Source:https://www.fnn.jp/articles/-/720405
ネパール地震から半年…“見捨てられた被災者”
- #1
- #2
ネパール地震から半年…“見捨てられた被災者”
- #1
- #2
去年11月、マグニチュード6.4の大地震で20万人が被災したネパール。
「FNSチャリティキャンペーン」の取材で訪れた倉田大誠アナウンサーが目にしたのは、地震から半年たった今も手つかずのがれきの山でした。
被災者からは「政府から見捨てられた」との声も上がるこの地で一体何が起きているのか、取材しました。
危険な場所に“仮設住宅”
日本から首都・カトマンズを経由して、地震で被害を受けた山岳地帯へ向かった取材班。
倉田大誠アナウンサー:
すごい、(山が) 切り立っています。何か支えになるようなものが一切なくて、当然この辺り外灯もありません。人も歩いて行くんですね。みなさんこういった道が、いわゆる生活の道路です。
半年前の地震で被災したネパール西部は、ほとんどがこうした険しい山岳地帯です。
倉田アナ:
この辺りというのが、最も被害の影響を受けたという場所なんですが、本当に山岳地帯なんですよ。とても標高が高いです。地震の影響でしょうか、倒壊してしまって屋根が完全に抜け落ちてしまっている家もあります。
倉田アナ:
こちらのお宅は特にひどい。2階部分屋根だけではありません、外壁が完全にえぐり取られてしまっています
震源から約15km。大きな被害を受けたカルパス地区。地震から半年がたってもなお、壊れた家はそのまま残されていました。
地下数メートルに基礎を作り、家を建てることが多いネパールの住宅。基礎に密着した1階部分は比較的安定しているものの、2階以上は天井の崩落などが相次ぎました。
壊れた家屋の周辺に、住民らしき人の姿は全く見当たりません。
実は、このあたりは地震によって地盤がゆるみ、半年がたった今もたびたび土砂崩れが発生するなど、危険な状態。ほとんどの人が、移住したといいます。
そんな中、取材を続けていると、人の声が聞こえてきました。家を再建しているのでしょうか?
倉田アナ:
ナマステ~日本からきました。お母さん、これ何の作業をされているんですか?
カルパス住民:
仮設住宅を作っているところです。(材料は)木や石・トタンで作っています。強度的には心配なんですけれど…。
再び地震が来て土砂崩れが起きた際には、決して強度が高いとは言えない仮設住宅。切り立った山岳地帯だけに、資材を運ぶのにも余計にお金がかかるため、近場で用意できる資材で作るしかありません。
女性らはこれまでは近くの集落に住む友人の家に身を寄せていましたが、半年たってようやく、仮設住宅を建てることにしたといいます。
なぜ、土砂崩れの危険があるこの場所を選んだのでしょうか?
倉田アナ:
もっと遠く離れた場所に住むという選択肢はなかったんですか?
カルパス住民:
安全な土地に引っ越したいんですが、お金がなくて土地を買えないんです。危険なことはわかっていますが、ここに建てるしかありません。
彼女たち以外の“元住民”はどこにいってしまったのでしょうか?
男性に聞いてみます。
倉田アナ:
今、この辺りに人は住んでないようにも見えるんですけど、(元住民は)どこにいるんですか?
住民:
この村の人たち、みんな近くの仮設住宅に移動しました。
教えられた場所に行ってみると、崖から少し離れた場所に仮設住宅がいくつも並んでいました。
倉田アナ:
ほんとだ、かなりの数の仮設住宅がありますね。トタンですね、アルミ製のトタン屋根が貼られているんだ。あ!ナマステ!
出会ったのは、この仮設住宅に住む、パリヤールさん一家。
土砂崩れの心配のない場所に移り住み、少しは安心できているのかと思いきや…。
倉田アナ:
いまお仕事どうされててるんですか?
パリヤールさん:
生活のために出稼ぎに行くべきか悩んでいます。畑をつぶしてしまったので、今、仕事がないんです。
実は、仮設住宅が立てられているのは、元々、畑があった場所。多くの人が安全な住まいを作るために、唯一の収入源である畑をつぶして、家を建てたのです。
そのため、幼い子どもを抱えるパリヤールさんも、無収入の生活に。
そんな中でも、残りわずかな貯金を切り崩して、作ったものがありました。
パリヤールさん:
亡くなった2人の息子のために、慰霊碑を作ったんです。
地震に気づいたときには家が崩れていました。隣で寝ていた息子2人が家の下敷きになってしまったんです。
倉田アナ:
……。
飾られている写真には、カメラに向かって笑顔を見せる二人の子どもの姿。倉田アナウンサーも言葉に詰まります。
パリヤールさん:
この近くに私たちの家があったんですが、息子たちはここに来る車やバイクを見るのが好きで、ここでよく遊んでいました。思い出の場所なんです。
倉田アナ:
上にはなんて書いてあるのですか?
