中で取り上げている在日外国人はお店など経営している人が多いですね。「自分でビジネスをやりたい」と考える人が多いのでしょうか?
たしかに在日外国人たちはどんどん起業しますね。アジア各国の友人たちや知り合った若者と話をしていても、逆に「日本人はなぜ起業しないんだ?」「誰かに使われているなんて嫌だろう?」と問い返されます。彼らには独立マインドが備わっているというか、昔の日本人が持っていた「男なら一旗あげるべし!」という気持ちが強いのだろうと思います。いまや男に限らないのですが。
日本在住の知り合いのバングラデシュ人も、1回起業に失敗したにも関わらず、捲土重来、またレストランをオープンすると言っています。「室橋、いろいろアドバイスをしてほしい」と頼まれたんですが、よくよく聞くと、場所から内装からもう既にあらかた決まっているんです。住所を見ると駅から相当に離れていて、辺鄙な住宅街の中にある。住宅街の中に突如現れるバングラデシュのレストラン……。「せめて場所を決める前に相談してよ」と思いました(苦笑)。
しかし、彼らをみていると、失敗しても挑戦するアグレッシブさをひしひし感じます。
30代の10年間はタイの日本語情報誌で記者をやっていました。一度仕事に区切りをつけ、日本に戻ってきた5年ほど前、街中が外国人だらけになっていることにとても驚きました。コンビニでも居酒屋でもどこに行っても外国人が働いています。もともと中国や韓国はお隣ということもあり、比較的多かったと思いますが、それ以外にも、ネパール人やベトナム人など東南アジア、南アジアの人々が非常に増えていることが気になったのです。
ちなみに、タイは多国籍国家です。たくさんの近隣諸国の人たちがタイに来て働いています。工事現場で働いているのがカンボジア人で、レストランで働いているのがミャンマー人だ、というような状況は当たり前でした。そんな環境に慣れていたこともあり、日本に来ている彼らがどのような暮らしをしているのか知りたくなったわけです。最初はそれを仕事にしようとはまったく考えておらず、ただの好奇心で高田馬場(東京)のミャンマー人街などに飲みに行ったり、昔の旅仲間に聞いた在日外国人の多いエリアなどを探索しているうちにだんだん面白くなってきて、これは本格的に調べようと思いたったのです。
――室橋さんは今、外国人が多い新大久保に住んでいるそうですね。本書の中でも新大久保が「最先端」エリアとして取り上げられていて、イスラムのハラルフードの食材店やネパール人向けの新聞社などが紹介されています。
新大久保には2年ほど前から住んでいます。取材を続けるうちに非常に興味深くなったので「もう引っ越した方が早い」と思って。僕が住んでいる付近は外国人ばかりで、耳に入ってくる会話はほぼ日本語ではないですね。古くから居る日本人と新たに流入してきた外国人たちが一緒になって暮らしています。
たとえば、老舗の魚屋の真向いにイスラムの雑貨屋があって、隣の2階には韓国人や中国人向けの美容室がある。通りの向こうから聞こえる声の主はベトナム人の留学生たち。自転車をのんびり漕いでいるのが昔から住んでいる年配の日本人。そんなエリアは今のところ新大久保以外ありません。
ただし、今のところ、というのがポイントで、これからの日本は多かれ少なかれ新大久保的にならざるを得ないのではないかと考えています。若者がどんどん減り、その空いたスペースには外国人たちがやってくる。
そうした状況にはギャップやすれ違い、ある種の文化的衝突がありつつも、混然となった生活や文化の「日常」が生まれていて、そこには日本全体に失われつつある「エネルギー」がみなぎっているように感じるんです。生活の糧を稼ぐギラギラした感じや、清潔感からは少し離れるけれども生命力たっぷりの生活臭など。
とは言っても、いざ住んでみると「日本の居酒屋やスーパーがちょっと少ないな...」など色々思うことはあるんですが(笑)。
――新大久保というと韓流好きの集まるコリアンタウンのイメージが強いですが、本の中では東南アジアや中近東などアジア各地からどんどん人々がきていることを書いています。
実際に韓国の化粧品や食べ物目当てでやってくる日本人の若い女性は本当に多くて、週末は道がまるで満員電車状態になっていて動かないほど。駅もそれほど大きくないので、乗り降りができず、一時封鎖されることもありました。そうした日本人や日本にやってきた同胞を相手にしている韓国人も多いのですが、一方で、東南アジアなどから若い留学生や働き手が縁を伝ってどんどんやって来ています。
最近は特にベトナム人が増えている印象があります。彼らは語学学校で日本語を学ぶと、専門学校や大学に進んでスキルを身につけ、それから就職というパターンが多いのですが、必要な経験を積んだらすぐに独立を目指す。学校を卒業後、すぐに起業する人も珍しくはありません。その前のめりなエネルギーは、いまの日本人にはなかなか持ちづらいものだと思います。見ていて羨ましいですね。いま新大久保には、ベトナム人の経営するカフェ、レストラン、それにガールズバーなどさまざまな店があります。
――本の中で取り上げている在日外国人はお店など経営している人が多いですね。「自分でビジネスをやりたい」と考える人が多いのでしょうか?
