2019年8月14日水曜日

【ネパール旅】ヒマラヤ、エベレスト…登山家たちが語る山の魅力

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190813-00018445-mimollet-ent
8/13(火) 、ヤフーニュースより
世界のライフスタイルを“旅”のフィルターで読み解くトラベルカルチャーマガジンTRANSIT。43号では、世界一高いエベレストを有するネパールを取り上げました。ここではネパールの魅力のひとつである山を、それに魅せられた登山家の視点から掘り下げていきます。後半には、ヒマラヤの世界をより深く味わうためのブックガイドも。
エベレストはなぜ、登山家を惹きつけるのか
大学3年生、20歳という若さでエベレストの山頂を踏んだ伊藤伴。国際山岳ガイドである近藤謙司氏に憧れ、国内外の山を転戦してきた。そんな伊藤さんに、ネパールの山について聞いた。
少年がエベレストを目指すまで。
「最初に山に触れたのは小学校のとき。学校の先生が海外へ登山に行くほどの山好きで、登った山の話を聞いているうちに興味をもつようになりました。その先生かがガイドを依頼していたのが、登山ツアー会社であるアドベンチャーガイズを主宰する近藤謙司さんだったんです」

次第に、いつか自分も登ってみたいと思うようになり、アドベンチャー・ガイズの扉を叩く。机上講習からスタートし、国内の山で経験を積み、みるみるうちにクライミングの技術も磨いた。

「7大陸最高峰=セブンサミッツの制覇に憧れていたんです。まずは当時ヨーロッパ最高峰だったモンブラン(4810m)に近藤さんと挑戦しました。中学3年生のときですね。でも下山してみると、セブンサミッツよりも、もっと標高のある山に行きたいと思うようになりました。そこでヒマラヤのロブチェ・イースト(6119m)を目指すため、3年間資金を貯めて準備をしました」

はじめてのヒマラヤはかなり苦い思い出。高山病、長期遠征でやられるメンタル……。ガイドの近藤さんに引っ張ってもらい登頂できたのだそうだ。

「山頂は快晴無風。目の前にエベレストが見えました。ロブチェを登るチームはエベレスト登山の高度順応も兼ねています。なので、自分と数名以外はこれからエベレストに行く人たち。僕はここから帰らなければならない、羨ましいという気持ちでした」

今度はエベレストに登りたい、その一心で資金集めをはじめる。アルバイトに加え、大学の協力による募金活動、寄付、クラウドファンディングも行った。出発のギリギリ2カ月前に目標の金額を達成、ついに小学校のときに憧れたエベレスト遠征が叶った。

「ベースキャンプから少しずつ高度を上げていって、標高7900mのキャンプ4からアタックをしました。標高差1000 mを一気に登るだけでもきついのに、気温はマイナス20~30度。風速も20m くらいあるので、体感的にはマイナス50度ほど。低酸素ということもあって身体が発熱してくれないのでただただ寒かったです」

でも、それより問題だったのは酸素マスク。登っているうちに苦しくなり、8400m付近のバルコニーで酸素ボンベを交換しても苦しいままだった。

「酸素量を全開にしてもダメで……。山頂直下のヒラリーステップを越えて最後の稜線に出たときにはまったく息ができなくなっていました。マスクが壊れたと思っていたんです。マスクを外して2歩ほど進んだのですが、膝からガクンと崩れ落ちてしまいました。やばい、死ぬと。しかも最後の数mはフィックスロープがありません。ほんの5歩くらいですが、シェルパに繫いでもらってなんとか山頂まで上がることができました」

マスクを調べてもらうと息が氷になって塞いでいた。直して呼吸ができるようになり、ようやく登頂を実感できた。

「これ以上高い所は地球上にない、これ以上高い所に登らなくていいんだというのが正直な感想でした(笑)。見渡すと、ヒマラヤの山々がずーっと地平線までつづいていて、チベット側は茶色い高原。その景色はきっと100年以上も前から変わらないはず。初登頂したエドモンド・ヒラリーと同じ景色を見たのだと思うと感慨深かったです」
エベレスト登頂後とこれから。
「キャンプ4まで降りてきたときに日本に電話したら『伴! ニュースに載ってるぞー!最年少らしい!』と。でもそのまま僕はローツェに向かっていて、その間に別の登山隊に参加していた南谷真鈴さんが登頂、降りてきたらもう最年少ではなくなっていました(笑)」

日本人最年少サミッターとして記録に残っていたのはほんの3日だけ。以前の記録を持っていた山村武史氏よりも誕生日が遅かったため、幸運にも更新できたものだった。とはいえ、記録の更新は大きく報道され、広く知られることになった。そんな伊藤氏は、大学の卒業を控え、山岳ガイドの腕を磨いている。

「まだまだ自分自身の技量を高めるというのが目先の目標です。いつになるかわかりませんが、もしまたエベレストに行くのであれば、ガイドとしてお客さんを連れて行きたいですね。山に登るきっかけをつくってくれた近藤さんのように、山頂を目指す感動的な体験を伝えたくて。僕自身、10代、20代、30代と歳を重ねていくと、感じることも変わってくると思います。同じヒマラヤでも、次はどんな体験ができるのかはまだわかりません」
本で追体験する、魅惑のヒマラヤ
登山家や探検家が見てきたヒマラヤ世界に触れるには、彼らが記した書物を手にするのが最善だ。読み進めるうちに意識は彼の地へ飛んでいく。ネパールの山の過酷さ、美しさを知るための6つのTRANSIT的推薦図書を、本のなかの言葉とともに紹介します。