パリヤールさんの妻:
名前や生年月日が書いてあるんですけど…、読み書きができないので、分からないんです。
パリヤールさん:
二人のことを思い出す、大事な場所です。でも、ここに来るのがつらくなるときもあります。
倉田アナ:
まだ小さいお子さんがいます。彼女にはどういう大人になってもらって、どういう人生を歩んでほしいですか?
パリヤールさん:
この子には、良い教育を受けさせて立派に育てたいですけれど…。
パリヤールさんの妻:
安全で良い教育ができる所で育てたい気持ちはありますが、でもここで暮らしていたら、子どもの将来が明るくなるとは思えません。
届かぬ支援金「私たちは見捨てられたんです」
別の日、雨が降ると土砂崩れが起きることもあるという、別の被災地を訪れた取材班。そこに、今も住み続ける人と出会いました。
スシラさん、65歳。地震によって、あらゆるものを失いました。
スシラさん:
もともとは2階建ての家でした。土砂が崩れてきて、屋根がつぶされたんです。
地震直後に起きた土砂崩れが、屋根を直撃。スシラさんはなんとか九死に一生を得ましたが…。
スシラさん:
息子夫婦と、孫が2人、亡くなってしまいました。
息子が亡くなって、誰ひとり助けてくれる人はいません。誰でも良いから早く助けてほしいです。息子がいれば家を建て直してくれたかもしれませんけど、私も歳をとっているのでどうすることもできません。
倉田アナ:
お母さんのように、つらい思いをされている方がたくさんいると思います。どういうことを望まれていますか?どういうふうにしてほしいですか?
スシラさん:
国が地震の支援金を出してくれると言っていますが、半年たってもいまだにもらえていません。私たちは見捨てられたんです。
ネパールの場合、地震の支援金として、日本円で約6万円を2回に分けて配られる予定ですが、スシラさんは、1回目の支援金すらもらえていないといいます。
なぜ支援金が被災者の元へわたっていないのか、その理由を知るべく、ジャジャルコット郡庁舎に向かった取材班。しかし、そこで見たのは、行政を統括する場所とは思えないほど、崩れてしまった建物でした。
倉田アナ:
2階部分の屋根が完全に崩れ落ちてる…。
なんとか業務はこなせているといいますが、職員によると支援金の支給が遅れている理由は、意外なものでした。
郡庁舎職員 カダック・ビーシーさん:
正直、なぜなのかわかりません。政府から支援金が届いていないんですよ。早く対応してほしいですね。
20万人に上る被災者への支援金が、“政府から届いていない”という職員。
ベテランのジャーナリストは、その原因を「国にお金がない」ことだと話します。
ジャジャルコット記者協会元会長 ジャナック・ケーシーさん:
とにかく、国にお金がないんです。災害対策に十分に予算があてられない現実があります。ネパールは自然災害が多すぎるんです。
実際に、首都・カトマンズでも、道路に設置された信号機は全く付かないものがほとんど。電力が不足しがちで、店が停電したまま営業することも日常茶飯事だといいます。
2015年に発生したマグニチュード7.8の巨大地震の際には、約100万棟の建物が全半壊したものの、支援金の支給は1年以上ったっても対象の0.1%程度の世帯にしか行き渡りませんでした。
ジャジャルコット記者協会元会長 ジャナック・ケーシーさん:
政府は本気で補償するつもりがありません。自治体も、国に強くは言いません。だから皆、怒っているんです。「見捨てられた」と。
世界遺産に登録される歴史的建造物が建ち並ぶ、風光明媚な国の顔の裏には、ひとたび被災すれば貧困から抜け出せない、過酷すぎる現実がありました。
FNSチャリティキャンペーン」ではネパールの子どもたちのために皆さまからの募金をお願いしています。募金は、銀行振り込みのほか、クレジットカードなどもご利用いただけます。詳しい募金の方法については、FNSチャリティキャンペーンHPをご覧ください。
皆様からの募金は、ユニセフ、国連児童基金を通じネパールの子どもたちを支援するために活用されます。皆様からのご協力とご支援を心よりお待ちしております。
【FNSチャリティー キャンペーンHP】
https://www.fujitv.co.jp/charity/guide.html
(めざまし8 6 月25日放送)
ネパール地震から半年…“見捨てられた被災
