Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/ef0d192e4b28bbf41cf6865b75ff12153acf39f2
歴史上、トラによる獣害で人命が失われた例はいくつもある。19世紀の末から20世紀の初めにかけてインドとネパールで、1頭のベンガルトラが少なくとも7年間で436人を殺害したことが確認されている。インド、ネパール、バングラデシュなどに分布するベンガルトラは、鋭い爪と尖った硬い牙を持ち、オスの成獣は大きいもので全長3m、体重250kgを超える。もし、襲撃されたら人間はひとたまりもないのである。 【写真】トラは一体どこへ消えてしまったのか もっとも、日本に野生のトラは生息していないので、山中で「ガオ~!」と襲われることはない。まして、民家の庭先に猛虎が現れることなどあり得ない。しかし、その“あり得ない出来事”が起きていた……。これは、ある昭和の夏、千葉県君津市で発生した恐ろしい「トラ脱走事件」の顛末である。 (※1979年当時の朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞などの報道をもとに構成しています。またわかりやすさの観点から、当時の紙面を平易な文章に修正している箇所があります)
脱走トラが育った意外な環境
この事件が起きたのは、アニメ『ドラえもん』『機動戦士ガンダム』のテレビ放送が始まり、ソニーが携帯型ステレオプレーヤー「WALKMAN」を発売した1979年(昭和54年)のことだ。新聞各紙は8月3日の夕刊で第一報を伝えた。 「三日午前三時五十五分ごろ、君津市●●●、А寺の川口明光住職(仮名)から『寺で飼っているトラ二頭がオリから抜け出し、山の中に逃げ込んだ』と千葉県警本部に一一〇番があった」(日本経済新聞1979年8月3日付夕刊) 「A寺で飼っていたトラは、十二頭。二日午後十時ごろ、オス一歳のトラ三頭が入っていたオリの戸が開いていて三頭とも外に出ているのを寺の人がみつけた。一頭は三日午前五時ごろオリの中にもどり、残り二頭が外に出たままになった」(朝日新聞1979年8月3日付夕刊) A寺ではトラを12頭飼っており、その3頭(いずれも1歳)がカギのかかってないオリから逃げ出した。うち1頭はすぐに戻ったが、2頭は周囲から姿を消した。寺の関係者は8月2日の22時頃に事態を把握したが、3日の未明まで警察に通報することがなかった。なお、朝日新聞の記事では、逃げたのはいずれもオスのように読み取れるが、実際はオスとメス各1頭である。 トラの行方や、周辺の人々の状況について触れる前に、多くの人が抱くであろう2つの疑問をクリアにしておきたい。 ---------- 〈1〉なぜ、お寺にトラがいるのか? 〈2〉トラはどうして脱走したか? ---------- まず、〈1〉には、主に2つの背景が考えられる。一つは「70年代はまだ、いろいろとユルかった」ことである。その時代は猛獣を飼育することについての規制が甘く、個人でトラやライオン、クマなどを飼うことが容易に可能だったのだ。そして、もう一つの背景は、「A寺が観光地にあった」という点である。ゴルフ場に隣接するほか、レジャーランドやキャンプ場、国民宿舎などが近くにある環境で、古い歴史があり宿坊としても機能するA寺にも随時、多くの人が訪れていた。 上記2つの背景から、A寺は敷地内で、トラやイノシシ、ウサギなど干支にまつわる動物のほか、ツキノワグマ、オオカミなど(ライオンもいたという報道も)の猛獣も飼育し、有料の参拝客に見せていた。つまり、私設動物園を運営していたのである。 次に、〈2〉のトラが脱走した理由だが……その実情は、いささか信じがたい。 「二頭のトラが逃げたことについてA寺の川口明光住職は『オリのカギはかかっていたと思う』と話していたが、同県警の現地対策本部は、三日夕『カギは二つともかかっていなかった』と、飼育関係者の過失を裏付ける事実を発表した」(朝日新聞1979年8月4日付朝刊) 報道の通りだとすれば、“カギをかけ忘れた”という絶対に起きてはならないことが起きたことになる。A寺の安全管理体制については、日本経済新聞の1979年8月3日付夕刊が詳しい。 「料金をとって観覧させる展示動物の飼育については、国が五十一年に定めた『動物の保護及び管理に関する法律』に基づいて、『展示動物の飼育及び保管に関する基準』があり、猛獣類のオリの構造、材質などについて細かく想定している。しかし、違反しても罰則はなく、強制力がないのが実情で、A寺のトラのオリも基準には程遠いお粗末なもの」 日本経済新聞による、A寺に対する痛烈な批判はさらに続く 「トラ、ライオンなど大型ネコ科動物を展示する動物園などは、オリの位置を観客より低く掘り込んで客が見下ろす形にしたうえ、客とオリの間に『カラ堀』という掘削を設けなければならないことになっている。しかし、A寺の場合、オリの構造はしっかりしたものだったものの、客と動物が同じ高さで真正面から向かい合う『水平対向』式の構造。オリを破りさえすればすぐ目の前に客がいるという危険な状態で、昼間の事故だったら大惨事につながりかねないお寒い管理状況だった。また、寺には獣医もおらず、動物園などで本格的に猛獣を保管した飼育経験者もいなかった」 「トラ脱走事件」は、起こるべくして起こった“人災”だといえるかもしれない。
