Source:https://www.chunichi.co.jp/article/841800
2024年3月18日 05時05分 (3月18日 07時31分更新)
2023年10月10日夜、ネパールの首都カトマンズ中心部にあるホテルのロビー。指定の場所に着いた私は茶色のソファに座って、ある男性を待っていた。
<前回まで>名古屋市内で暮らしていたネパール人留学生ワグレ・ナバラズ=享年(27)=の病死をきっかけに、日本国内のネパール人コミュニティーで生じていた「異変」の背景を探ろうとネパールへ渡った。異変とは、新型コロナウイルス対策の入国制限が緩和された2022年以降、相次いだ若者の死。ワグレは別だったが、特に心を病み、自ら命を絶つ若者たちの増加がコミュニティーの中で大きな問題と捉えられていた。
ニウレ・ナビン(33)。世界中に八十余の支部があるコミュニティー組織「海外在住ネパール人協会」の日本支部で会長を務めている。普段は千葉県内で暮らしているが、一時的にネパールに帰郷している、との連絡を前日に受けた。
待ち合わせのホテルに着いて数分後、姿を現したニウレと握手を交わす。プールサイドにあるレストランにいざなわれた。腰を下ろすと、ニウレは流ちょうな日本語で切り出した。「14日の土曜日、チトワンへ行きましょうか」
チトワン郡は、カトマンズの南西100キロほど、インド国境付近に位置する。平原が広がり、盆地の首都よりいくらか温暖らしい。野生のサイやトラが生息するジャングルは、国立公園に指定されている。
ニウレのネパールでの家がそこにある。私の目的は、チトワン郡内の、名古屋市と同じくらいの広さの自治体にある1軒の家を見つけ出すことで、ニウレに協力を頼んでいた。
22年5月下旬に名古屋に渡ったチトワン郡出身の男性が、マンションの一室で自ら命を絶った。来日から10日余、25歳だった。名前の一部を取って「ドゥルガ」と呼ぶことにする。
来日から7カ月余で病死したワグレと同様、新型コロナウイルス対策の入国制限が緩和された後、日本へ大挙して押し寄せた若い留学生の一人。わずか10日の間に何があったのか。探していたのは、ドゥルガの実家だった。
カトマンズのホテル。隣に座ったニウレのスマートフォンに、電話がかかってきた。ネパール語でひと言、二言しゃべった後、私に向かってOKと右手の親指を立てた。
地元の人脈をたどり、訪問のめどが立ったらしかった。ドゥルガの死から1年半。それまで取材が難航していただけに、私は驚きをもってニウレを見返していた。
0 件のコメント:
コメントを投稿