Source:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160502-00000015-mai-soci
毎日新聞 5月2日(月)、ヤフーニュースより
【カトマンズ長田舞子】「オヤジ、会いに来たよ」。60年前、ヒマラヤのマナスル(世界第8位、8163メートル)に初登頂した今西寿雄(としお)隊員の長男邦夫さん(63)が1日、寿雄氏が眠る当地近郊のカカニの丘(標高約2100メートル)を訪れ、父親と20年ぶりに“再会”を果たした。この日は霞がかかりマナスルは見えなかったが、邦夫さんは山の方向に向かい静かに手を合わせた。
◇形見のカメラと
寿雄氏は1956年5月9日、ネパール人のガルツェン隊員とともに登頂に成功し、日本人として初めて8000メートル超の未踏峰に足跡をしるした。帰国後は建設会社社長に就任。日本山岳会会長などを務め95年に81歳で亡くなった。「ヒマラヤやネパールに恩返しがしたい」が口癖だった寿雄氏。邦夫さんと寿雄氏の妻芳子さん(89)は96年、登頂40年式典でネパールを訪れた際、その遺志をくんで、遺骨の一部をこの丘に埋葬した。
4月30日に行われた登頂60年式典に出席した邦夫さんは登頂の際に父親が使っていたカメラを持参し、様変わりした街並みを記録した。「オヤジと一緒に来たかったので持ってきた。どんな写真が撮れているか分からないが、オヤジも同じようにじらされながらも楽しんで撮影したのでは」と、60年前に思いをはせる。
邦夫さんによると、普段は寡黙な父親で、晩酌の度にマナスルやネパールの様子を懐かしそうに話していた。登山の厳しさが身に染みていたためか、邦夫さんが大学進学したときは山岳部入部に反対したという。1日は登頂メンバーだった日下田(ひげた)実さん(85)も同行し「きっと喜んでくれているはず」とほほ笑む。 1年前の地震の傷痕が癒えないネパール。会社を引き継いだ邦夫さんは父親の遺志に報いるためにも、復興に貢献したいとの思いを改めて強くした。
◇形見のカメラと
寿雄氏は1956年5月9日、ネパール人のガルツェン隊員とともに登頂に成功し、日本人として初めて8000メートル超の未踏峰に足跡をしるした。帰国後は建設会社社長に就任。日本山岳会会長などを務め95年に81歳で亡くなった。「ヒマラヤやネパールに恩返しがしたい」が口癖だった寿雄氏。邦夫さんと寿雄氏の妻芳子さん(89)は96年、登頂40年式典でネパールを訪れた際、その遺志をくんで、遺骨の一部をこの丘に埋葬した。
4月30日に行われた登頂60年式典に出席した邦夫さんは登頂の際に父親が使っていたカメラを持参し、様変わりした街並みを記録した。「オヤジと一緒に来たかったので持ってきた。どんな写真が撮れているか分からないが、オヤジも同じようにじらされながらも楽しんで撮影したのでは」と、60年前に思いをはせる。
邦夫さんによると、普段は寡黙な父親で、晩酌の度にマナスルやネパールの様子を懐かしそうに話していた。登山の厳しさが身に染みていたためか、邦夫さんが大学進学したときは山岳部入部に反対したという。1日は登頂メンバーだった日下田(ひげた)実さん(85)も同行し「きっと喜んでくれているはず」とほほ笑む。 1年前の地震の傷痕が癒えないネパール。会社を引き継いだ邦夫さんは父親の遺志に報いるためにも、復興に貢献したいとの思いを改めて強くした。
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