2020年1月22日水曜日

アンナプルナで雪崩、200人救助も韓国人ら7人不明 ネパール

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200119-00000010-jij_afp-int
1/19(日)、ヤフーニュースより
【AFP=時事】ヒマラヤ山脈(Himalayas)に位置するネパールのアンナプルナ(Annapurna)地方で17日、雪崩が発生した。約200人が救助されたが、韓国人4人とネパール人3人が今も行方不明となっている。当局が18日、明らかにした。

 韓国は必死の救助活動を支援するため、ネパールに緊急救助隊を派遣する予定。

 雪崩は17日、アンナプルナのベースキャンプに近い標高約3230メートル地点で、大雪の後に発生した。

 不明者のうち6人は同じ登山隊のメンバーで、もう1人は別の登山隊で荷物運搬人を務めていたネパール人。

 天候が回復してヘリコプターが飛行可能になってから、雪崩に見舞われた場所と他の登山ルートから約200人が救助された。

 大韓山岳連盟(Korean Alpine Federation、KAF)のネパール人登山ガイド、アン・ドルジェ・シェルパ(Ang Dorjee Sherpa)さんによると、現地ではこの2日間雪が降っており、登山は危険な状態だった。

 ドルジェさんは、「天候が悪化し雪がひどくなったので、(登山の継続は)危険で困難と感じ、彼らは引き返すことに決めた。その帰り道に雪崩に巻き込まれた」と説明した。

 アンナプルナは雪崩が発生しやすく登るのが難しい山で、世界最高峰エベレスト(Everest)よりも死亡率が高い。【翻訳編集】 AFPBB News

元「世界一背が低い」ネパール人男性、27歳で死去 身長67センチ

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200119-00010003-afpbbnewsv-int
1/19(日)、ヤフーニュースより
【1月19日 AFP】「世界一背が低い、歩行可能な男性」としてギネス世界記録(Guinness World Records)に認定されていたネパールのカジェンドラ・タパ・マガル(Khagendra Thapa Magar)さんが17日、肺炎のためポカラ(Pokhara)の病院で死去した。27歳だった。遺族が明らかにした。

 身長が67.08センチだったマガルさんは、首都カトマンズから200キロ離れたポカラで、両親と暮らしていた。

 兄弟のマヘシュ(Mahesh Thapa Magar)さんはAFPに対し、「彼は肺炎のため入退院を繰り返していた。しかし今回は心臓にも影響が及び、きょう亡くなった」と語った。

 マガルさんは18歳の誕生日を迎えた後の2010年、「世界一背が低い男性」に認定され、自身より少しだけ小さな証明書を手にして記念写真に納まった。

 だが、身長54.6センチのネパール人、チャンドラ・バハドゥール・ダンギ(Chandra Bahadur Dangi)さんの存在が明らかになると、「世界一背が低い男性」の称号を失い、代わって「世界一背が低い、歩行可能な男性」となった。

 2015年にダンギさんが死去すると、マガルさんが再びその称号を手にした。

 ギネス世界記録の運営団体によれば、マガルさんの父親は「(マガルさんが)生まれた時、あまりに小柄で手のひらに収まるほどだった。とても小さいので風呂に入れるのが大変だった」と述べた。

 マガルさんは「世界一背が低い男性」として十数か国を訪れ、欧米諸国ではテレビにも出演した。

 ギネス世界記録によると、マガルさんの死去により、「世界一背が低い、歩行可能な男性」は、身長70.21センチである、コロンビアのDJ、「ニノ(Nino)」ことエドワード・エルナンデス(Edward Hernandez)さんとなった。

「世界一背が低い男性」の称号は、フィリピンのジュンレイ・バラウィン(Junrey Balawing)さんが保持している。バラウィンさんは身長59.93センチだが、介助なしで歩いたり、立ったりすることができないという。

