Source:http://www.asahi.com/articles/ASHCF3RT6HCFPTQP002.html
橋本佳奈
2016年1月4日
ネパールやチベットなど5カ国にまたがり、8千メートル級の高峰が連なるヒマラヤ山脈。「世界の屋根」とも呼ばれ、多くの登山家が憧れた。日本の挑戦をリードしたのは、関西の大学山岳部だった。「だれも登ったことのない頂へ」。その精神はいまに受け継がれる。
1931(昭和6)年、京都帝国大旅行部(山岳部の前身)OBだった故今西錦司さんが中心になり、ヒマラヤ登頂を目指し、京大学士山岳会が結成された。今西さんは基地を構えて装備を充実させ団体で登る「極地法」を採用して訓練を重ねた。36年、立教大がこの極地法で日本初のヒマラヤ登頂を成功させた。
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