2016年1月12日火曜日

「おみくじ」の秘密~その起源から大吉と凶の割合、製造元まで ルポライター坂上遼「百聞一見探訪記」

Source:http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160101-00047193-gendaibiz-soci

現代ビジネス 1月1日(金)、ヤフーニュースより
 正月と言えば初詣、そしておみくじだ。でもよく考えたら、おみくじって誰がどこで作ってるの? 大吉と凶の割合はどうやって決まるの? 身近だけど誰も答えられない疑問に、探訪記者が迫る! 

 文/坂上遼(ルポライター)
凶の割合にキョーガク!
 正月といえば、初詣だ。普段神社仏閣に縁がなくてもこの時ばかりは、老若男女が参拝し、自身や家族、想いを寄せる人たちの安寧を願う。後は、数百万、いや数千万人が「おみくじ」を引く。

 ところでこの「おみくじ」、知っているようで実は知らないことが多い。そもそも全部で何枚あるの? 同じ番号だと同じことが書かれているの? 「吉凶」の割合はどうなっているの? 
 そんな疑問に答えるため、ちょっと罰当たりだけど、毎年300万人前後が初詣に訪れる成田山新勝寺、川崎大師、浅草寺、鶴岡八幡宮、伏見稲荷大社、住吉大社のおみくじを一足早く、全部引いてみた。

 まず出かけたのは、「お大師さん」と親しみを込めて呼ばれる神奈川県の川崎大師だ。

 目指すおみくじは、境内の7ヵ所に設置されている。百円玉を備え付けの木箱に入れ、六角形の御籤筒(みくじづつ)をガランゴロンと振って、細長い竹串を引き出す。その先に書かれた数字のおみくじを、ずらりと並んだ箱から取り出す。今回は、自分の分を1本引いた後は、一番からおみくじを抜いていく。

 こうして全てのおみくじを並べてみると、「第一番 大吉」に始まり、「第九十九番 大吉」まで99枚ある。

 「大吉」は全部で17枚。特徴的なのは、八番から十三番まで6枚続きで集中しているが、十四番以降はトンとご無沙汰で、忘れていた頃、六十二番に登場する。このところ足が遠退いていたバーのママから「近頃お見限りね」と言われたような気になって、「それじゃ」と次に顔を出すように、「大吉」が出てくるのが七十八番と八十番。以降、八十五番から最後にかけて集中している。

 一方「凶」は、万遍なく29枚がちりばめられている。「3割近くも『凶』があるのか!」と思わずびっくり。最初に登場するのは、「第三番」で「愁悩損忠良(賢者も時にあはず志を失なヘる)」とあり、「恋愛」のところを見てみると、「支障起りて血涙にむせぶも焦るべからず」とある。そうだ、恋愛は焦っちゃいかんのだ! 

 引いたおみくじを持って、ご祈祷受付の女性に、「すみません、まとめて払うので領収書を書いてもらえませんか」と尋ねたら、「え~っそんな」と奥に隠れてしまった。

 と思いきや、法衣を着たお坊さんが出てきて、笑いながらというか顔を顰めながら「そういうのはお出ししていないので、おみくじ箱に(一万円を)お入れ下さい」と丁寧に断られてしまった。

 浅草寺、成田山新勝寺でも同じことを繰り返したが、こちらはいずれも「第百凶」まであり、1枚多い。新勝寺だけは、快く領収書を出してくれた。さすが歌舞伎の市川団十郎縁(ゆかり)のお寺だけあってサービス精神旺盛だ。

 3寺の違いは枚数と、川崎大師だけ三十八番、六十一番、九十四番の「半吉」が、「半」の文字が小さく書かれていることだ。

 早速、川崎大師に理由を訊いてみた。

 「枚数は、お寺によって違うので、特段意味はありません。半の文字が小さいのは、文字通り半分にしただけです」と応対に出た女性が軽やかに笑う。いいなぁアバウトで。
住吉大社でも引いてみた
 神社の方はどうだろう。

