Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/5f59c85f4f91f2c5af744271b98058d308ab5c81
在留資格を持たない外国人を強制的に収容する入国管理施設。そこで行われる収容者への非人間的な扱いが、大きな問題となっています。茨城県牛久市にある東日本入国管理センター、通称「牛久入管」も全国に17カ所ある施設のうちの一つです。 【写真】この記事の写真を見る(4枚) ここでは、信濃毎日新聞社がコロナ禍の外国人労働者問題を取材してまとめた書籍『 五色のメビウス 』より一部を抜粋。「牛久入管」収容者たちが語った、施設や収容生活の実態を紹介します。(全2回の2回目/ 前編 を読む) ◆◆◆
資格更新が1日遅れただけで……
アクリル板の向こうのミャンマー人男性(33)の目は潤んでいた。2年前、「発熱で在留資格の更新が1日遅れた」だけで東京出入国在留管理局(東京)に収容された。茨城県牛久市の「牛久入管」に移されて8カ月になる。「ここにいるなら国に帰って戦闘して、死んだ方がまし、とも考えるんです」 男性は国軍と少数民族武装勢力の紛争が続いてきたミャンマー北部のカチン出身。2015年、留学生として来日し、現在難民申請中だ。 1日の大半を居室で過ごし、午後5時すぎの夕食の時間から翌日の朝まで部屋は外から施錠される。居室では暇を持て余す時間が長く、「自分の心がコントロールできず、眠れない夜がある」。そんな時には差し入れでもらった漢字帳を書き写し、心を落ち着ける。「社会の助けになる力があるのに収容される意味が分からない。自分が人間じゃないみたいです」 ◇ 繰り返し難民申請する人を強制送還できるようにする入管難民法「改定」の見送りが決まった日の翌19日。記者は牛久入管と呼ばれる東日本入国管理センターを訪れた。1995年から通い続けているボランティア田中喜美子さん(68)=茨城県つくば市=に同行して6人の収容者と計3時間にわたって面会。収容生活の一端に触れた。 93年末に開所した牛久入管はJR常磐線牛久駅からバスで20分ほど。雑木林に囲まれ、近くには産業廃棄物中間処理施設や少年院がある。2つの収容棟があり、収容定員は700人。運動場は高いコンクリート壁に遮られ、外から様子はうかがえない。 検温を済ませて施設に入り、1階の受付で「面会許可申出書」を記入する。住所、氏名、面会者との関係のほか、運転免許証の12桁の免許証番号を書く欄もあった。面会相手の国籍や名前も書く必要があり、相手の名前が分からないと面会はかなわない。
面会室に入る前にはゲート型の金属探知機を通り、携帯電話やカメラなどは持ち込めない。一般の面会室は5部屋。ほかに、弁護士用の面会室が2部屋ある。部屋は幅2メートル、奥行き3メートルほどで中央のアクリル板が面会者と収容者を隔てる。面会中の立ち会いがないことを除けば、受刑者らが入る長野刑務所(須坂市)の面会室とそっくりだ。面会時間は1回30分まで。 出入国在留管理庁によると、牛久入管には24日現在、64人が収容されている。いずれも男性。田中さんによると、収容者は19年まで300人程度で推移してきたが、新型コロナウイルス感染拡大後、一時的に収容を解く「仮放免」が急増している。 非正規滞在で退去強制処分となり4年9カ月の収容を経て、5月下旬に仮放免されることが決まったベトナム人男性(36)は「牛久の大学を卒業します」とおどけて見せた。ただ仮放免中は働くことができない。「どうやって生活すればいいんですか」。表情を曇らせた。 牛久入管では20日、職員の新型コロナ陽性が確認され、21日に記者が予定していた面会も中止に。収容者男性によると21日朝から23日朝まで部屋は外から施錠され、シャワー以外では出られなかった。 入管施設に収容されるのは、在留資格が失効した人や正規の入国手続きを取らなかった人など。収容の根拠は法相に指定された各入管の主任審査官が発付する「収容令書」「退去強制令書」だ。犯罪に対する刑罰ではないのに、いつ収容を解かれるかは分からない。裁判所の審査もなく、実態は「ブラックボックス」に包まれている。
「外国人をたたき出すための施設」
目はくぼみ、声は弱々しく、時折せき込んだ。 2021年5月19日、「牛久入管」と呼ばれる東日本入国管理センター(茨城県牛久市)の面会室に、50代のパキスタン人男性が車椅子に乗り、つえを持って現れた。インドとの領有権争いがあるカシミール地方出身だ。 「中で死んだら、誰かを助けられるかもしれない」
収容者たちと面会するボランティアの田中さん
難民申請が退けられ、収容されてから、もう6年。施設内の対応に抗議するため、1日3回出される食事「官給食」を拒否している。胃の調子が悪くなり、「おかゆを出してほしい」と頼んだが、受け入れられなかった。 その後は、支援団体の差し入れを少しずつ食べたり、砂糖を水に溶かして飲んだり。80キロだった体重は45キロに落ちた。 ボランティア団体「牛久入管収容所問題を考える会」代表の田中喜美子さんは面会中、男性の言葉に「うん、うん」「本当にひどいな」と相づちを打つ。男性が「死」を話題にすると「もうちょっと頑張ってほしいな」と励ます。「またお願いします」。男性は面会の終わりに、田中さんに声を掛けた。 田中さんは経営する喫茶店が定休の水曜日に面会を重ね、寄付で集まった日用品も差し入れる。19日は洗剤や砂糖、新聞、サプリメントなどを差し入れたほか、仮放免が近い人にテレホンカードやスーツを贈った。 面会するためには「許可申出書」に収容者の名前を記す必要がある。長年顔を合わせている人に面会する際、新たな収容者の名前を聞く。収容施設内から有料でかけられる電話を受け、本人の希望で面会することもある。ただ外部から収容者に電話をすることはできない。 田中さんは面会時、体調や困り事を聞き、メモを取る。これまでに書きためたノートの量は「これぐらい」と両手を上下に30センチほど広げた。 田中さんによると、居室は6畳ほどの広さが一般的。以前は1部屋に3、4人が暮らしていたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響に伴う仮放免者の増加で、最近はひとり1部屋が多いという。各部屋にテレビはあるものの、田中さんは「話し相手もいない、ほかの人は仮放免で出ていく。残された人はどう思うか」。 健康管理面でも不安が残る。「痛み止めの薬をお願いしたら、1週間後に来た」。刑務所で服役後、収容されているネパール人男性(43)は記者の面会にそう打ち明けた。
四半世紀経っても変わらない日本の入管
田中さんが面会活動を始めて四半世紀。牛久入管を訪れる支援者を送迎するボランティアをしたのがきっかけだ。 ただ通い続けても、仮放免を認める基準がはっきりしない。仮放免に必要な保証金も10万~20万円程度でばらつきがある。ネパール人男性は5月下旬に仮放免される予定で、保証金は10万円。同じく面会に応じたベトナム人男性(36)も同時期に収容が解かれるが20万円だ。 この10年ほどで、牛久入管に「良くなったところもある」。毎日、運動やシャワー浴ができるようになった。レトルト食品やカップ麺の差し入れも可能になった。 でも「根本は変わっていない」。 英国の施設では、収容者が携帯電話やパソコンを自由に使うことができ、言語や職業訓練の教室もある。「来た人を受け入れる施設」だ。 それに対し日本は―。 「ずっと、外国人をたたき出すための施設です」
信濃毎日新聞社
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