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荻窪にはネパール政府公認の学校が存在する。その名も「エベレスト・インターナショナルスクール・ジャパン(EISJ)」。通称「荻窪のエベレスト」と呼ばれるその学校は、日本に移住するネパール人の急増を受けて作られた。異国の地で懸命に学ぶ子供たち。彼らは貧困に喘ぎながらも懸命に働くネパール人の親たちの希望を一身に背負いながら生きているのだ。※本稿は、室橋裕和『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(集英社)の一部を抜粋・編集したものです。

ネパール人学校『荻窪のエベレスト』
生徒の7割はカレー屋の子供?

 カレー屋のネパール人たちからよく聞いていた「エベレスト・インターナショナルスクール・ジャパン(EISJ)」は、一度来てみたかった場所だ。

「400人以上の生徒が通っていますが、7割ほどはカレー屋の家庭ではないでしょうか」

 広報を務める藤尾和人さん(66)は言う。東京杉並区・荻窪にある同校を訪れたのはお昼どきだったが、ネパール人の子供たちが駆けまわり声を上げ、やたらに元気だ。

「とにかく活発ですよ。授業でも『誰かわかる人!』って先生が聞くと、みんなが手を挙げる。わかっていない子も手を挙げる(笑)」

 EISJは2013年、「世界初のネパール人学校」として開校した。背景にあるのはもちろん、カレー屋をはじめとする在日ネパール人の急増だ。彼らの妻子も「家族滞在」の在留資格で日本に住むようになると、必然的にネパール式の教育の場を求める声も強くなる。言葉の問題や文化の違いがあるため公立学校で学ぶのは難しいからだ。僕が住んでいたタイ・バンコクをはじめ日本人在住者の多い世界各都市に日本人学校があるが、異国で暮らす保護者としてはやはり、母国の教育がいちばん安心できるということなのだろう。設立には阿佐ヶ谷「クマリ」のキラン・タパさんも尽力している。

 EISJの特徴は、ネパール政府公認カリキュラムを持っていること。そして英語を軸にしていることだろう。現在は1年生から12年生(日本の小学1年生から高校3年生)までが学ぶが、ネパール語とネパール文化の授業、日本語の授業のほかは、すべて英語での教育が行われている。

 ネパールも含む南アジア圏では歴史的にイギリスの影響が強く、高等教育といえば英語で、という風潮が強い。教育意識の高い家庭では親子でも英語で会話をしていたりする。それに日本に住む「移民」たちにとって、日本はいつまでいられるかわからない国だ。入管のサジ加減ひとつで在留資格は失われ、帰国しなくてはならないかもしれないし、親戚筋を頼って第三国へと移住していくかもしれない。不安定な立場だからこそ、世界のどこに行っても通用度の高い「国際ツール」である英語を我が子に身につけさせたいと願うネパール人の親は多い。

 そんな思いを受けてEISJの生徒数は増え続け、新大久保にはプレスクールも開校。さらに3000人の入学志望者がウェイティングリストをつくっていて、阿佐ヶ谷にも新しい校舎を準備しているという。

月5万円リーズナブルな学費
それでも経済的理由で退学者が

 この学校があるから荻窪に引っ越してきた、杉並区やJR中央線沿線でカレー屋を開いたというネパール人は多い。地域の「インネパ(ネパール人経営のインドカレー屋)」拡大にも大きな役割を果たしていると言えそうだ。2009年に488人だった杉並区在住のネパール人はEISJ開校を機に増え続け、2019年には2000人を突破。コロナ禍のためやや減少したが、2022年1月時点で1928人となっている。杉並区では中国、韓国に次ぐ一大勢力だ。

 しかし、EISJの学費は月5万円なのである。ほかに通学バスの費用が1万円かかる。一般的なインターナショナルスクールよりだいぶリーズナブルではあるのだが、それでも薄給に喘ぐコックや、経営が軌道に乗らず難儀している店主も多い業界だ。学費が払えず、やむなく公立の学校に通わせている親のほうが多い。この学校で子供を学ばせることができる時点で、カレー屋としてはうまくいっているほうなのだろう。