たしかに在日外国人たちはどんどん起業しますね。アジア各国の友人たちや知り合った若者と話をしていても、逆に「日本人はなぜ起業しないんだ?」「誰かに使われているなんて嫌だろう?」と問い返されます。彼らには独立マインドが備わっているというか、昔の日本人が持っていた「男なら一旗あげるべし!」という気持ちが強いのだろうと思います。いまや男に限らないのですが。
日本在住の知り合いのバングラデシュ人も、1回起業に失敗したにも関わらず、捲土重来、またレストランをオープンすると言っています。「室橋、いろいろアドバイスをしてほしい」と頼まれたんですが、よくよく聞くと、場所から内装からもう既にあらかた決まっているんです。住所を見ると駅から相当に離れていて、辺鄙な住宅街の中にある。住宅街の中に突如現れるバングラデシュのレストラン……。「せめて場所を決める前に相談してよ」と思いました(苦笑)。
しかし、彼らをみていると、失敗しても挑戦するアグレッシブさをひしひし感じます。
クルド難民たちの置かれた不安定な状況
――本では日本最大のモスク・東京ジャーミイやインド人向けのシーク寺院など、宗教関連の施設を多く取り上げていますが、なぜでしょう?
在日外国人のコミュニティの中には必ずといっていいほど宗教的な施設があります。なぜかというと、彼らの生活の中心には宗教があり、それが生活の礎となっているからです。ある種電気やガスと同じ必要性を持った「心のインフラ」です。日本に来て、だんだん生活に慣れてきて同じ民族同士のつながりができてくると、誰からともなくそうした宗教的な施設を求めるようになる傾向があるようです。ないと何か居心地が悪い感じがするのでしょう。彼らにとってそうした施設は、本来あるべきものなのです。
また取材してみてわかったのですが、宗教施設には実質的な役割として誰もが気軽にやって来られる社交場としての役割があり、異国での寂しさを和らげる効果がありますし、日本の宗教者のイメージとは違って、彼らにとってのお坊さんなどの宗教者は何か困ったことがあったら相談に乗ってくれたり、アドバイスをくれたりする人でもあるんです。そうした人がいる場がコミュニティの中心に欠かせないのは当然かなと思います。
――特に印象的だった施設はどこですか?
東京・八王子市のタイ寺院「ワット・パー・プッタランシー」ですかね。どこか懐かしいというか、親戚のおばちゃんちに上がりこんだような暖かさと居心地の良さがありました。誰が来ても良く、来た人みんなで井戸端会議をしていて「お菓子を作ってきたから食べて」なんて話をしている。でもちゃんと壇上にはお坊さんがいらっしゃって、その様子を見守っています。タイ独特のゆるい空気があって、落ち着く空間だなと思いました。
――本書では埼玉県蕨市に住む「クルド難民」にも取材をしています。いつ入管に呼びだされ、収容されてしまうかわからない。就労もままならず、教育も受けられない。非常に不安定な暮らしを強いられていることが、取材の様子からとても伝わってきました。
クルド人は、トルコやシリア、イラクなどにまたがって住んでいる人たちです。世界最大の少数民族と言われています。言葉や文化の違いから各国で差別を受けています。その中で、独立や自治権を模索する動きも出てきます。しかし認められることはなく、武装闘争やテロも起こる。それに対する弾圧も巻き起こる。
こうした争いについて、僕は何か判断できる立場ではありません。でも、安全を求めて国を出るクルド人もまた、たくさんいるのです。ヨーロッパを目指す人が多いですが、中には日本を選ぶクルド人もいます。いま日本で暮らすクルド人は、国籍はトルコという人が中心ですね。
――日本に来てからはどのような生活実態なのでしょう?