 映像は2011年10月、取材に応じた際のマガルさん。(c)AFPBB News

ネパールのアンナプルナで雪崩により韓国人4人が行方不明

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200119-00000003-cnippou-kr
1/19(日)、ヤフーニュースより
ヒマラヤのアンナプルナで雪崩が発生し、韓国人4人が行方不明となった。

外交部は18日、韓国人11人を含むアンナプルナ登山チームのうち9人がベースキャンプからトレッキングに出たのち雪崩に遭遇し4人の行方がわからなくなったと明らかにした。5人は安全に待避した。事故現場はネパール中部のヒマラヤ近隣ポカラ市から徒歩で3日ほどかかる場所という。

事故は現地時間17日午前10時30分~11時ごろ、アンナプルナ・ベースキャンプのトレッキングコースである海抜3230メートルのデウラリ地域で発生した。

外交部によると、韓国ネパール観光トレッキング運営協会の事務総長が17日午後3時ごろ、韓国人がトレッキング中に雪崩に遭い行方不明となり捜索中だと在ネパール韓国大使館に連絡してきた。

在ネパール大使館は事故の知らせを受けた直後に担当地域を管轄するポカラ警察関係者に積極的な捜索を要請する一方、韓国にいる行方不明者の家族に事故の発生を伝えた。

行方不明者は現地教育奉仕活動のため滞在していた現職教師らという。忠清南道(チュンチョンナムド)教育庁は、「ネパールに海外教育奉仕活動に向かった忠清南道教育庁所属教師4人の連絡が途絶え所在が確認できずにいる」と明らかにした。4人はいずれも異なる学校の所属で、このうち2人は女性教師という。

ネパール教育奉仕活動に参加した教師は11人で、13日に出発した。25日までカトマンズ近郊地域の小学校と中学校、学習施設などで教育奉仕活動を行う予定だった。これに対し忠清南道教育庁は「奉仕活動に行った所属教師11人はそれぞれ違う学校の所属で、1校だけ2人が参加し、全部で10校」と明らかにした。

外交部本部と在ネパール大使館は事故通報後すぐに非常対策班を構成し、ネパール当局に迅速な行方不明者捜索を要請した。また、本部迅速対応チーム派遣と家族支援など必要な領事助力を提供する予定だ。

事故の知らせに接した教育庁も非常対策班を設け現地に支援人材を急派した。

元「世界一背が低い」ネパール人男性、27歳で死去 身長67センチ

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200118-00000031-jij_afp-int
1/18(土)、ヤフーニュースより
【AFP=時事】「世界一背が低い、歩行可能な男性」としてギネス世界記録(Guinness World Records)に認定されていたネパールのカジェンドラ・タパ・マガル(Khagendra Thapa Magar)さんが17日、肺炎のためポカラ(Pokhara)の病院で死去した。27歳だった。遺族が明らかにした。

【関連写真】ミス・ネパールの美女と写真撮影する、笑顔のマガルさん

 身長が67.08センチだったマガルさんは、首都カトマンズから200キロ離れたポカラで、両親と暮らしていた。

 兄弟のマヘシュ(Mahesh Thapa Magar)さんはAFPに対し、「彼は肺炎のため入退院を繰り返していた。しかし今回は心臓にも影響が及び、きょう亡くなった」と語った。

 マガルさんは18歳の誕生日を迎えた後の2010年、「世界一背が低い男性」に認定され、自身より少しだけ小さな証明書を手にして記念写真に納まった。

 だが、身長54.6センチのネパール人、チャンドラ・バハドゥール・ダンギ(Chandra Bahadur Dangi)さんの存在が明らかになると、「世界一背が低い男性」の称号を失い、代わって「世界一背が低い、歩行可能な男性」となった。

 2015年にダンギさんが死去すると、マガルさんが再びその称号を手にした。

 ギネス世界記録の運営団体によれば、マガルさんの父親は「(マガルさんが)生まれた時、あまりに小柄で手のひらに収まるほどだった。とても小さいので風呂に入れるのが大変だった」と述べた。