トラが逃げた周辺には多数の観光客が
通報を受けた警察はすぐに動き、対策本部を設置、千葉県警機動隊や千葉県猟友会などの応援を受け、約三百人で捜索作業にあたった。動物愛護の観点から、当初は“捕獲”も選択肢にあったようだ。2頭のトラは山の中に逃げ込んだと考えられたが、もちろん、周囲の住民や観光客が通常モードでいられる訳がなかった。 「A寺は、●●山の中腹付近にあり、近くには人家や観光施設がある。同寺近くでは子供二、三十人がキャンプを張っていたが警察の誘導で避難、また、●●カントリークラブでも約八十人のゴルファーがクラブハウスに避難するなど大騒ぎになった」(日本経済新聞1979年8月3日付夕刊) また、寺の宿坊には社会奉仕の勉強のために高校生61人、先生5人の計66人が前日から滞在。当日朝に寺を出る予定だったが、警察から“外出禁止”を指示され、室内に留まっていた。 約1km離れた国民宿舎に宿泊していたボーイスカウトの子どもたちや関係者100名以上も館内待機に。また、レジャーランドの来場者はしばらく園内に隔離された。なお、このレジャーランドで4日午前から予定されていた、RCサクセションらが出演する野外音楽フェスは中止になっている。 しばらくして、観光客、レジャー客はそれぞれ機動隊に守られるなどして脱出したが、どうすることもできなかったのが約80世帯の周辺住民たちだ。ステイホーム状態を余儀なくされ、暗くなると警察に促されるままに雨戸を閉め、蒸し暑い夜を過ごすことになる。 ただし、完全に“ロックダウン”状態だったかというと、必ずしもそうでもなかったようだ。 「脱走トラと“対決”5分 おじいちゃんは勝ったゾ にらみつけ撃退 裏庭14メートル! 『来るな』孫制し」(毎日新聞1979年8月4日付朝刊) 3日、A寺のすぐ近くに住む63歳の男性が自宅の庭でトラを目撃し、にらみ合いを展開。幸いトラはすぐにその場を去ったが、この出来事は、“庭でトラに襲われる可能性がある”という周辺住民の恐ろしいシチェーションを浮き彫りにした。
銃殺を批判したまさかの人物
逃げている2頭のうち、1頭(メス)は3日のうちに捜索隊に発見された。 「『ダーン』。突然、一発の銃声がA寺近くの森林の静けさを破った。続いて一発。また一発! …。境内の山頂に向けて八百人の包囲行動を開始して十分後、一頭が姿を見せ、たちまち射殺された」(朝日新聞1979年8月4日付夕刊) 対策本部は、空腹となったトラが苛立ち、人間への危害を加える可能性が強いと判断し、“射殺”に舵を切っていた。撃ち込まれたのは4発の銃弾。見方を変えれば、人間の勝手な都合により、何も罪のない動物が命を奪われたともいえる。 トラを殺したことに対して、新聞各紙は識者の否定的なコメントを掲載。また、「トラがかわいそう」「殺さなくてもよかったのでは」という世論も高まった。時期はずれるが、毎日新聞の1979年8月14日付朝刊にこんな見出しが躍っている。 「苦渋…射殺の寮友会員 電話やハガキで抗議殺到」 メスのトラを撃った猟友会員は、メディアで名前が報道されたため、集中的に非難されることになる。だが、射殺に憤った人たちがそうした行動にでるより早く、トラが殺されると真っ先に捜索隊の判断を声高に批判した人物がいた。 「『殺すなんて最悪の処理だ』。トラ飼育の最高責任者、A寺の川口明光住職(六五)は四日午後二時半から記者会見し、トラが射殺されたくやしさを、むき出しで語り続けた」(朝日新聞1979年8月5日付朝刊) 住職は会見で次のようなことを述べた。 ---------- ・カギはかかっていた。第三者がいたずらしたとしか思えない。 ・通報が遅れたのはすぐに戻ると思ったから。 ・4発も撃つ余裕があるなら生きて捕獲できたのではないか。 ・今の世の中は人間が動物を支配しすぎている。 ---------- これらの発言は手弁当で2日に渡る捜索を続けていた猟友会の逆鱗に触れた。各地域の猟友会を統括する千葉県猟友会は捜索のボイコットを決定。以後は、“警察からの協力依頼があった場合は各地区の猟友会の判断にまかせる”とした。この件が報道されると、置き去りにされた近隣住民の不安がますます高まっていくのは当然だった。 脱走から1週間が経過し、いくつかの目撃証言はあったが、オスの消息は不明だった。夏休みの子どもたちは家から出られず、農業従事者は農作業ができない“戦慄の夏”はまだまだ続くことになる。 捜索隊が決裂する状況で、飢えたトラはついに民家の周辺に姿を現す。そこで、何が起きたのか。後編<住民“戦慄”の「トラ脱走事件」はどんな被害をもたらしたのか、その顛末>でも引き続き当時の報道などを元に、「トラ脱走事件」の概要をひも解いていきたい。
ミゾロギ・ダイスケ(編集者・ライター・昭和文化研究家)
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