彼らはまず難民として申請をするわけですが、日本は基本的に難民を認め、受け入れる国ではありません。そこで日本政府としては「難民として認められるかどうか、まず審査をする。審査の間は本来、入管に収容する必要があるのだが、人道的配慮からこれを‘仮に’免除して‘放免’する」というある種の抜け道的に法を運用して、滞在資格を認めているわけです。これを仮放免といいます。
この状態が不安定なんですね。彼らは定期的に入管に出頭する必要があるのですが、出頭した場でいきなり仮放免が取り消され、強制的に入管施設に収容されてしまうことがよくあるんです。で、この収容がいつまで続くかわからない。そこでは人権を無視したような扱いを受ける。体調を崩しても病院にも行かせない。自殺者も出ています。そしてまた、急に釈放されたりするわけです。どうして釈放されたのか、その理由もわからない。次にいつ収容されるのかもわからない。そしてもちろん、難民として認定されることはまずないので、この仮放免の状態をだらだらと更新し続けて生きていかなくてはなりません。
そうした宙ぶらりんの状態が続いているため、かなりのストレスになっています。「もう日々をただ過ごせばそれでいい」という諦めの境地になっている人もいます。子どもに教育を受けさせるモチベーションもわかず、学校をやめさせてしまう親もいる。日本語をあまり話せない人も出てくる。学校に通っている子も、難民というイメージもあっていじめの対象にもなる。卒業後も今度は就職が難しい。厳しい状況です。
――今後、国や行政はどうするべきだと考えますか?
クルド人をいじめたり差別する人がいる一方、なんとか手助けしたいと思う人がたくさんいるのも日本です。しかし、もう民間の支援では限界だという声も聞かれました。国や行政が難民申請者の扱いをはっきり決めないと、ワラビスタン(クルド難民が多い蕨市の呼称)は立ち行かなくなるでしょう。少なくとも仮放免という方法で滞在させることはやめるべきではないでしょうか。
それに「日本は(現在は)難民を受け入れていない」という国の方針はもっと広くアナウンスしたほうがいいように思います。勘違いしてやってくる人々が後を絶ちません。一方で難民申請者も、そういった日本の姿勢についてあらかじめ調べておくべきです。
――在日外国人が増えていくなかで、日本の人はどのように変わっていくべきでしょうか?
特に何かを変える必要があるとは思いません。変わりたくない人はそのままでいいでしょうし、無理に外国人を受け入れる必要はないと思います。とはいえ、国として外国人労働者の受け入れを拡大する改正出入国管理法を新たに施行しているので、これからもどんどん在日外国人の方たちが増えていくのは確実です。実際にコンビニでも居酒屋でも外国人の方々に仕事をしてもらわないと、人手が足りない状況ですよね。
日本人というのはすごく好奇心が強い人々だと思います。外国人たちとその文化が流入してくることで「知らない文化を覗いてみようかな」と思い始める人もたくさん出てくるはず。そう感じられたら、どんどん彼らのコミュニティに旅行感覚で飛び込んでいってほしいです。何か気持ちの変化があるかもしれないし、新しい発見があるかもしれません。僕もそういう人たちのガイドになるような取材をこれからも重ねていこうと思っています。
〈室橋裕和さんプロフィール〉
1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌「Gダイアリー」「アジアの雑誌」デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。おもな著書は『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)など。
(文:篠原諄也 写真:樋口涼)
在日外国人のコミュニティの中には必ずといっていいほど宗教的な施設があります。なぜかというと、彼らの生活の中心には宗教があり、それが生活の礎となっているからです。ある種電気やガスと同じ必要性を持った「心のインフラ」です。日本に来て、だんだん生活に慣れてきて同じ民族同士のつながりができてくると、誰からともなくそうした宗教的な施設を求めるようになる傾向があるようです。ないと何か居心地が悪い感じがするのでしょう。彼らにとってそうした施設は、本来あるべきものなのです。
また取材してみてわかったのですが、宗教施設には実質的な役割として誰もが気軽にやって来られる社交場としての役割があり、異国での寂しさを和らげる効果がありますし、日本の宗教者のイメージとは違って、彼らにとってのお坊さんなどの宗教者は何か困ったことがあったら相談に乗ってくれたり、アドバイスをくれたりする人でもあるんです。そうした人がいる場がコミュニティの中心に欠かせないのは当然かなと思います。
――特に印象的だった施設はどこですか?
