2020年1月22日水曜日

人工都市、過酷労働、裏金、灼熱……2022年W杯開催国カタールの「真の姿」とは?

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200116-00010005-thedigest-socc
1/16(木) 、ヤフーニュースより
 2022年冬、カタールで「史上もっとも風変わりなワールドカップ」が開催される。いったいどんな大会になるのか、現時点では予想が難しい。

 11~12月という時期も、中東という開催地も、サッカーのメジャートーナメントでは史上初だ。極めて「政治色の強い大会」となるのは間違いないだろう。

 例えば1978年のアルゼンチンW杯も、かなり政治色の強い大会だった。当時のアルゼンチンは軍事独裁政権下にあり、大会がその政府のプロパガンダになっていたのだ。

 今回の開催国カタールはアラビア湾に面する小国。経済力という唯一の武器はこれまでビジネスや政治の世界だけで発揮されてきた。スポーツはインフラが限られ、文化的にも根付いているとは言い難い。それでも幾多の仕込みがモノを言ってアメリカ、オーストラリア、韓国、日本などを蹴落としてホストカントリーに選ばれた。カタールはこの2022年W杯を通じて、世界中の注目を集め、国際社会での存在感を高めようと目論んでいる。

 私はこれまで5度に渡ってカタールの地を踏んでいる。その度に強く感じるのがサウジアラビア、UAE、クウェート、オマーン、バーレーンといった近隣のアラブ諸国との大きな違いだ。

 最大のそれが、オイルマネーの使い方。UAEやサウジアラビアなどサッカー熱が高く裕福な中東諸国は、その豊富な資金を世界中の有名な選手やクラブを自国に呼び寄せることに投資する。例えばUAEは、自国リーグのクラブに世界中から選手を呼び寄せ、イタリア・サッカー連盟やユベントスなどと提携してスーパーカップや親善試合を開催している。

 しかし、カタールはそうした投資にあまり熱心ではない。彼らは他の中東諸国が有名な選手/クラブを呼び寄せるカネで、『アスパイア・アカデミー』を創設したのだ。04年に誕生した政府運営のサッカーを中心としたアスリート養成機関である。自国はもちろん中東、アフリカ、アジアなど世界30か国以上から少年たちを集めている。

 テストをパスして入寮した選手たちは、信じられないほどの好待遇だ。14面のグラウンドや全天候型のアリーナ、最新鋭のジムなどで、元バルセロナのコーチなどの指導を受けられる。昨夏までカタールのアル・サッドに所属していたシャビもかつてはコーチのひとりだった。宿や食事、トレーニングウェアなどはすべて国家負担で、言語や栄養学などの講義も充実する。

 U―19代表で14年アジア選手権制覇を果たし、A代表でも19年アジアカップ優勝などを成し遂げたカタールのメンバーには、このアカデミー出身者が数多く名を連ねていた。また、世界中の恵まれない国の少年にチャンスを与えているという意味でも、国際社会に向けた重要なアピールとなっている。
 次の投資先はバルセロナだ。カタルーニャの雄は長くユニホームの胸スポンサーを拒んできたが、11年にその牙城を崩したのが『カタール・ファウンデーション』だった(その前の『ユニセフ』はスポンサーでなくパートナーシップ契約)。

 貧しい国や地域を助け、スポーツや音楽の振興に寄与する財団は、バルサにとって「伝統を破って金儲けに走った」という真実の隠れ蓑になった。13年からは『カタール航空』が胸スポンサーを務めた。こうして小国カタールは他の中東諸国を尻目に、サッカー界にその名を知らしめたのだ。

 そして、パリSG。ヨーロッパの主要都市の多くは世界的なビッグクラブを持っているが、その中でパリだけは違った。パリとフランスにとっては忸怩たる思いだっただろう。カタールはそこに目を付ける。