FNSチャリティキャンペーンで、倉田大誠アナウンサーが取材に訪れたのは、去年11月に起きた地震の爪痕がいまだに残る、ネパールです。
この記事の画像(46枚)地震の影響で今もなお、各地で土砂崩れが発生していますが、その危険性をさらに高めるある現象が、たびたび起きています。
倉田大誠アナウンサー:
僕らが宿泊している宿がこの白い建物なんですが、そこから川を渡って対岸の山の斜面、いま火が出ています。かなりの広範囲ですよね。火の線が斜めに1本走っています。赤い炎が見えていて煙が立ち上っている状況です。
宿泊先のホテルの近くで発生した「山火事」。山の斜面を切り裂くように、炎の赤い線がくっきりと浮かび上がっていました。
さらに時間が進むにつれて、ただでさえ地震の影響でゆるんだ地盤が、火の影響で落石や土砂崩れがおきていました。それは、車の通る道のすぐ近くまで…。
ネパールでは、こうした煙によって、気管支疾患を患う人も多いといいます。
頻発する山火事、その多くが「野焼き」の火が燃え移ることで発生するといいます。なぜ危険だとわかっているのに野焼きを続けるのか、畑の持ち主に理由を聞いてみました。
倉田アナ:
いまご自身で土地を燃やしていますけど、この火が山に燃え移っちゃったりすることってないんですか?
畑の持ち主のリラさん:
あります。わらとか、残った雑草などを燃やせば、大事な肥料になります。燃やさずに腐らせて肥料にするものもありますが、私たちが使うわらや草は腐りにくいので、肥料にするためには燃やすしかありません。
山岳地帯に暮らす彼女たちにとって、肥料は「高級品」。そもそも収入が低い上に、この切り立った山の中では、商品を運んでくるコストはバカになりません。
その上、この地域は、決して農業に適した土地ではありません。肥料を使わずに少しでも土地を豊かにするためには、野焼きは欠かせないといいます。
苦しい暮らしがさらに苦しく
過酷な山での暮らし。
地震の被害を受けたアスビスコット地区で、ある親子に出会いました。
母親のバルさん(55)と、娘のディパさん(12)。父親は、3年前、新型コロナで亡くなったといいます。
地震によって自宅も損壊。ディパさんは毎日、ヒビの入った家で食事を作るなど家事をこなしています。
倉田アナ:
結構煙いですね。換気扇もなくて、唯一これがいわゆる煙が出ていく窓なんですけど、なかなか…。煙で、目が痛くなったり、せきが出たりしない?
ディパさん:
なります。せきが出ないようにスカーフをあてます。
倉田アナ:
外ではお料理を作らないの?
ネパールの山岳地帯の家庭では、家の中にレンガなどで作られた炊事場で料理を行うのが一般的。煙突がなかったり、換気が不十分な家も多いといいます。まるでいぶされるかのように、炊事場入口の上半分は黒く変色しています。
ディパさんが料理をしている間、ずっと外で休んでいた母親のバルさん。長い間こうした暮らしをしてきたことがたたり、喘息を患っています。
バルさん:
8年前から薬を飲んでいます。安い薬なので、あまり効き目を感じません。
出稼ぎに出ている長男からの仕送りで、なんとか生活できているという厳しい暮らしの中、直撃したのが半年前の地震でした。
バルさんたちが住んでいる村には、歩いて20分の場所に水を汲める水源がありましたが、地震の影響で水がほとんど出なくなってしまいました。
今は、自宅から歩いて1時間かかる場所まで、歩いて水をくみに行かなくてはいけません。
倉田アナ:
このポリタンクに水が入っています。大体4Lぐらいですかね。こうやって家まで帰るんですね。
当然、道は舗装されていません。僕はトレッキングシューズを履いていますが、現地の方々は素足にサンダルです。この勾配を登っていきます、かなり大きな石も落ちています。
水をくみ終わり家に戻ろうと歩き始めてわずか2分、バルさんが立ち止まりました。持病の喘息が響き、歩き続けることができません。
大きく深呼吸するように息を吐くバルさんを、ディパさんが心配そうに見つめます。
何度か休みながら自宅を目指す2人。時にはディパさんがバルさんの分の水を代わりに持ってあげる場面もありました。
倉田アナ:
お母さんの水持ってあげるんだ。
村に入ると、さらに急な坂と足場の悪い道が続きます。
倉田アナ:
あ、これですね。ようやく着いた。ようやく着きました。いま9時59分、9時7分に出発したからちょうど休憩も入れて52分。1時間ですね本当に1時間だ。
倉田アナ:
1日何回ぐらい多いときで水汲みに行くの?
