◇京大で来月、初上映
1956年5月の日本山岳会によるヒマラヤの未踏峰マナスル(8163メートル)初登頂を記録した映画「マナスルに立つ」(毎日映画社、108分)が、フィルム原版からデジタル化された。当時劇場公開されて大ヒット、学校や公民館でも巡回上映され、敗戦から高度成長へと歩み始めた日本人を勇気づけた。鮮やかに生まれ変わった映像は8月6日、京都大学(京都市左京区)で初公開される。
マナスル登頂は戦後まもなく京大の今西錦司博士らが計画、その後「オールジャパン態勢で取り組むべきだ」と日本山岳会に委譲され、毎日新聞も全面支援した。2度の失敗を経て、京大OBの故・今西寿雄隊員(当時41歳)とシェルパが頂に立った。ヒマラヤの8000メートル峰は14座しかない。各国が初登頂にしのぎを削っていた中での快挙だった。
毎日新聞写真部員の故・依田孝喜隊員(当時38歳)は新聞写真に加え、持参した9000フィートの映画用16ミリフィルムで、険しい大渓谷を進むキャラバンの姿や氷河に挑む隊員の姿を記録した。頂上では今西隊員らがカメラを回し、360度の眺めを収めた。映画の山本嘉次郎監督は当時、「言語に絶する悪条件と闘いつつ撮影したフィルムは、その卓絶した色彩効果が、いかなる空想も超えた天上の夢を、地上のわれわれにもたらしてくれた」とたたえている。
撮影・公開から60年がたち劣化も目立つフィルムは、映像技術サービス会社「IMAGICAウェスト」(大阪市)でスキャンされ、傷やほこりの跡、色彩が修復された。担当者は「黄ばみなどを補整し、本来の雪の白や空のブルーが再現できた。撮影者の意図を尊重し、きれいなだけでなく臨場感を残すよう努めた」という。
今西隊員の長男で、駐日ネパール大阪名誉総領事を務める邦夫さん(63)は、デジタル版の試写を見て「家では難しい顔をしていたオヤジだが、山では本当にうれしそうな表情ですね。映像を残せて喜んでいるでしょう」と話した。【榊原雅晴】
1956年5月の日本山岳会によるヒマラヤの未踏峰マナスル(8163メートル)初登頂を記録した映画「マナスルに立つ」(毎日映画社、108分)が、フィルム原版からデジタル化された。当時劇場公開されて大ヒット、学校や公民館でも巡回上映され、敗戦から高度成長へと歩み始めた日本人を勇気づけた。鮮やかに生まれ変わった映像は8月6日、京都大学(京都市左京区)で初公開される。
マナスル登頂は戦後まもなく京大の今西錦司博士らが計画、その後「オールジャパン態勢で取り組むべきだ」と日本山岳会に委譲され、毎日新聞も全面支援した。2度の失敗を経て、京大OBの故・今西寿雄隊員(当時41歳)とシェルパが頂に立った。ヒマラヤの8000メートル峰は14座しかない。各国が初登頂にしのぎを削っていた中での快挙だった。
毎日新聞写真部員の故・依田孝喜隊員(当時38歳)は新聞写真に加え、持参した9000フィートの映画用16ミリフィルムで、険しい大渓谷を進むキャラバンの姿や氷河に挑む隊員の姿を記録した。頂上では今西隊員らがカメラを回し、360度の眺めを収めた。映画の山本嘉次郎監督は当時、「言語に絶する悪条件と闘いつつ撮影したフィルムは、その卓絶した色彩効果が、いかなる空想も超えた天上の夢を、地上のわれわれにもたらしてくれた」とたたえている。
撮影・公開から60年がたち劣化も目立つフィルムは、映像技術サービス会社「IMAGICAウェスト」(大阪市)でスキャンされ、傷やほこりの跡、色彩が修復された。担当者は「黄ばみなどを補整し、本来の雪の白や空のブルーが再現できた。撮影者の意図を尊重し、きれいなだけでなく臨場感を残すよう努めた」という。
今西隊員の長男で、駐日ネパール大阪名誉総領事を務める邦夫さん(63)は、デジタル版の試写を見て「家では難しい顔をしていたオヤジだが、山では本当にうれしそうな表情ですね。映像を残せて喜んでいるでしょう」と話した。【榊原雅晴】
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