2019年6月4日火曜日

「東京福祉大学」と「消えた留学生」の深き闇

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190604-00064415-gendaibiz-soci
6/4(火) 、ヤフーニュースより

日本を去ったベトナム人青年の独白
 2019年4月、1人のベトナム人留学生が日本から去っていった。東京都内の日本語学校を3月に卒業したばかりのタン君(25歳)だ。

 タン君は4月、「東京福祉大学」に入学するはずだった。同大は先日、大勢の留学生が所在不明になっていることが発覚し、「消えた留学生」問題としてメディアや国会で取り上げられた。その東京福祉大学へ進学せず、彼はベトナムに帰国する道を選んだ。

 タン君とは、彼が2017年7月に来日した直後に取材で知り合って以降、定期的に会っていた。その彼から、日本を離れたことを知らせるメッセージがフェイスブックに届いたのは4月半ばのことだ。

 <何も言わないでベトナムに帰ってしまいごめんなさい>

 そのひとことに、タン君の無念さが滲み出ていた。2年近くに及んだ日本での生活で、日本語学校やアルバイト先で都合よく利用され続けた。彼の留学体験は、「消えた留学生」問題の背後に存在する深い闇を象徴している。
“偽装留学生”を生んだ「国策」
 外国人留学生の数は2018年末時点で33万7000人に達し、12年からの6年間で16万人近くも増加した。留学生の国籍ではベトナムの急増が際立ち、過去6年で9倍以上の8万1009人にまで膨らんだ。他にもネパールが約5倍増の2万8987人となるなど、アジア新興国では日本への「留学ブーム」が起きている。

 こうした新興国出身の留学生は、多くが「勉強」よりも「出稼ぎ」を目的に来日する。留学費用を借金に頼ってのことだ。その額は、日本語学校の初年度の学費や寮費、留学斡旋ブローカーへの手数料などで150万円前後に上る。新興国の人々には莫大な金額だが、日本で働けば簡単に稼げると考える。

 タン君も、出稼ぎ目的の“偽装留学生”の1人だ。首都ハノイから車で4~5時間離れたタインホア省の小さな村の出身で、実家は農家を営んでいる。収入は豊作の年でも1年で30万円程度に過ぎず、タン君の留学費用を準備できる余裕はない。費用はハノイで働く姉が銀行から借り入れた。

 日本政府は本来、留学費用を借金に頼るような外国人に対し、「留学ビザ」を発給していない。同ビザは日本でアルバイトなしで留学生活を送れる外国人に限って発給される建て前なのだ。

 しかし、この原則を守っていれば留学生は増えず、安倍晋三政権が「成長戦略」に掲げる「留学生30万人計画」も達成されない。そのためルールを捻じ曲げ、経済力のない外国人にまでもビザを発給し続けている。結果、「30万人計画」も2020年の目標を前に達成された。
斡旋ブローカーとでっち上げの書類
 ただし、その実態は驚くほど杜撰なものだ。

 新興国の留学希望者には、ビザ申請時に親の年収や預金残高など、経済力を証明する書類の提出が求められる。ビザ取得に必要な額は明らかになっていないが、年収や預金残高が最低でもそれぞれ200万円程度は必要だ。新興国では、かなりの富裕層でなければクリアは難しい。そこに留学斡旋ブローカーの介在する余地が生まれる。

 ブローカーは銀行や行政機関の担当者に賄賂を渡し、ビザ取得に十分な金額の記された書類をつくってもらう。銀行などが正式に発行した書類なので「偽造」ではない。数字はでっち上げでも「本物」だ。ベトナムのような新興国では賄賂さえ払えば、銀行や行政機関であろうと内容は簡単にでっち上げてくれる。

 そんなカラクリは、留学ビザを発給する日本側の法務省入国管理当局(今年4月から「出入国在留管理庁」)や在外公館も十分にわかっている。しかし、「本物だから問題ない」というスタンスでビザを発給する。責任を相手国に押しつけているのだ。

