2019年3月19日火曜日

ネパールからの報告(中)「安全」「安定」の国 目指し

Source:https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0307/nns_190307_3504591530.html
2019/3/7、ヤフーニュースより

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日本の「労働ビザ」解禁の影響は広がりを見せていた。ネパールの首都カトマンズ郊外の「世尊ジャパニーズ・ランゲージ・スクール」。教室からは、「ん」の発音を重点的に練習する声が漏れていた。

貧困脱出、留学 二極化も

「こ、んーにちは」「こ、んーばんは」
アショックさん(21)は、側頭部を短く刈り上げた今風の青年だ。通い始めて1週間。話し掛けると「こ、んーにちは。アショックです。よろしくお願いします」と返してくれた。

【動画】カトマンズ郊外にある日本語学校。現地の日本語教師は、日本の「労働ビザ」創設で受講生が増えたと語る

家は貧しく、高校は中退。月収1万2千ネパールルピー(約1万2千円)のハウスキーパーの仕事は右手をけがして失職し、その後は仕事が見つからない。地方で仕入れた野菜を売る両親と、自作の服を売る妻の収入に頼る。

「このままネパールにいても、未来はない」。大人になり、直面した人生の行き詰まり感。労働ビザのニュースを聞き、「未来」が突然開けた気がした。「5年で数百万円ためて帰国する。家族は喜び、妹には教育も受けさせられる」

国内では観光以外の産業が育たず、労働者の賃金は著しく低い。貧困から脱するには海外に出るしかない。だが、主な出稼ぎ先はドバイやカタールなどの湾岸諸国。灼熱(しゃくねつ)の現場は過酷な低賃金の重労働ばかりだ。不慮の事故で命を落とし、ひつぎに入れられて帰国するケースも後を絶たない。

新しい「希望」に胸を膨らませ、貧しい若者は日本語学校へ向かう。カトマンズの南、古都パタン。2005年設立の実力校「朝日日本語文化センター」も今や受講生約100人の6割が労働ビザを希望している。イッチャ理事長は「お金があれば留学。労働ビザ志願者は20~35歳の貧しい人たちだ」という。

食い入るように講師を見つめる労働ビザの希望者。「日本は安全な国だから」。一人息子と離れてでも日本行きを熱望するサパナさん(30)の動機だ。もう一つの魅力は「安定」。野菜や服の販売で生計を立てるスニルさん(31)は「日本で毎月決まった給料が欲しい」と話した。

一方、留学志願者の教室はどこか和やかな雰囲気が漂う。大学生アラティさん(22)は「進んだ国で新しい経験をし、自分を高めたい」。サルさん(22)は「仕事に縛られる労働ビザは嫌」。その場にいた全員が、費用への不安は「ない」「何とかなる」と口をそろえた。勉強そっちのけでアルバイトに明け暮れていた、かつての「出稼ぎ留学生」のしたたかさ、たくましさは感じられない。思い描く将来は良い学校、良い就職、良い人生…。

同じ学校の、隣り合った教室。薄い壁を挟み、明確な貧富の差があった。地味にも思える「安全」と「安定」が、貧困層の目にはひときわ輝いて映る。イッチャ理事長から、こんな伝言を頼まれた。「ネパールの貧しい人たちに良いチャンスを与えてくれた日本政府に、心から感謝したい」

=2019/03/03付 西日本新聞朝刊=

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