2016年1月13日水曜日

世界の未踏峰に学生が挑む 関西の大学、80年超す歴史

Source:http://www.asahi.com/articles/ASHCF3RT6HCFPTQP002.html
橋本佳奈
2016年1月4日

ネパールやチベットなど5カ国にまたがり、8千メートル級の高峰が連なるヒマラヤ山脈。「世界の屋根」とも呼ばれ、多くの登山家が憧れた。日本の挑戦をリードしたのは、関西の大学山岳部だった。「だれも登ったことのない頂へ」。その精神はいまに受け継がれる。
 1931(昭和6)年、京都帝国大旅行部(山岳部の前身)OBだった故今西錦司さんが中心になり、ヒマラヤ登頂を目指し、京大学士山岳会が結成された。今西さんは基地を構えて装備を充実させ団体で登る「極地法」を採用して訓練を重ねた。36年、立教大がこの極地法で日本初のヒマラヤ登頂を成功させた。
 第2次世界大戦後、ヒマラヤ挑戦は本格化する。今西さんは目標をネパールにある未踏峰のマナスル(8163メートル)に定める。ネパール政府の挑戦許可を京大学士山岳会から譲り受けた日本山岳会が56年5月、3回目の挑戦で初登頂に成功した。「ついに征服」。朝日新聞の朝刊社会面にはそんな見出しが躍った。当時京大山岳部員だった岩坪五郎さん(82)は「僕たちにとって東京五輪以上に大きな出来事だった」と話す。
 ヒマラヤは学生の夢となり、次々に未踏峰を目指した。同志社大山岳部OBの平林克敏さん(81)は、60年にアピ、63年にサイパル(いずれもネパール)の初登頂に成功。サイパルではベースキャンプに着くまでの約310キロの間に、密林を歩いた。豪雨で水たまりが胸の高さにまでなり、水から出るとトラやゾウがいた。「未知への挑戦、探究心を山は教えてくれた」

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