 11年5月、国家投資庁を通じてパリSGを買収し、カタール傘下のクラブとしたのだ。ズラタン・イブラヒモビッチをはじめエディンソン・カバーニネイマール、そしてキリアン・エムバペなどのスーパースターが花の都に降り立ったのは、すべてカタール・マネーのおかげ。カタールはこれ以上ないほど賢明なカネの使い方で、サッカー界で存在感を高めていったのである。

 カネと政治と知恵を駆使したこれらの投資はすべて、もちろんW杯への入念な布石だ。ただ、招致から開催に向けては、バッシングも少なくない。まず何よりも、開催地決定の際に票を裏金で買ったという話は後を絶たない。またカタールには同性愛を禁じる法律があり、国家規模のメディア検閲、夏場は50度にも達する気候も懸念された。

 さらに、外国人労働者のパスポートを取り上げ、過酷すぎる条件で働かせる制度にも批判が集まってきた。スタジアム建設のためにインドやネパールなどから連れてこられた労働者たちは、やはりパスポートを取り上げられ、帰りの切符も用意されていない。まるでこの地に骨を埋めろと宣告されているかのようだ。ノルウェーのある人権団体はこう警鐘を鳴らしている。

「スタジアム建設中に亡くなった労働者ひとりにつき1分間の黙祷を捧げるとしたら、カタールW杯の全64試合はすべて沈黙の中でプレーされることになる」
 カタール大会は私にとって実に10回目のW杯取材となる。そのメモリアルな大会の真実をこの目で確かめるため、19年夏にカタールへと飛んだ。

 まずは国内リーグを見に行った。試合は全て19時30分のキックオフ。日没からすでに1時間以上が経っているが、それでも気温は摂氏30度を超えていた。この時期にW杯開催なんて不可能に近い。ナイトゲームだけの冬大会になった理由は明らかだ。

 サポーターはいるにはいたが、その数はかなり少なかった。観客が50人、100人という試合が現地では当たり前だという。私はスタジアムで知り合った数人のインド人と話をした。試合に来ると10ドル(約1100円)がもらえるそうだ。そしてチャントを歌ったり、太鼓を叩いたりすれば、もう10ドルのボーナスがあるという。

 カタールの人口は約260万人だが、純粋なカタール人はその1割ほど。高齢者や女性、子供を入れてその数だ。残る9割は外国人労働者で、主にパキスタン、インド、バングラデシュ、ネパール、フィリピン、タイ、スリランカなどの出身。いずれもサッカーが盛んな国ではない。ヨーロッパ出身者もいるが、レベルの低い国内サッカーを観に行く者はほとんどいない。

 だから国内リーグでは、文字通りカネをばら撒いて観衆を集めているのだ。W杯でも地元サポーターの盛り上がりはあまり期待できないだろう。

 続いて私は、ルサイルに潜入した。ほとんど何もなかった砂漠に、W杯のために作っている湾岸人工都市だ。いまだ作業員しか見当たらないゴーストタウンだったが、砂漠だった場所には電気や水道などのインフラが整えられている最中で、美しく大きなホテル、ショッピングモール、レジャー施設、人工の浜辺とともに、開幕戦と決勝が開催される8万人収容のスタジアムが建設中だった。

 W杯のために「町をまるまる造ってしまう」という突飛な発想からは、「普通には開催しない。史上初の中東W杯に相応しい、様々な意味で史上初の大会にしたい」というカタールの思惑が見て取れる。
 このとんでもない町をいったい誰が造っているのか―。それが知りたかった私は、幸運にもインドからの出稼ぎ労働者と仲良くなることができた。彼の名前はサンジットで、スタジアム周辺の植木管理人だった。

 灼熱の環境で木や花を育て、保つのはなかなか大変な仕事だという。ただ、「2年前にカタールに来た時と比べれば、まるで天国だ」とも言っていた。出稼ぎに来た当初はセメントを作るための砂の調達係で、とんでもない暑さと埃の中で労働する日々。死を覚悟したことは一度や二度ではなかったという。