 留学ビザの申請には、他にも履歴書や高校の成績、「150時間以上」の日本語学習証明書などが必要となる。そんな書類もまた捏造できる。

 タン君の場合も、履歴書や学習証明書をブローカーがでっち上げた。彼は兵役に就いた過去があるが、その経歴は履歴書には載っておらず、電気関係の専門学校で学んでいたことになっている。「兵役」がビザ取得の足かせになると、ブローカーが判断して改竄した。

 つまり、“偽装留学生”が提出する書類は、親の年収や預金残高に限らず、すべてでっち上げられるのだ。履歴書まで捏造が可能なのだから、過去に犯罪を犯したような者まで紛れ込んでいないとも限らない。それが今、「留学生30万人計画」のもとで起きている現実なのである。
仕事が見つからないので日本を目指す実態
 留学生の急増に伴い、「質」は明らかに低下している。ベトナムで「留学ブーム」が起き始めた2010年代前半は、ハノイやホーチミンといった都市部の出身者が留学生の中心を占めた。現地の一流大学を卒業したような若者の間でも、日本行きの希望者は多かった。

 それが現在、留学ブームは地方へと移り、学歴や仕事のない若者が日本を目指すようになった。都会では、日本ほど賃金は得られなくても仕事はある。多額の借金を背負い、わざわざ日本へ出稼ぎに行こうという若者は少ない。

 タン君にしろ、ベトナム北部の田舎の出身だ。ベトナムで兵役に就く若者には、学業が苦手だったり、貧しい家の子どもが多い。そして除隊後の失業も問題となっている。タン君も仕事が見つからず、日本へと「留学」することになった。
「日本語学校バブル」
 “偽装留学生”が大量に流入した結果、日本語学校業界はバブルに湧いている。その数は全国で約750校を数え、過去10年間で約2倍に膨らんだ。

 日本への留学を希望する外国人にとって、日本語学校入学のハードルは極めて低い。専門学校や大学に留学しようとすれば、日本語能力試験「N2」合格が条件となる。「N2」は同試験で最高レベルの「N1」に次ぐ難関だが、この条件をクリアしていなければ留学ビザは発給されない。

 しかし、日本語学校に限っては、最低レベルの「N5」合格もしくは「150時間以上」の日本語学習を証明すれば入学できる。しかも学習証明書は簡単にでっち上げられる。経済力に加え、日本語能力も問われず留学できてしまうわけだ。

 留学ビザの申請は、現地の斡旋ブローカーから届く書類を日本語学校が入管当局へと提出する。書類には現地の賃金水準からしてあり得ない収入等が記されているのだから、日本語学校が見破ろうとすれば簡単にできる。

 しかし、精査すれば留学生は増えず、日本語学校が儲からない。そのため書類のでっち上げを黙認し、ビザ申請の手続きを進める。こうして政府、日本語学校ぐるみで“偽装留学生”が受け入れられている。
実効性の乏しい法規制
 “偽装留学生”を都合よく利用しているのは、日本語学校に限った話でもない。留学生のアルバイト先となる企業もそうである。

 留学生のアルバイトは、法律で「週28時間以内」までしか認められない。だが、法律を守っていれば、母国で背負った借金の返済は進まない。しかも“偽装留学生”は、翌年分の学費も貯める必要がある。だから彼らは「週28時間以内」の法定上限を超えて働くことになる。

 アルバイト先の企業も警察当局の取り締まりを恐れ、留学生を雇う際には法定上限の遵守に努める。だが、アルバイトをかけ持ちすれば、「週28時間以内」を超えて働くことは難しくない。

 タン君もいろいろなアルバイトを経験した。最初の職場となったのが、コンビニで売られる弁当の工場だ。仕事は深夜から早朝にかけての夜勤で、同僚の大半はベトナム人など留学生だった。「弁当工場」での夜勤バイトは、“偽装留学生”の多くが一度は日本で経験する「登竜門」である。