 鶴岡八幡宮のおみくじは、正面の大石段を登り、本宮に向かって左側にある。ここは正統派で、御籤筒から竹串を引き出し、数字を見た後は、巫女さんに番号を告げると一番から五十番まで並んだ棚からその数字のおみくじを取り出し、見えないように裏返して渡してくれる。

 「すみません。自分の分は引きましたので、残り49枚を売っていただけませんか」

 「えっ……」と困った顔の若い巫女さん。

 「しばらくお待ちください」と奥に行くと間もなく、年配のキリッとした元締めと思われる女性が出てきた。若い女性は朱色の袴に白装束だったが、こちらは紫の袴。彼女にも同様の説明をしたが、

 「神事なので一つずつ引いて下さい」

 とピシッと言われる。鶴岡八幡宮のおみくじが50枚と、浅草寺の半分なのがせめてもの救いだ。

 関西にも足を延ばしてみよう。

 京都の伏見稲荷大社も鶴岡八幡宮同様、番号を巫女さんに伝えて手渡してもらう形だ。こちらは32枚。一番には「吉凶 末分 末大吉」と書かれていて「よしあし いまだわからず すえだいきち」と読む。無責任といえば無責任なような、しかし正直と言えば正直で、「凶」の文字があるのに何だか愉しい。

 大阪の「すみよっさん」住吉大社は、朱色の欄干の太鼓橋を渡って境内に入ったすぐ左側にある。ここは、十六番までと他と比べて枚数が少ないのが特徴のよう。おみくじの紙が、ネパールの「手漉きみつまた」で作られていて、手触りがいい。

 こうして神社仏閣6カ所のおみくじを引いてみて、気づいたことがある。

 1つはおみくじの大きさがそれぞれ違う。印刷は、ほとんどがモノクロだが、鶴岡八幡宮は朱色の鳩の印入りの2色、住吉みくじ「波のしらゆふ」は、枠を赤で囲み二角に蒼い印と3色刷り。値段は、お寺が100円、神社は初穂料として200円だった。そして驚いたことに、3つのお寺のおみくじは、同じ番号ならそこに書かれている内容がほとんど同じなのだ。
おみくじの起源は江戸時代
 この謎を解く鍵は、おみくじの起源にあった。

 「おみくじ」をインターネットで調べると、「元三大師(がんざんだいし)」の名前が出てくる。平安時代の天台宗の高僧良源、慈恵大師のことで、おみくじを考案したと伝えられる。

 それならと世界遺産比叡山延暦寺の横川(よかわ)にある元三大師堂にやって来た。根本中堂がある東塔と違って観光客も少なく、深閑としている。冷気が身体に纏わりつく。緑深い山中の鄙びたお堂を前に、気分がしゃんとする。

 ここで初めて、正真正銘、正統派の「おみくじ」の引き方を体験した。これまでのように簡単には、おみくじは引けないのだ。受付の入り口の壁に「元三大師堂おみくじについて」と書かれている。

 〈自分の進むべき道に迷いができた時、お大師さまにその方向を決定して頂くもので「今どうすべきか」を相談するものです〉

 「この先どうなるか」を予言したり、運試しに引いたりすることを戒めている。40にして「惑わず」どころか、63歳にして悩み多き私は、こういう時は都合がいい。

 早速、自分の迷いを紙に書いて受付の紺色の法衣を着た僧侶に渡す。その内容によって、奥から執事と呼ばれる茶色の法衣姿の僧侶が出てきて、面談をしてくれる。そこでおみくじを引くに値すると判断されてやっと、仏前に導かれる。

 観音経と思われるお経を唱える執事の後ろに正座して神妙に待つ。

 御籤竹の入った筒をガランゴロンさせ、そこから1本引いたと思われる所作の音だけが聞こえてくる。この後奥の客間で、先ほど引いたおみくじを渡され、「元三大師御籤」の本を開いて説明がなされる。

 この機会にと、おみくじの起源を尋ねたら、元三大師が始めたとされるけれど、実際には、江戸時代の慈眼大師天海によって広まったという。

 「天海さんの夢のお告げに、元三大師が出てきて、『信州戸隠におみくじを取りに行きなさい』と言われ、行ってみたところその場所におみくじがあって、これが江戸庶民に流行ったと言われてます」

