Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190106-00553927-shincho-soci
1/6(日) 、ヤフーニュースより
出稼ぎ先の異国で塀の中に落ちた青年は、最後は大金を手に帰って行った。1997年3月に発生した「東電OL殺人事件」。逮捕されたネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリさん(52)は、いったん刑務所に収監されながらも無罪を勝ち取った。いま、孫も誕生して悠々自適のご本人に聞くと……。
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全国紙社会部デスクが言う。
「被害者は、東電初の総合職入社の女性で、当時、年収も1000万円ほどあった。その彼女が、夜な夜な渋谷・円山町界隈で売春をしていたのだから、すさまじい衝撃がありました」
97年5月には、彼女の“お馴染み”であったゴビンダさんが、強盗殺人容疑で警視庁に逮捕される。
「00年の一審判決では無罪となりましたが、控訴審では一転、無期懲役に。03年10月には上告が棄却され、刑が確定したのです」
ゴビンダさんは05年、収監先の横浜刑務所から再審請求。東京高裁は12年6月、再審開始を認め、ゴビンダさんの刑の執行停止を決定した。
「その年の10月、再審の初公判が開かれ、事前に被害者の爪からゴビンダさんとは別人のDNAが検出されていたこともあり、検察側は最初から無罪を求め、即日結審。翌月には無罪が確定しました」(同)
不当に勾留されたとして刑事補償請求を行ったゴビンダさんには13年、補償額上限の約6800万円(1日当たり1万2500円)が、国から支払われたのである。
「被害者は、東電初の総合職入社の女性で、当時、年収も1000万円ほどあった。その彼女が、夜な夜な渋谷・円山町界隈で売春をしていたのだから、すさまじい衝撃がありました」
97年5月には、彼女の“お馴染み”であったゴビンダさんが、強盗殺人容疑で警視庁に逮捕される。
「00年の一審判決では無罪となりましたが、控訴審では一転、無期懲役に。03年10月には上告が棄却され、刑が確定したのです」
ゴビンダさんは05年、収監先の横浜刑務所から再審請求。東京高裁は12年6月、再審開始を認め、ゴビンダさんの刑の執行停止を決定した。
「その年の10月、再審の初公判が開かれ、事前に被害者の爪からゴビンダさんとは別人のDNAが検出されていたこともあり、検察側は最初から無罪を求め、即日結審。翌月には無罪が確定しました」(同)
不当に勾留されたとして刑事補償請求を行ったゴビンダさんには13年、補償額上限の約6800万円(1日当たり1万2500円)が、国から支払われたのである。
「豊かに暮らせている」
ネパール帰国後、本人を取材したノンフィクション作家の長谷川まり子氏は、
「彼が無罪になって帰国した時、数百人の報道陣が詰めかけました。その数は、08年にネパールが民主化を達成した時より多かったというのです」
そう振り返りながら、
「冤罪に苦しめられた15年間、およそ5500日分の“対価”として、彼はその6800万円を得たわけですが、これは、当時のネパールの平均年収のおよそ1000倍以上に相当する大金でした」
実際に生活レベルは格段に上がったようで、首都カトマンズ近郊に住む当のゴビンダさんに、その後の生活を尋ねてみると、
「貰った補償金で、まずトヨタのランドクルーザーを買いました。1250万円もしましたが、ネパールは悪路が多いので、四輪駆動はとても重宝しています」
とのことで、
「カトマンズの中心から少し離れた場所に、今の3階建ての家を建てました。以前住んでいた中心部にある家は貸家にしています。娘が2人いて、上の子はオーストリアで結婚し、現在はザルツブルク暮らし。生後4カ月の孫の顔を見に、私もこの前、現地へ行ってきました。下の子はネパール人と結婚して、豪州で働いています」
2人の娘の結婚費用も、むろん補償金から捻出したという。そして、矛先は日本の警察へと向けられた。
「未だに真犯人が見つかっていないことには、怒りを覚えます。あの時、私の話を信じていれば、犯人を捕まえられたかもしれない。結果的に警察のミスで取り逃がしてしまったのだと思います」
それでも、
「残ったお金は銀行に預けていますが、ネパールの銀行は長く預けると10~12%の金利が付きます。このお金が生活に潤いを与えてくれている。いい車に乗っていい家に住んでいるのだから、私は豊かに暮らせていると思いますよ」
晴れて“成功者”になったというわけだ。
「週刊新潮」2018年12月27日号 掲載
「彼が無罪になって帰国した時、数百人の報道陣が詰めかけました。その数は、08年にネパールが民主化を達成した時より多かったというのです」
そう振り返りながら、
「冤罪に苦しめられた15年間、およそ5500日分の“対価”として、彼はその6800万円を得たわけですが、これは、当時のネパールの平均年収のおよそ1000倍以上に相当する大金でした」
実際に生活レベルは格段に上がったようで、首都カトマンズ近郊に住む当のゴビンダさんに、その後の生活を尋ねてみると、
「貰った補償金で、まずトヨタのランドクルーザーを買いました。1250万円もしましたが、ネパールは悪路が多いので、四輪駆動はとても重宝しています」
とのことで、
「カトマンズの中心から少し離れた場所に、今の3階建ての家を建てました。以前住んでいた中心部にある家は貸家にしています。娘が2人いて、上の子はオーストリアで結婚し、現在はザルツブルク暮らし。生後4カ月の孫の顔を見に、私もこの前、現地へ行ってきました。下の子はネパール人と結婚して、豪州で働いています」
2人の娘の結婚費用も、むろん補償金から捻出したという。そして、矛先は日本の警察へと向けられた。
「未だに真犯人が見つかっていないことには、怒りを覚えます。あの時、私の話を信じていれば、犯人を捕まえられたかもしれない。結果的に警察のミスで取り逃がしてしまったのだと思います」
それでも、
「残ったお金は銀行に預けていますが、ネパールの銀行は長く預けると10~12%の金利が付きます。このお金が生活に潤いを与えてくれている。いい車に乗っていい家に住んでいるのだから、私は豊かに暮らせていると思いますよ」
晴れて“成功者”になったというわけだ。
「週刊新潮」2018年12月27日号 掲載
新潮社
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