東京・八王子市のタイ寺院「ワット・パー・プッタランシー」ですかね。どこか懐かしいというか、親戚のおばちゃんちに上がりこんだような暖かさと居心地の良さがありました。誰が来ても良く、来た人みんなで井戸端会議をしていて「お菓子を作ってきたから食べて」なんて話をしている。でもちゃんと壇上にはお坊さんがいらっしゃって、その様子を見守っています。タイ独特のゆるい空気があって、落ち着く空間だなと思いました。
――本書では埼玉県蕨市に住む「クルド難民」にも取材をしています。いつ入管に呼びだされ、収容されてしまうかわからない。就労もままならず、教育も受けられない。非常に不安定な暮らしを強いられていることが、取材の様子からとても伝わってきました。
クルド人は、トルコやシリア、イラクなどにまたがって住んでいる人たちです。世界最大の少数民族と言われています。言葉や文化の違いから各国で差別を受けています。その中で、独立や自治権を模索する動きも出てきます。しかし認められることはなく、武装闘争やテロも起こる。それに対する弾圧も巻き起こる。
こうした争いについて、僕は何か判断できる立場ではありません。でも、安全を求めて国を出るクルド人もまた、たくさんいるのです。ヨーロッパを目指す人が多いですが、中には日本を選ぶクルド人もいます。いま日本で暮らすクルド人は、国籍はトルコという人が中心ですね。
――日本に来てからはどのような生活実態なのでしょう?
彼らはまず難民として申請をするわけですが、日本は基本的に難民を認め、受け入れる国ではありません。そこで日本政府としては「難民として認められるかどうか、まず審査をする。審査の間は本来、入管に収容する必要があるのだが、人道的配慮からこれを‘仮に’免除して‘放免’する」というある種の抜け道的に法を運用して、滞在資格を認めているわけです。これを仮放免といいます。
この状態が不安定なんですね。彼らは定期的に入管に出頭する必要があるのですが、出頭した場でいきなり仮放免が取り消され、強制的に入管施設に収容されてしまうことがよくあるんです。で、この収容がいつまで続くかわからない。そこでは人権を無視したような扱いを受ける。体調を崩しても病院にも行かせない。自殺者も出ています。そしてまた、急に釈放されたりするわけです。どうして釈放されたのか、その理由もわからない。次にいつ収容されるのかもわからない。そしてもちろん、難民として認定されることはまずないので、この仮放免の状態をだらだらと更新し続けて生きていかなくてはなりません。
そうした宙ぶらりんの状態が続いているため、かなりのストレスになっています。「もう日々をただ過ごせばそれでいい」という諦めの境地になっている人もいます。子どもに教育を受けさせるモチベーションもわかず、学校をやめさせてしまう親もいる。日本語をあまり話せない人も出てくる。学校に通っている子も、難民というイメージもあっていじめの対象にもなる。卒業後も今度は就職が難しい。厳しい状況です。
――今後、国や行政はどうするべきだと考えますか?
クルド人をいじめたり差別する人がいる一方、なんとか手助けしたいと思う人がたくさんいるのも日本です。しかし、もう民間の支援では限界だという声も聞かれました。国や行政が難民申請者の扱いをはっきり決めないと、ワラビスタン(クルド難民が多い蕨市の呼称)は立ち行かなくなるでしょう。少なくとも仮放免という方法で滞在させることはやめるべきではないでしょうか。
それに「日本は(現在は)難民を受け入れていない」という国の方針はもっと広くアナウンスしたほうがいいように思います。勘違いしてやってくる人々が後を絶ちません。一方で難民申請者も、そういった日本の姿勢についてあらかじめ調べておくべきです。
――在日外国人が増えていくなかで、日本の人はどのように変わっていくべきでしょうか?
特に何かを変える必要があるとは思いません。変わりたくない人はそのままでいいでしょうし、無理に外国人を受け入れる必要はないと思います。とはいえ、国として外国人労働者の受け入れを拡大する改正出入国管理法を新たに施行しているので、これからもどんどん在日外国人の方たちが増えていくのは確実です。実際にコンビニでも居酒屋でも外国人の方々に仕事をしてもらわないと、人手が足りない状況ですよね。
日本人というのはすごく好奇心が強い人々だと思います。外国人たちとその文化が流入してくることで「知らない文化を覗いてみようかな」と思い始める人もたくさん出てくるはず。そう感じられたら、どんどん彼らのコミュニティに旅行感覚で飛び込んでいってほしいです。何か気持ちの変化があるかもしれないし、新しい発見があるかもしれません。僕もそういう人たちのガイドになるような取材をこれからも重ねていこうと思っています。
〈室橋裕和さんプロフィール〉
1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌「Gダイアリー」「アジアの雑誌」デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。おもな著書は『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)など。
(文:篠原諄也 写真:樋口涼)
好書好日(朝日新聞)
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