Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/84362c1b528425da6c6f4180a0a4ae9eaf35c179
蒲田・新宿の「みかじめ料」「集団強盗」
ここ数年、東京、大阪、愛知を中心にして、アジア系ギャングの犯罪が目立つようになってきた。国名として上がるのが、ベトナムとネパールだ。 【写真】父は暴力団員 母は薬物中毒者だった 「ヤクザ・チルドレン」の回想 ベトナムでいえば、コロナ禍の中で盗んだ豚や鶏を解体し、SNSを通して密売をしていたグループが思いつくだろう。これ以外にもドラッグの密売に関与したり、ベトナム人技能実習生を集めて不法就労させてマージンを手に入れたりするグループもある。 一時期「群馬の兄貴」として報じられた人物のグループがメディアを騒がせたが、むしろこうしたグループは新進ものだ。老舗グループから、暴力団のような悪質なグループまで割拠している。 ネパールであれば、「東京ブラザーズ」「ロイヤル蒲田ボーイズ」といった若者のグループが一時注目された。都内の蒲田や新宿地区を中心にして、インド料理店などからみかじめ料を奪ったり、集団で強盗をしたりすることをシノギにしている。 以前、日本で外国人ギャングといえば、ブラジルをはじめとした日系人のグループが主だった。事実、東海地方の少年院では1割~2割が日系人などの外国人だし、刑務所においてもそれなりの数が収監されている。 近年、そこになぜ、ベトナムやネパールといったアジア系のギャングが割り込むようになったのか。 当事者の証言から、その背景に迫りたい。
学校に行くことができない
日本でベトナム人のグループが構成されたのは、ベトナム戦争後に日本が「ボートピープル」と呼ばれたインドシナ難民を受け入れたことがきっかけだった。 来日した彼らの多くは、神奈川県大和市と兵庫県姫路市に設けられた定住促進センターに近い団地に暮らし、日本での難民生活をスタートさせる。だが、彼らは十分な日本語教育を受けられず、子供たちも貧困や差別の中で生きなければならなかった。 そんなインドシナ難民の一部や、社会からこぼれ落ちた子供たちが手を染めたのが、グレーゾーンの仕事、あるいは違法なビジネスだった。母国へ帰ることも、日本で正業に就くこともかなわなかった者たちにしてみれば、それが生きる手段だったのだろう。 8歳で来日してギャングの一員となったベトナム出身の男性は次のように語る。 「団地には、たくさんの失業者やアル中の難民がいた。俺たち子供は日本人にいじめられていたから学校へ行くことができなかった。学校の先生だって、外人の俺らがクラスにいるのを邪魔に思っていたし、言葉の通じない親を説得するのは面倒だったはず。それで、俺たちは学校へ行かず、団地のそんな大人たちとつるむようになった。そこで窃盗の方法だとか、マリファナの入手方法だとかを教わって、だんだんと悪いことに手を染めるようになったんだ」 神奈川県のいちょう団地、兵庫県の市川団地や勅旨団地には、大勢のインドシナ難民が暮らしていた。そこが、日本で居場所のない外国人同士が出会う場となり、グループが結成されていったのだ。 先の人物は次のように述べる。 「インドシナ難民ってベトナム人だけじゃなく、タイ人やラオス人なんかもいるんだ。だから、俺たちは主に東南アジア系の女性が働くパブの用心棒をしたり、自分たちでパブを経営したりした。盗んだ品をタイレストランとか、アジアン雑貨店に売ることもあった。言葉が通じるし、同じように日本でつらい思いをしている人間同士だから信頼関係もある。それでどんどんビジネスを広げていった」
家畜の窃盗で生計
水商売や飲食業で働く人たちにしても、日本の警察より、同じインドシナ難民のアウトローの方が頼りになったのだろう。こうしてインドシナ難民から生まれたグループは、主に日本における東南アジア人コミュニティーに侵食し、勢力を築き上げていったのだ。 ただし、最近になってメディアに登場するベトナム人グループは、こうした旧来の勢力とは異なるそうだ。インドシナ難民や、バブルの時代に日本に来た東南アジアの人たちが「第一世代」だとすれば、技能実習制度を利用して主に2000年代以降にやってきたのが「第二世代」だ。 第二世代の特徴は、来日した時はすでに日本は失われた20年に突入し、不景気にあったことだ。それゆえ、第一世代のように好景気の中で勢力を伸ばすことができず、数人から十数人の少数のグループとして主に地方を拠点にして点在している。そこで第一世代が行わない、家畜の窃盗、万引き、空き巣といった犯罪によってなんとか生計を立てているのだ。 彼らは組織が小さい分、シノギにおいて小回りが利くが、経済的に厳しいこともあって些細な内紛から仲間同士で殺傷事件を起こしたりすることがある。 先の人物は言う。 「技能実習制度がある以上、これからは小さなグループがどんどん増えていくと思う。日本には外国人をきちんと受け入れて定住させるという仕組みがないだろ。給料をろくに払わないような会社もある。そういうところが増えれば増えるほど、そこから失踪した人は小さなグループをつくって違法なことをしてでも生きていこうとするからな」 技能実習生の失踪数は、コロナ禍の前で年間8000~9000人強だ。その中の何人かが、右記のようなグループを形成すると考えれば、決して放置することのできない問題だ。 後編「入管が外国人犯罪者の「出会い」の場になっていた ネパール人ギャングの生活とは」につづく
石井 光太(ノンフィクション作家)
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