 話の通り、江戸時代にはすでに庶民たちの間でおみくじが浸透していたようで、「元三大師御籤」や「観音百籤」の本が何種類も刊行されている。出処が同じなら、3寺のおみくじの内容が概ね一致するのは頷けよう。
地元の主婦が作っていた!
 では神道系のおみくじの起源はどうなのか。

 各地の「おみくじ箱」を見ていると箱の横に朱色の地に金色の枠、金色の文字で「山口県鹿野町女子道社謹製」と書かれていることに気がつく。1010年の歴史をもつ東京・港区三田の元神明宮のおみくじ箱にもこの名前を見ることができた。神道系のおみくじの多くが、この女子道社なる聞き慣れない会社で作られていることが分かる。

 そこは一体、どんな会社なのか。おみくじ箱の住所を頼りに、山口県周南市鹿野にやってきた。

 「女子道社」は、地元の二所山田神社の社家が運営する有限会社で、神社の隣にある。

 早速神社を訪れると、「10年程前から、取材はお受けしていません」と丁寧に断られてしまった。

 「おぉ……」とたじろぐ私。おみくじ会社なんてこれまで全く聞いたことがない。拒否されると、ますます知りたくなる。しかも鹿野地区の3分の2は、二所山田神社の氏子で、地元の観光協会は女子道社の石碑まで建てるほど。山深い地域をあっちこっち取材して回り、話を聞くことにした。

 現在のおみくじのルーツは、明治38年(1905年)に遡る。二所山田神社21代目宮司・宮本重胤が、当時男性しかなれなかった神職に女性も登用すべきだと訴えて大日本敬神婦人会を設立する。この運動や機関誌「女子道」を発行する資金を捻出するべく考え出されたのがおみくじなのである。

 当時は、大きな神社が作る木版のおみくじしかなかったため、全国の神社に喜んで迎えられた。文面には、「明星派」の歌人だった重胤が詠んだ和歌や神道訓話が掲載され、「吉凶」を占う今日の神社のおみくじの原型となった。大正時代には、「自動おみくじ箱」を考案し、ますます普及していった。

 「女子道社」のおみくじは、金文字で「御神籤」と書かれたものや御幣の絵柄があるもの、神社の名前が印刷されたものなど18種類で、全国シェアは60%以上と言われている。ちなみに二所山田神社で引けるおみくじは、20円という安さ。こちらも驚きだ。

 鹿野地区では、おみくじ作りは地元の主婦が家庭で出来る内職として定着している。実際にどうやって作るのか、その作業風景を見せてもらった。

 おみくじは、創業当時と変わらず印刷を除けばすべて手作業。主婦は、1枚の大きな紙に9個印刷されたおみくじの端に糊をつけてから折り畳み、それを「押し切り」という断裁機で、切り離す。おみくじの数は一番から五十番まで、1000枚1セットで箱に詰めていく。

 この間80分ほどだが、ベテランになると1日約7000枚は折るという。隣にいたご主人が「私がやると、おみくじの表紙がピッタリ(正面に)来ないんですよ」と笑う。

 歴代の宮司はおみくじについて「心を落ち着けて引き、読んで心に残ったところを胸に留め、事あるごとに読み返して生活に生かすように」と語っているという。

 最後に、初詣で「凶」を引いた人のために、前出の元神明宮青木大和宮司の話を紹介しておこう。

 「凶が出ても、気にしてはいけません。凶の字をよく見ると植木鉢にメが出た図ではありませんか。これから芽が伸びて成長するという啓示です」

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さかがみ・りょう/'52年、大分県生まれ。本名・小俣一平。元NHK社会部記者。現在東京都市大学教授。著書に『消えた警官』『ロッキード秘録』(いずれも講談社)、『無念は力』(情報センター出版局)、『新聞・テレビは信頼を取り戻せるか』(平凡社新書)ほか
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 「週刊現代」2015年1月2日・9日合併号より
週刊現代,坂上遼

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