 近年では充実した英語教育や、ネパール人だけでなくインド人なども学ぶ多国籍さを魅力に感じて子供を通わせたいという日本人の親も増えるなど、メディアでも「エリート校」という取り上げ方をされることも多いが、実情はなかなかにたいへんだ。

「英語はみんなよく身につくのですが、日本で生まれたネパール人の子供はネパール語が難しいと壁に当たることもありますね」

 藤尾さんは話す。ここでも国の狭間で苦しむ子供たちがいる。それに学費の滞納が続き、やむなく退学していく子もいるという。コロナ禍で店を閉め帰国していった一家もいるそうだ。また10代の子供ではありがちなのかもしれないが、喫煙や万引で補導されたり、公共バスの中で大騒ぎして学校にクレームが入ったりもする。手のかかる生徒たちに目を光らせるべく、先生たちが朝に夕に駅前に立つ。一方で、差別的な電話がしつこくかかってきたりもする。

 いろいろなことはあるのだが「プライドを持ってほしい」と藤尾さんは力説する。

「EISJの子はやっぱりすごいな、この国でがんばっているネパール人の生徒なんだなって日本人にも思われるようになってほしいんです」

 そのためには卒業後も見据えた明確な目的意識と学びが必要なのだが、学校としてそこがやや欠けているようにも見えるという。観光と農業以外のこれといった産業を生み出せず海外出稼ぎ頼みになってしまっている母国の現状と重なって見えるのだと、藤尾さんは憂いている。

 英語の簡単な試験で入学できるから学力にばらつきがあり、全体として底上げしていくことも必要だ。

 課題は多い中でも、EISJは2023年にようやくフルハウスとなった。10年をかけて1年生から12年生までがすべてそろったのだ。はじめは低い年次の子供たちだけだったが、生徒も学校もともに成長し、最初の卒業生を送り出すまでになった。だが、彼らの進路はまだわからない。

「ネパール式なので卒業が5月なんですね。日本の大学や専門学校を目指す卒業生たちは、浪人のような形で勉強している最中です」

 取材時はちょうど卒業間もない6月だった。ここから半年以上、受験勉強が続く。学制の違いから、タイムラグができてしまうのだ。モチベーションと学力をキープするのもしんどいだろうが、それでもIT系などで日本の一流大学に入れそうなレベルの学生もいるそうだ。自動車整備や介護など、資格を取得して手に職をつけられる専門学校からの引き合いもあるという。しかしその陰で、高い学力がありながら経済的な理由で進学をあきらめる子もまたいるのだそうだ。

「エベレストに行かせたい」
身を粉にして働く親たち

 そんなEISJがある荻窪のそば、吉祥寺。とある居酒屋の前で、威勢のいい女性の声が響く。

「いらっしゃい、いらっしゃーい!」

 夕暮れどき、仕事を終えた人々に呼び掛けているのはネパール人の女性だ。

「2階、空いてますよ」「料理なんでもおいしいよ」「4名様、広いテーブルあるよ」

 妙に調子がよくて愛嬌たっぷりだからか、それじゃあと店に吸い込まれていくスーツ姿のおじさんたち。かと思ったら、通りの人の流れが途絶えたのを見て、店内に戻ってビールや料理をサーブして回る。なんともよく働くのだが、彼女もまたカレー屋のコックの妻だ。EISJに子供を通わせているが、ダンナの稼ぎだけではとうてい足りない。

「だからこうやってがんばってるんじゃん。エベレスト、お金高いからね」

 週に28時間という制限の中でアルバイトをし、学費を稼ぐ。いまは上の子だけがEISJに通っていて、下の子は幼稚園だ。卒園後はどうするべきか。2人ともEISJで学ばせたいが、就労制限がある「家族滞在」では、これ以上の収入を得るのは難しい。悩みどころなのだ。

 彼女のように、子供のために身を粉にして異国で働く親がいる。無理をしてでもEISJに行かせたい。英語力をつけて、自分たちよりも高く羽ばたいてほしい。この学校は日本で生きるネパールのカレー移民たちにとって、さまざまな懸案はあっても現時点での最高の教育機関であり、希望を次の世代に託す象徴でもあるのだ。