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真夏の朝日が強く照り付けたネギ畑。青年海外協力隊員・白上裕樹さん(39)は額に大粒の汗を光らせながら、生い茂る雑草を手作業で刈り取っていた。ただ、場所は協力隊の舞台である途上国ではない。駒ケ根市だ。
白上さんは市内出身。地元には、協力隊員の候補生が海外派遣に向けた訓練を受ける駒ケ根青年海外協力隊訓練所があり、子どもの頃から協力隊を身近に感じていた。「いつも心のどこかで参加したい思いがあった」と振り返る。
岐阜県の建設コンサルタント会社で十数年間、橋の設計や施工管理などに携わった後、協力隊を志願した。2018年秋から駒ケ根訓練所で訓練期間の70日間を過ごし、翌年1月、協力隊員としてネパールへ飛び立った。
任地はサンカラプル市。約9千人が犠牲になった15年のネパール大地震で、多くの建物の倒壊被害があった地域だ。白上さんは会社勤めで培ったスキルを生かし、市役所で災害に強い都市の構築に取り組んだ。
しかし、新型コロナウイルスが状況を一変させる。地球規模のまん延を受け、国際協力機(JICA)は今春、協力隊員を全員一時帰国させることを決めた。白上さんは3月下旬、ネパールの地を去らねばならなかった。
駒ケ根市に戻り、自営業の実家の手伝いをしながら将来の方向について考えていた。そんな時、市内に拠点を置く「夢倶楽部信州カウンセリングセンター」の副所長・有賀秀樹さん(68)に7月、声を掛けられる。「学び舎のスタッフとして参加してもらえないか」
有賀さんが手掛ける「学び舎」は、引きこもりや不登校などを経験した若者の社会参加を支援する事業。「地元出身の協力隊員がいれば、若者にとって刺激になるのではないか」。有賀さんはそう考え、白上さんを誘ったのだ。
8月中旬にあったネギ畑での農作業も、学び舎の就労体験の一環。20~30代の7人と共に精を出した白上さん。休憩時間には若者たちと談笑し、親交を深めていた。
若者の一人、後沢佑樹さん(29)は興奮気味に話す。「ネパールや協力隊のことを聞いていると、自分の世界が広がる。『こういう生き方もあるんだ』という発見がある」。有賀さんの狙い通り、白上さんの存在は若者たちに大きな影響をもたらしているようだ。
白上さんの協力隊員としての任期は来年1月17日まで。任期中の再派遣を希望しているが、新型コロナの終息の兆しが見えない現状でネパールに戻るのは難しいとも感じている。
だが、悲壮感を漂わせているわけではない。白上さんは語る。「学び舎に関わるだけでなく、駒ケ根に住むネパール人に日本語を教えるなど、自分にできることを探していく。協力隊で培った経験を地域に還元したい」。その言葉には力がこもっていた。
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新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受け、青年海外協力隊の活動中断が続いている。途上国への派遣再開の見通しが立たない中、待機中の協力隊員やその候補生は国内でどのように過ごしているのか。「協力隊は今」第2部では、上伊那地域での事例を描く。全3回。
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