『エベレストを越えて』
「がくんと体が揺れたように思えて、耳を疑った。目がうるむのを必死でこらえた」

1970年、日本人初のエベレスト登頂に成功した植村直己。当初は日本山岳会の創立65周年プロジェクトとして立ちあがった登山隊に呼ばれ、自己負担金を工面できず歩荷(荷揚げ)とルート工作要員として加わった。前年秋の偵察隊から 現地で越冬し、木材の確保やシェルパとの交流、自身の順応を行い、なんと最終的には第1次アタック隊に選出される。発表の瞬間は、滑落などの事故もあったため複雑な心情だったようだが、「登頂は心のなかで開始されていた」と述懐。


『タベイさん、頂上だよ』
「これは自分の生涯の中にキラリと輝く瞬間として残るに違いない」

日本人女性初のエベレスト登頂者となった田部井淳子。登山隊15名全員が女性という点も大きく注目された。遠征は1975年、女性=主婦という概念が根強かった時代に、2歳の子をもつ田部井には、家庭を放棄して登山をするのかという批判もあったが、そんな苦難を乗り越えてきたからこその一言。折しも登頂年は国際婦人年(国連が女性の地位向上を目指すとした年)であった。女性の社会進出の象徴として国内外で注目され、一大センセーションを巻き起こした。


『マナスル登頂記』
「片手にピッケルを持って万歳の姿勢をしているのが望遠鏡を通してよく見える」

「もはや戦後ではない」と宣言された年、槇有恒を隊長とする日本の登山隊がマナスル(当時は8156m)に初登頂。無線に不具合が生じ、望遠鏡でアタック隊の無事を確認したときの記述だ。登頂は、高度経済成長期のはじまりに日本も世界と比肩して活躍できる国になりつつあるという大きな希望をもたらせた出来事だった。ドキュメンタリー映画『マナスルに立つ』も上映され、社会現象になるほどの登山ブームが巻き起こり、登山文化が大衆へと開かれるきっかけにもなった。


ヒマラヤ冒険物語』
「結局自分が利己的であるのを知りながら、山登りを断念できなかった」

1970年代のイギリスのロッククライミングシーンを牽引した実力派クライマーであるクリスは、ヒマラヤでも実績を残している。8000m峰が軒並み登攀されるなか、難易度の高いルートを探していたクリスが挑戦したのはアンナプルナ南壁だった。ドン・ウィーランズやドゥーガル・ハストンといった精鋭が集まり登頂を達成したものの、下山時に雪崩で死亡者を出してしまう。同じ釜の飯を食べた仲間を失ったとしてもなお、挑み、登りつづけるクライマーの強靱な意志を感じる。


『ヒマラヤを越える子供たち』
「ここには国境なんてなく、限りない自由があるだけだ」

本作はインドに亡命したダライ・ラマ法王14世を追いかけてチベットから亡命する子どもたちに密着したドキュメンタリー。チベットを脱出し、中国国境警備隊の銃撃の恐怖に怯え、国境のある6000mのヒマラヤを徒歩で越えていく過酷さに耐える彼らの姿は痛ましい。そんな命がけの逃避行を選択せざるを得ない状況を知ることのできる内容となっている(同名の映像作品の書籍化)。苦難の果てに摑み取った自由は、故郷を捨てる悲しみをはらんでいることを知る。


『ネパール・ヒマラヤ』
「しばしば楽しい驚きを経験したし、コルでは予想しない、まごつくような展望に遭遇した」

イギリスの冒険家、W.H.ティルマンがヒマラヤを訪れたのは1949年。鎖国体制が緩みはじめたネパール各地を、鳥類学者や地質学者、植物学者を連れて測量した。本書はヒマラヤで出会った未開の美しい風景や文化を世界へと紹介した集大成のひとつで、冒険譚の白眉である。地図のない地での実踏調査は冒険家の野心をくすぐったようで、未踏の山の発見や珍しい動植物、民俗文化の記述からは高揚感が伝わってくる。ちなみに訳は日本百名山で知られる深田久彌によるもの。



ヒマラヤの過酷な山に挑む、登山家たちの体験を描いた本の数々。エベレストには登れなくても、本のなかで手に汗握る山の世界が追体験できるはず。
 
<書籍紹介>『TRANSIT(トランジット)43号 カトマンズもヒマラヤも! 愛しいネパール』
発行 euphoria factory / 発売 講談社 ¥1800(税別)
3月14日(木)発売 電子版も発売中!

TRANSIT43号では、世界最高峰のエベレストをはじめとする8000m級の山々に抱かれた国・ネパールを特集しました。特集:ネパールでココロ・カラダととのえ塾(アーユルヴェーダと哲学/聖なる植物/家庭料理/セルフケア)、ヒマラヤ不思議百貨(高所と人体/消えた王国・ムスタン/開拓の歴史 etc)、ゆっくりいこう、ネパール(政治/経済/環境/教育/キーパーソン)など。付録:「ガイドブック・ネパールでしたい88.48のこと」「〈THE NORTH FACE〉のヒマラヤステッカー」。


構成・文/小林昂祐、北村華子 
トランジット編集部

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