 マガルさんは「世界一背が低い男性」として十数か国を訪れ、欧米諸国ではテレビにも出演した。

 ギネス世界記録によると、マガルさんの死去により、「世界一背が低い、歩行可能な男性」は、身長70.21センチである、コロンビアのDJ、「ニノ(Nino)」ことエドワード・エルナンデス(Edward Hernandez)さんとなった。

「世界一背が低い男性」の称号は、フィリピンのジュンレイ・バラウィン(Junrey Balawing)さんが保持している。バラウィンさんは身長59.93センチだが、介助なしで歩いたり、立ったりすることができないという。【翻訳編集】 AFPBB News

福岡市のゴミ出し ネパール語やベトナム語など10言語でルール案内 スマホで読み取り確認

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200117-00000002-tncv-l40

1/17(金)、ヤフーニュースより

ごみ出しのルールを10種類の言語で案内するサービスを、福岡市がインターネット上で始めました。

新しい福岡市のサービスでは、スマートフォンでQRコードを読み取ると、ごみの分別やごみ出し日などのルールを10種類の言語で確認することができます。

福岡市はこれまで英語や中国語など4つの言語に対応していましたが、さらにベトナム語やタイ語、ネパール語など6つの言語が加わりました。

福岡市によりますと、市内に暮らす外国人の数は約4万人で、2018年に比べネパールやベトナムの人が増えています。

外国人が多く暮らすエリアの住民からは、外国人のごみの出し方について不安の声が寄せられていたということです。

市は今後、QRコードが印刷されたチラシやポスターを配り、日本語学校などを通じてサービスの周知を図ることにしています。

外国人40人が不法就労か 行政書士らによる虚偽申請、京都府内十数社に派遣

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200117-00227169-kyt-l26

1/17(金)、ヤフーニュースより

 行政書士らが外国人に在留資格を取得させるために虚偽申請したとされる事件で、入管難民法違反容疑で逮捕された男(61)=京都市伏見区阿波橋町=の勤務していた人材派遣会社「アプリ」(南区)が、外国人約40人を飲食や金属加工など人手不足が深刻な職場に派遣し、不法就労させていた疑いのあることが16日、京都府警への取材で分かった。

外国人の不法就労で虚偽申請、行政書士ら男女3人容疑で逮捕

 府警によると、アプリ社は年間約2億円の売り上げがあった。男は同社の元幹部で、「人手不足の職場と日本での労働を熱望するネパール人を結び付ければ、ビッグビジネスになると思った」と供述しているという。
 府警によると、アプリ社は2017~19年に全国の日本語学校を卒業したネパール人らを採用。広報や通訳など専門技能を有する外国人を対象にした在留資格を取らせた上で、府内の料亭や運送会社など十数社に派遣し、皿洗いや荷運びなど資格外の業務に従事させていたという。
 府警が16日までに逮捕したのは、福泉容疑者と行政書士の男(46)=城陽市富野南清水、ネパール国籍の女(26)=京都市中京区壬生土居ノ内町=の3人。行政書士の男は「虚偽申請をした認識はない」と容疑を否認し、他の2人は認めているという。

人工都市、過酷労働、裏金、灼熱……2022年W杯開催国カタールの「真の姿」とは?

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200116-00010005-thedigest-socc
1/16(木) 、ヤフーニュースより
 2022年冬、カタールで「史上もっとも風変わりなワールドカップ」が開催される。いったいどんな大会になるのか、現時点では予想が難しい。

 11~12月という時期も、中東という開催地も、サッカーのメジャートーナメントでは史上初だ。極めて「政治色の強い大会」となるのは間違いないだろう。

 例えば1978年のアルゼンチンW杯も、かなり政治色の強い大会だった。当時のアルゼンチンは軍事独裁政権下にあり、大会がその政府のプロパガンダになっていたのだ。

 今回の開催国カタールはアラビア湾に面する小国。経済力という唯一の武器はこれまでビジネスや政治の世界だけで発揮されてきた。スポーツはインフラが限られ、文化的にも根付いているとは言い難い。それでも幾多の仕込みがモノを言ってアメリカ、オーストラリア、韓国、日本などを蹴落としてホストカントリーに選ばれた。カタールはこの2022年W杯を通じて、世界中の注目を集め、国際社会での存在感を高めようと目論んでいる。