ディパさん:
多いときは5回ぐらい行きます。
以前は長男が担ってきた力仕事。今は出稼ぎでいないため、すべてをディパさんが担っています。1日の大半は水汲みや料理などで終わってしまいます。
厳しい山暮らしが地震でさらに悪化、彼女は12歳にして、自分のための未来を考えることなど想像もできない生活を送っています。
「出稼ぎ大国」が地震で加速
被災地から一番近い都市・スルケットで、出稼ぎに出た少女に出会いました。
18歳のバーワナさん。
地震の被災地ジャジャルコットから、出稼ぎでこの街にやってきました。ホテルスタッフとしてベットメイキングや掃除を担当しています。
倉田アナ:
ここに来ようと思ったのは、家族の誰かから言われたからですか?
バーワナさん:
実家が地震で壊れて農業もできなくなったので、こうするしかないと自分で決めました。
父親はインドに出稼ぎ中。まだ研修中のため、週に6日働いても、給料は日本円で月収わずか1万2000円。そのほとんどを、仕送りで実家に送るといいます。
宝物は、学生時代、勉強に使っていた一冊のノート…。
バーワナさん:
本当は大学に行って教師になりたかった。でも、家を建て直すためにお金が必要になって、大学に行けなくなりました。地震のことを思い出すと、どうしようもない怒りが湧きます。
ここでも、一人の少女の未来を大きく変えてしまった、地震。
こうした出来事が、多くの被災者に起きました。バスターミナルは、出稼ぎに向かう人たちであふれています。
出稼ぎ労働者:
村だと稼ぎが少ないので、家族を養うために出稼ぎに来ている。
出稼ぎ労働者:
マレーシアに行きます。村では仕事がないので海外に行くしかないです。
そもそも200万人が海外で働き、「出稼ぎ大国」と呼ばれてきたネパール。その流れは、地震でさらに加速しています。
中には、ネパールを出てロシア軍に雇われ、兵士になったという人もいました。
ネパール西部の山岳地帯で生まれ育ったという男性。
ロシア軍に雇われ兵士になった男性:
人を集めるブローカーから、ロシア軍の募集があると言われました。
「命の危険はない」「月に20万ルピー(約23万7000円)もらえる」と言われて、入隊したんです。全てはお金のためです。
地元で生きていたら絶対に得られない、ネパールの平均月収の約5倍の報酬に、多少の危険は承知で飛びつきました。
ロシア軍に雇われ兵士になった男性:
実際に入隊したら、99%死ぬような現場に投入されました。攻撃を受けて、足に大けがをしました。数多くの死体にも遭遇しました。もうダメだと思って、命からがら逃げて来たんです。
彼は、まだ幸運な方なのかもしれません。ネパールメディアでは、ロシア軍に入って命を落とした、という例が、いくつも報じられています。
山で生まれたがゆえ、暮らしは厳しく。そこに地震も直撃さらに、出稼ぎに出ても稼ぎは少ない。ネパールで見たのは、生まれた場所が貧困を生み、それを再生産する実態でした。
FNSチャリティキャンペーン」ではネパールの子どもたちのために皆さまからの募金をお願いしています。
募金は、銀行振り込みのほか、クレジットカードなどもご利用いただけます。詳しい募金の方法については、FNSチャリティキャンペーンHPをご覧ください。
皆様からの募金は、ユニセフ、国連児童基金を通じネパールの子どもたちを支援するために活用されます。皆様からのご協力とご支援を心よりお待ちしております。
【FNSチャリティー キャンペーンHP】
https://www.fujitv.co.jp/charity/guide.html
(めざまし8 6月26日放送)
0 件のコメント:
コメントを投稿