 続いて宅配便の仕分け現場でも働いた。宅配便の仕分けも、留学生の労働力なしには成り立たない職種の1つだ。伝票の番号を見て荷物を仕分ける仕事なので、日本語が読めなくてもこなせる。仕事はやはり夜勤で、職場にはほとんど日本人はいなかった。

 他にも、うどんや牛丼のチェーン店で仕事に就いた。面接時には、他にもアルバイトをやっていることは必ず正直に告げた。しかし、面接で問題になることは一度もなかった。
人手不足でルールはなし崩し
 タン君のような“偽装留学生”を採用するのは、人手不足が深刻な職場ばかりだ。日本語ができない留学生であろうと、とにかく人手を確保したい。アルバイトのかけ持ちによる違法就労が発覚しても、罪に問われるのは留学生だけだ。企業にとっては、実に都合の良いシステムである。

 タン君が経験したアルバイトで唯一、日中にあったのがうどんチェーン店での仕事だった。週末を含めほとんど毎日、午前中に働いた。夜勤のアルバイトがあるときは、勤務先からそのまま店に駆けつけた。そして午後からは日本語学校の授業に出る。週の半分は、ほとんど睡眠時間のない生活である。

 初めてできた日本人の友だちは、うどん店の店長だった。“偽装留学生”たちは日本人と接する機会がほとんどない。日本語学校のクラスメイトは留学生ばかりで、アルバイト先でも日本人と同僚になることは少ない。「友だち」と呼べる日本人のできたタン君は幸運だった。
アルバイトに追われ上達しない日本語
 “偽装留学生”はアルバイトに追われ、日本語が全く上達しないケースが多い。タン君に限っては、少なくとも会話は進歩した。出会った頃にはあいさつ程度しかできなかったが、日本語学校を卒業する頃には、通訳なしで簡単な会話が成立するほどになった。

 2年近く日本語を学んでいるのだから当然と思われるかもしれないが、“偽装留学生”としては珍しい。それもアルバイト先で、店長ら日本人と積極的にコミュニケーションを取ったおかげだった。

 日本語学校を卒業後、タン君は専門学校に進学して出稼ぎを続けるつもりでいた。“偽装留学生”の多くが辿るパターンである。

 留学生が専門学校や大学に進む場合、海外から直接入学しようとすれば「N2」が条件となることは前述した。ただし、この条件は、日本国内の日本語学校卒業者には免除される。日本語が全くできない留学生であろうと、学校が認めれば入学は可能なのだ。

 近年、日本人の少子化の影響を受け、私立大学の半数近くで定員割れが起きている。専門学校に至ってはさらにひどい。そこで“偽装留学生”を受け入れ、生き残りを図る学校が急増している。
進まぬ職探し、そして登場した「東京福祉大学」……
 そうしてタン君が専門学校探しを始めようとしていた頃、うどん店の店長からこんな話を持ちかけられた。

 「日本語学校を卒業したら、うちで就職してみない?」

 タン君にとっては願ってもない申し出だった。就職できれば、専門学校に学費を払うことなく出稼ぎができる。しかも、店の仕事を「アイシテマス」と言うほど気に入っていた。

 すっかり就職できる気になったタン君は、進学先を探すのをやめてしまった。だが、卒業時期が近づいても、就職話は進む気配がない。店長に尋ねても、「まだ、本社で決まっていない」と言われるだけだった。

 うどん店での就職が決まらず、しかも進学先がなければ、ベトナムに帰国するしかなくなってしまう。タン君は仕方なく、再び進学先を探し始めた。

 3月が近づき、受け入れてくれる学校も少なくなっていた。そんななか、頼ることにしたのが「東京福祉大学」だった。しかし、タン君は最終的に東京福祉大学への進学を拒み、ベトナムに帰国することにした。彼が入学しようとした同大の「研究生コース」は、年間62万8000円の学費がかかる。日本語学校と同様、学費を払って出稼ぎの権利を与える日本の狡猾な“システム”に、これ以上組み込まれ続けたくなかったのだ。

 「もう、疲れました……」

 タン君はそう言い残して日本を去っていった。
出井 康博
    最終更新:6/4(火) 9:0

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