 私はこれまで5度に渡ってカタールの地を踏んでいる。その度に強く感じるのがサウジアラビア、UAE、クウェート、オマーン、バーレーンといった近隣のアラブ諸国との大きな違いだ。

 最大のそれが、オイルマネーの使い方。UAEやサウジアラビアなどサッカー熱が高く裕福な中東諸国は、その豊富な資金を世界中の有名な選手やクラブを自国に呼び寄せることに投資する。例えばUAEは、自国リーグのクラブに世界中から選手を呼び寄せ、イタリア・サッカー連盟やユベントスなどと提携してスーパーカップや親善試合を開催している。

 しかし、カタールはそうした投資にあまり熱心ではない。彼らは他の中東諸国が有名な選手/クラブを呼び寄せるカネで、『アスパイア・アカデミー』を創設したのだ。04年に誕生した政府運営のサッカーを中心としたアスリート養成機関である。自国はもちろん中東、アフリカ、アジアなど世界30か国以上から少年たちを集めている。

 テストをパスして入寮した選手たちは、信じられないほどの好待遇だ。14面のグラウンドや全天候型のアリーナ、最新鋭のジムなどで、元バルセロナのコーチなどの指導を受けられる。昨夏までカタールのアル・サッドに所属していたシャビもかつてはコーチのひとりだった。宿や食事、トレーニングウェアなどはすべて国家負担で、言語や栄養学などの講義も充実する。

 U―19代表で14年アジア選手権制覇を果たし、A代表でも19年アジアカップ優勝などを成し遂げたカタールのメンバーには、このアカデミー出身者が数多く名を連ねていた。また、世界中の恵まれない国の少年にチャンスを与えているという意味でも、国際社会に向けた重要なアピールとなっている。
 次の投資先はバルセロナだ。カタルーニャの雄は長くユニホームの胸スポンサーを拒んできたが、11年にその牙城を崩したのが『カタール・ファウンデーション』だった(その前の『ユニセフ』はスポンサーでなくパートナーシップ契約)。

 貧しい国や地域を助け、スポーツや音楽の振興に寄与する財団は、バルサにとって「伝統を破って金儲けに走った」という真実の隠れ蓑になった。13年からは『カタール航空』が胸スポンサーを務めた。こうして小国カタールは他の中東諸国を尻目に、サッカー界にその名を知らしめたのだ。

 そして、パリSG。ヨーロッパの主要都市の多くは世界的なビッグクラブを持っているが、その中でパリだけは違った。パリとフランスにとっては忸怩たる思いだっただろう。カタールはそこに目を付ける。

 11年5月、国家投資庁を通じてパリSGを買収し、カタール傘下のクラブとしたのだ。ズラタン・イブラヒモビッチをはじめエディンソン・カバーニ、ネイマール、そしてキリアン・エムバペなどのスーパースターが花の都に降り立ったのは、すべてカタール・マネーのおかげ。カタールはこれ以上ないほど賢明なカネの使い方で、サッカー界で存在感を高めていったのである。

 カネと政治と知恵を駆使したこれらの投資はすべて、もちろんW杯への入念な布石だ。ただ、招致から開催に向けては、バッシングも少なくない。まず何よりも、開催地決定の際に票を裏金で買ったという話は後を絶たない。またカタールには同性愛を禁じる法律があり、国家規模のメディア検閲、夏場は50度にも達する気候も懸念された。

