Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/6f38266eab42da6e7e3969a9f236241dba23de99
「エージェントから“ホンダはどうですか?”と提案され、“良いに決まっているじゃないですか。そのホンダがケイスケ・ホンダならばね”と答えたんです。冗談か別のホンダと思ったので。そうしたら驚くべきことに本人だったのです。後のことはご存じのとおりです」 【画像】もっと写真を見る(6枚) 8月13日、ネパールの首都カトマンズにて、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)チャレンジカップ・プレーオフとして、ブータン・ブレミアリーグ1位となったパロ・フットボールクラブ(以下パロFC)と、ネパールのチャーチ・ボーイズ・ユナイテッド(CBU)との試合が行われた。そこには、日本代表として過去3度ワールドカップに出場した本田圭佑が、パロFCの一員として出場、しかも一試合のみの契約ということで、日本でも話題を呼んだのは記憶に新しい。 それは日本のみならず、ブータンでも一大フィーバーが起き、ネパールやアジア各国でもニュースとなった。試合前に降っていた豪雨により、グラウンドコンディションは劣悪ななか、キャプテンを任された本田はフル出場。パロFCは見事2-1でCBUに競り勝った。試合後、泥だらけのユニフォーム姿でチームメイトから胴上げをされ、喜びを分かち合っていた。 頭のコメントは、その試合後のインタビューでも本田が語っていたパロFCのプレジデントであるカルマ・ジグメさんによる。チームではAFC(アジアサッカー連盟)チャレンジリーグ出場のチャンスを賭け、1試合だけプレイしてくれることを了承してくれる左利きの好選手を探していたのだという。 そんななか挙がってきたホンダの名前に対して、世界で活躍した名選手のはずはないとはじめは思っていたのだ。しかしそれは現実のものとなり、クラブの、いやブータンのサッカーの歴史に刻む勝利へとつながったのである。パロFCはこれで、アジア一を決めるACLのACLエリート、ACL2に次ぐ、ACLチャレンジカップという3構成の3番目のレイヤーへの出場が決まった。言うなればアジアリーグのトップを目指す最初の扉の前に立ったことになるのだ。 「かつてはAFCの規約で外国人選手の人数に規制がありました。それが変更になったのでチャレンジカップへの挑戦のために、短期間での外国人選手との契約を決意しました。それが我々チームを強化する最善の方法だと考えたからです。試合には本田以外の外国人選手もプレイしています。しかし本田ほどの経験値の高いプレイヤーがチームに加わることは経験してきたことがなく、それがどのような影響をチームに及ぼすのかは予測することができませんでした」 これは他のジャンルにも言えることなのだが、ブータンというヒマラヤの小国においては、世界と切磋琢磨して学び多き経験を踏むということが困難なケースが非常に多い。サッカーは最も人気のあるスポーツのひとつであるけれど、いわゆる胸を借りる機会に恵まれることは大変レアだ。そんな中、本田というビッグネーム加入には予想不可能な事柄が含まれていたとしても無理はないだろう。しかしトップのそんな杞憂に対し、選手たちの反応は大変ポジティブだったようだ。 「選手たちの間では興奮が渦巻いていました。本田がブータンにやってくるということに対し、私はチームの選手一人ひとりと個別に話をしました。みんなやる気満々で、誰もがサッカーを象徴するようなスター選手と一緒にプレイさせてほしいと、熱くなっていました。実際のトレーニングセッションでも闘争心をもって向き合っていて、みんなが一緒にいることを楽しんでいるようでした。トレーニング中や終了後に、サインや写真を求め本田のペースを乱すことがないように選手たちに頼まなくては、と思うほどでした。本田は実に素晴らしい人柄かつまさにプロというプレイヤーだったと思います。口数は少ないですが、求められたことにはきちんと答えてくれる人です」 カルマさんがホテル・リゾート経営などの家業を引き継ぎながら、パロFCを仲間たちと設立したのは2018年と歴史は浅い。しかも知り合い9人だけでのスタートだったという。英国オックスフォードで学んだ彼は多角的経営者であり、ブータンを代表するビジネスパーソンのひとりと言えるかもしれない。そんななかでも、サッカーを通じて地域や教育に貢献したいという情熱をかねてから抱いていた。本田の加入がブータンの未来に与えた影響は大きいと話す。 「本田が(ブータンの)チームの一員である、であったということは、若い世代に希望とインスピレーションを与えたと思います。それまでサッカーに興味がなかった人たちも試合を観に行くようになりました。またそれだけにとどまらないでしょう。健康的なライフスタイルやプロ意識、トレーニング習慣の獲得などに繋がるはずです。つまり彼のような選手(が見せてくれたこと)は、サッカーだけでなく人材育成に大いに貢献するのだと思います」 かつて日本のサッカーも、外国人有名選手に触発されてレベルアップを遂げてきた過去がある。ブータンもまた、本田の加入によりアジアチャンピオンズリーグへの門が開いた。「数年の後には(ACLチャレンジカップの)クォーターファイナルに進出したい」とビジョンを語るカルマさん。本田と今後契約するつもりがあるかと尋ねると「もちろん、彼が同意してくれればですが」と即答した。ヒマラヤの小国で始まった事件は、秘境のサッカーの振興だけでなく未来への希望となった。次の物語を期待するのは、クラブチームのトップだけではないはずだ。 Photograph:Sajan 田中敏惠(キミテラス) ブータン現国王からアマンリゾーツ創業者のエイドリアン・ゼッカ、メゾン・エルメスのジャン=ルイ・デュマ5代目当主、ベルルッティのオルガ・ベルルッティ現当主まで、世界中のオリジナリティーあふれるトップと会いながら「これからの豊かさ」を模索するキミテラス代表。著書に『ブータン王室はなぜこんなに愛されるのか』『未踏 あら輝 世界一予約の取れない鮨屋』(共著)、編著書に『Kajitsu』などがある。
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