2016年8月17日水曜日

過酷な戦場を生き抜く「娼婦」の意外な実態

Source: http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160814-00130584-toyo-soci

東洋経済オンライン 8月14日(日)、ヤフーニュースより

男たちが生死の極限状態に追い込まれる戦場には、必ずといっていいほど娼婦の存在がある。世界中の紛争地や戦場に生きる、彼女たちの実態とは? 『娼婦たちから見た戦場』を書いたフォトジャーナリスト、八木澤高明氏に聞いた。 


 ──15年以上にわたり、世界中の娼婦を取材しています。

 世間では彼女たちを陰の存在としてとらえ、暗くて大変そうなイメージを持ってしまう。一面では間違いないが、それだけではない。たとえばタイ・バンコクへ行くと堂々と働いていて、「いったい何者?」とさえ思ってしまう。彼女たちに悲壮感は漂っていないが、反面で今の生活から抜け出したいとも思っている。陰と陽の振り幅が、普通の生活を送る人より大きい。多くの葛藤やもどかしさを抱える生き様に引かれているのかもしれない。

■ 身一つでたくましく生きている

 ──戦場の娼婦をテーマに選んだ理由とは。

 戦争と娼婦は、切っても切れない関係にある。普通の日常を送っていても、戦争や内紛によって娼婦に身を落とす人が当然出てくる。戦後の日本もそうだったが、彼女たちの生きている場所が戦場そのもの。爆弾テロや攻撃の恐怖だけでなく、客とのトラブルで殺される人もいるし、病気の危険と隣り合わせ。身一つでたくましく生きている。

 ──イスラム教徒が大半を占めるイラクでは、住宅地のビルの中で娼婦たちが隠れるように共同生活をしていました。

 取材した当時は、サダム・フセイン政権が崩壊した2004年ごろだった。離婚したり夫に先立たれたり、訳ありの女性たちにとって生きるすべは売春になる。壊れた社会の中で、一つのシステムにさえなっている。今はもっと国が混乱しているから、娼婦の数は増えているだろう。
 ──内戦後のネパールでは、性同一性障害の「ヒジュラ」と呼ばれる街娼が突然現れたとか。

 ヒジュラはニューハーフの意味で使われていたが、取材した一人からは「サードセックス」と呼んでくれと言われた。内戦の終結や王政の崩壊で旧秩序が壊れ、いきなり彼らが街角に立つようになった。ネパールは男性社会で、女性の地位がものすごく低い。その中で男の生き方を捨て、女として自分の生きる場所を切り開いていく。あれは本当に、自分自身との精神的な戦いだと感じた。

 社会が開かれたことで、彼らは自分自身のアイデンティティを表に出す機会を得られた。田舎の村でできなかったことが、都会のカトマンズでは実現できる。生きるすべは売春しかないし、ものすごい差別を受ける。少し気を抜けば命を落としかねない環境にある。田舎の父親には黙っていると語っていたように、男尊女卑の傾向が強いヒンドゥー教の社会の厳しさが垣間見えた。

■ ズダ袋にくるまって寝ていた「デウキ」

 ──ヒンドゥー教の寺院にささげられ、10歳ごろから境内で生きてきた58歳と80歳の「デウキ」と呼ばれる娼婦も印象的でした。

 最初に出会ったときは、本当に衝撃を受けた。境内の軒下でズダ袋にくるまって寝ていた。本来は神と結婚する聖なる存在だったが、経済の発展などにより寺の権威が低下し、経済力をつけた人々の慰み者となる面が強くなったのかもしれない。

 長生きしてしまった彼女の背後には、若くして亡くなっていった多くのデウキたちがいるのではないか。すさまじい雰囲気があった。

 デウキの村はネパール最西端にあった。かなり貧しく、反政府軍の根拠地になっていた地域だ。グローバリズムの影響で社会が変容する中でも古い慣習が残る場所だったが、今や風前の灯火。近くには売春カーストの集落も存在したが、カトマンズではどちらも聞いたことがない。ヒンドゥー教の因習は、もはや西ネパールにしか残っていないのかもしれない。幼児婚も取材したが、世界的な潮流では犯罪となっている。ネパールでも表立っては聞かれなくなった。

 ──かつては社会システムの中に売春が組み込まれていたが、グローバル化の波で消えつつあります。

 デウキや売春カーストは、社会の成り立ちとともに発生してきた側面が大きい。かつては世界中にあったのかもしれない。ひとくくりにしていいのかわからないが、100年前の日本にも遊郭があった。江戸時代には貧しい家の娘たちが吉原の遊女や街道筋の飯盛女として売られていた。デウキのような生き方は、かつて日本にも存在していたように見える。
 ──タイでは農村から都会へ出稼ぎに行ったが、エイズらしき病気にかかった一人の女性の悲哀についても取り上げています。

 今、彼女が生きているかどうかはわからない。もとはバンコクの華やかなカラオケ店で働いていたが、病気をもらって田舎のイサーンへ帰っていたときに出会った。2年後に再び訪れたとき、すでに亡くなっていると思っていたら、年老いた母親が生きていると言う。ラオス国境の田舎町まで会いに行くと、豆電球がチカチカ光っているような場末のカラオケ店で働いていた。実家でただ飯を食うわけにはいかず、病気になっても死ぬまで体を売る場所を探すしかない。あの境遇は衝撃的だった。

■ 底辺から抜け出すための売春

 ──農村で自給自足の生活ができたかもしれないのに、経済発展が悲劇を生んでしまったのですね。

 都会に出ればおカネを稼げることがわかると、今よりもいい生活を送りたい気持ちが当然強くなる。それが原動力となり、娼婦が大量発生している。社会の底辺から抜け出す一つの手段として、売春があるのは間違いない。

 10年にバンコクで武力弾圧事件が起きたときも現地にいたが、半独裁民主戦線であるタクシン派の多くは農民だった。農村地のイサーンは売春婦のみならず、労働者の供給地ともなっている。タクシンが大人気で応接室に写真を飾っている家が多くて驚いた。激しい政治運動も貧困から生まれていることを感じた。

 ──中国では纏足(てんそく)の女性にも取材しています。世間的にはかわいそうな存在と受け止められていますが、彼女たちの写真は美しい。

 今では纏足など絶対にとんでもないが、封建制の象徴として服装や様式美といったものが生み出されたとの見方もできる。80歳以上の女性ばかりだから纏足がなくなるのは時間の問題だし、ぐるぐる巻きにされた小さな足はそうとう痛そうだった。それでも彼女たちは、自分の足はきれいというプライドを持っていた。

 ──社会が変わると、女性の生き方も大きく左右されますね。

 国家ができて男が社会をまとめだすと、家や財産を守るためにシステムを作りたがる。国家や軍隊、階級を男が操る過程で、売春が職業として成立してしまう。それが娼婦を生み出す土壌となっている。
前田 佳子

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