 幸いにもインドで学んでいた植物の知識が役立ち現在の職に就けたが、今も過酷な状況下で働き続けている仲間は多いと嘆いた。

 このサンジットに作業員のヘルメットを借りた私は、立ち入り禁止のスタジアム建設現場に潜入した。大会前に誰よりも早く決勝のスタジアムを突撃取材するのが、90年のイタリアW杯から続けているルーティンだ。前回のロシア、3大会前の南アフリカでは警察に捕まりもしたが。

 不安顔のサンジットに「心配はいらない、私はブラジル人だから楽天的なんだ」と言うと、彼は笑ってくれた。ただ、「もし今回も捕まったら、私は無関係だとシラを切らしてもらうよ」と念を押された。

 私は青のヘルメットを被り、巨大なスタジアムへと足を向けた。開幕3年前にもかかわらず、かなり建設が進んでいる。遅延を繰り返して開幕直前に完成した箱もあった14年のブラジルW杯とはまさに雲泥の差だ。内装はとてもモダンで、そこに立つだけで圧倒される。とんでもないパワーの空調も付けられ、その他にも随所に最新のテクノロジーが駆使されていた。

 スタジアムの前には路面電車の駅が完成していて、待合室は冷房が効いていた。この時の気温はなんと45度。この部屋に入るのがあと少し遅れていたら、私は熱中症で倒れていただろう。
 その後、私はカタールW杯組織委員会CEOの一人、ナサール・アル=カテール氏の下を訪ねた。若くてとても聡明な彼は、すべてのことを深く理解していた。カタールの望み、恐れ、必要なもの、FIFA、カタールの人々、そして世界中のサポーターの思い……。いま寄せられている批判は、カタールのイメージを多少損なうことになっても、社会改革の大きなキッカケになるはずだと言う。

「カタールはW杯を通して、国のソフト面を国際的なレベルにまで引き上げたいと考えているのです」
 
 16年12月にカタール政府は、雇用者が出稼ぎ労働者のビザや法的地位を左右できる悪名高い『カファラ制度』の廃止を宣言。パスポート剥奪などの問題も少しずつ解決に向かっているという。またW杯期間中は飲酒ができる場所を設け、同性愛禁止法も大会中は緩める方針だ。アル=カテール氏はこう語る。

「W杯の成功はカタールにとって、歴史的な新たな一歩となるはずです。世界中から訪れるサポーターにはこの国のあちこちを観光し、本当のカタールを知ってもらいたいと思っています」

 大会組織委員会が一番危惧しているのは、より観光地として成熟しており、カタールからたった30分のフライトで飛べるUAEのドバイに、サポーターを奪われないかということ。観光客を自国に留めておけるかは、インフラやホスピタリティーの整備次第だろう。

 いまだかつて、これほど大きな挑戦に乗り出した国はない。前回のW杯は世界で一番大きな国であるロシアで開催された。そして今、逆に世界で最も小さい部類に入る国が、砂漠の上で奇跡を起こそうとしている。3年後のカタールW杯は試合以外にも興味深いものが数多く存在する―。現地取材を終えて、私はそう思うようになった。

取材・文:リカルド・セティオン
翻訳:利根川晶子
※『ワールドサッカーダイジェスト』2019年12月5日号より転載

【著者プロフィール】
リカルド・セティオン/1963年8月29日生まれ、ブラジル・サンパウロ出身。ジャーナリストとして中東戦争やユーゴスラビア紛争などを現地取材した後、社会学としてサッカーを研究。スポーツジャーナリストに転身する。8か国語を操る語学力を駆使し、世界中を飛び回って現場を取材。多数のメディアで活躍する。FIFAの広報担当なども務め、ジーコやカフーなどとの親交も厚い。現在はスポーツ運営学、心理学の教授としても大学で教鞭も執っている。

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