2024年9月6日金曜日

「インネパ」で働くネパール人の多くは“同郷”だった 「バグルン」から日本のインド料理店への出稼ぎが殺到するようになった複雑な背景

 Source:https://www.moneypost.jp/1158659

2024.06.25 16:02、Googleニュースより


「インネパ」で働く多くのネパール人は「バグルン」出身だった(室橋氏提供)

「インネパ」で働く多くのネパール人は「バグルン」出身だった(室橋氏提供)

 全国でネパール人経営のインド料理店が増加している。通称「インネパ」とも呼ばれるこうした店は、なぜ急拡大しているのか、なぜネパール人がインド料理店を営んでいるのか……。様々な謎を解明するため、『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(集英社新書)を上梓したライターの室橋裕和氏にインタビューを敢行。後編記事では、実際にインド料理店で働くネパール人たちの共通点について紐解いていく。【前後編の後編。前編から読む

日本のことをよく知らないまま来日するコックとその家族

 ネパール人はどのようにして店舗を拡大していったのか。

「2002年頃に外国人は『500万円以上の出資』があれば会社を作れるようになりました。『経営・投資』の在留資格を取得するために、ネパール人コックたちはこの制度を活用して、インド人や日本人のお店のもとで稼いだ資金で起業します。ネパールから調理経験のある家族を呼び『技能』の在留資格を取らせコックとして雇う。新しくネパールから来たコックも『経営・投資』の在留資格を取って、独立していく。こうして、安定的に在留資格を取り続け各地に『インネパ』が広がっていきました」(室橋氏。以下、「」内は室橋氏)

 前編記事では「どの店舗の味も似通っている」ことについて言及したが、それは日本に来る目的と想いが変化してきているからだという。

「昔から日本でインド料理店を経営してきたネパール人は、『2000年代に来日した人間の店は経営に工夫が見られない』と言います。1980~90年代に日本に来てインド料理の枝葉を広げた層はインテリが多く、日本人と結婚して社会とのつながりもしっかり固めていた。その根底に日本への憧れがありました。

 ところが、2000年代以降に急増した経営者はそうとは限らない。ネパールのなかでも田舎の出身者が多く、そういうエリアは国外への出稼ぎが“主要産業”になっている。教育もしっかり受けられていない人が混ざっていて、『親族がいるから稼げるだろう』という理由で日本に来る人も多い。つまり、稼げるのであれば日本でなくてもよかったんです。日本のことをよく知らないまま、“とりあえず”で来日するコックとその家族が増えていく。そこには歪みが出てきてしまうのです」

ネパールの「バグルン」発祥ともいえる「インネパ」

ネパールの「バグルン」発祥ともいえる「インネパ」

みんな「バグルン」出身なのはどうしてなのか?

 室橋氏が取材を進めていると「インネパ」で働くネパール人のある共通点が見えてきたという。

「話を聞くコックの多くは、ネパール中部にある『バグルン』が出身地だったのです。誰に聞いても『バグルン』と答えるので、これは実際に行って確かめてみなければと思うようになった。今回の新刊には、現地まで足を運んだ際の取材内容も収録しています」

 そうしたなかで、ネパール人たちが初めは「インド経由」で日本にやってきたという経緯や、日本にいるネパール人の出身地域に偏りがある理由が少しずつわかってきたのだという。

 昔からインドでも重要な働き手として重宝されていたネパール人。ネパール人はインド人のように「カースト」による分業意識がないため、インドの飲食店でも様々な業務がこなせる存在として重宝されていた。

「インドの飲食店で修行を積んだネパール人が、初めて日本に出稼ぎに来たのが1980年代だと言われています。インドのデリーにあるインド料理店で働いていたネパール人が、日本でコックを募集する求人広告に応募し、面接や試験を突破。1983年に来日した後、故郷の『バグルン郡ガルコット』から親戚や知人を呼び、さらに彼らも故郷の『バグルン郡ガルコット』から人を呼び寄せた。結果的に少しずつ『バグルン』から日本へ来る人が増え、それがメインルートとして確立されるようになったのです」

カレー店の話から移民問題を考えてほしい

 室橋氏は日本各地に点在する「インネパ」を取材するなかで、我々のすぐ側にある様々な「移民問題」について考えるきっかけになってほしいと考えるようになった。

「この本はエスニックファンの方々はもちろん、普段のランチの選択肢のなかに『カレー』が入っているすべての人に読んでほしい。すぐそこにあるカレー店について深掘りしたこの本がネパールの移民問題について考えてもらう入り口になればと願います」

 今ではどこの街にも溢れる「インネパ」のカレー店。だが、それぞれの店にはカレーのスパイスのように複雑な背景があるようだ。

■前編〈なぜどの店も看板商品が「バターチキンカレー」なのか? ネパール人が経営するインド料理店「インネパ」が街に溢れている秘密を解き明かす〉を読む

アジア専門のジャーナリストとして活動する室橋裕和氏

アジア専門のジャーナリストとして活動する室橋裕和氏

【プロフィール】
室橋裕和(むろはし・ひろかず):1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年にわたりタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のジャーナリストとして活動。著書に『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(集英社新書)、『エスニック国道354号線』(新潮社)、『ルポ新大久保』(角川書店)、『日本の異国』(晶文社)など。

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