 さらに、外国人労働者のパスポートを取り上げ、過酷すぎる条件で働かせる制度にも批判が集まってきた。スタジアム建設のためにインドやネパールなどから連れてこられた労働者たちは、やはりパスポートを取り上げられ、帰りの切符も用意されていない。まるでこの地に骨を埋めろと宣告されているかのようだ。ノルウェーのある人権団体はこう警鐘を鳴らしている。

「スタジアム建設中に亡くなった労働者ひとりにつき1分間の黙祷を捧げるとしたら、カタールW杯の全64試合はすべて沈黙の中でプレーされることになる」
 カタール大会は私にとって実に10回目のW杯取材となる。そのメモリアルな大会の真実をこの目で確かめるため、19年夏にカタールへと飛んだ。

 まずは国内リーグを見に行った。試合は全て19時30分のキックオフ。日没からすでに1時間以上が経っているが、それでも気温は摂氏30度を超えていた。この時期にW杯開催なんて不可能に近い。ナイトゲームだけの冬大会になった理由は明らかだ。

 サポーターはいるにはいたが、その数はかなり少なかった。観客が50人、100人という試合が現地では当たり前だという。私はスタジアムで知り合った数人のインド人と話をした。試合に来ると10ドル(約1100円)がもらえるそうだ。そしてチャントを歌ったり、太鼓を叩いたりすれば、もう10ドルのボーナスがあるという。

 カタールの人口は約260万人だが、純粋なカタール人はその1割ほど。高齢者や女性、子供を入れてその数だ。残る9割は外国人労働者で、主にパキスタン、インド、バングラデシュ、ネパール、フィリピン、タイ、スリランカなどの出身。いずれもサッカーが盛んな国ではない。ヨーロッパ出身者もいるが、レベルの低い国内サッカーを観に行く者はほとんどいない。

 だから国内リーグでは、文字通りカネをばら撒いて観衆を集めているのだ。W杯でも地元サポーターの盛り上がりはあまり期待できないだろう。

 続いて私は、ルサイルに潜入した。ほとんど何もなかった砂漠に、W杯のために作っている湾岸人工都市だ。いまだ作業員しか見当たらないゴーストタウンだったが、砂漠だった場所には電気や水道などのインフラが整えられている最中で、美しく大きなホテル、ショッピングモール、レジャー施設、人工の浜辺とともに、開幕戦と決勝が開催される8万人収容のスタジアムが建設中だった。

 W杯のために「町をまるまる造ってしまう」という突飛な発想からは、「普通には開催しない。史上初の中東W杯に相応しい、様々な意味で史上初の大会にしたい」というカタールの思惑が見て取れる。
 このとんでもない町をいったい誰が造っているのか―。それが知りたかった私は、幸運にもインドからの出稼ぎ労働者と仲良くなることができた。彼の名前はサンジットで、スタジアム周辺の植木管理人だった。

 灼熱の環境で木や花を育て、保つのはなかなか大変な仕事だという。ただ、「2年前にカタールに来た時と比べれば、まるで天国だ」とも言っていた。出稼ぎに来た当初はセメントを作るための砂の調達係で、とんでもない暑さと埃の中で労働する日々。死を覚悟したことは一度や二度ではなかったという。

 幸いにもインドで学んでいた植物の知識が役立ち現在の職に就けたが、今も過酷な状況下で働き続けている仲間は多いと嘆いた。

 このサンジットに作業員のヘルメットを借りた私は、立ち入り禁止のスタジアム建設現場に潜入した。大会前に誰よりも早く決勝のスタジアムを突撃取材するのが、90年のイタリアW杯から続けているルーティンだ。前回のロシア、3大会前の南アフリカでは警察に捕まりもしたが。

 不安顔のサンジットに「心配はいらない、私はブラジル人だから楽天的なんだ」と言うと、彼は笑ってくれた。ただ、「もし今回も捕まったら、私は無関係だとシラを切らしてもらうよ」と念を押された。

 私は青のヘルメットを被り、巨大なスタジアムへと足を向けた。開幕3年前にもかかわらず、かなり建設が進んでいる。遅延を繰り返して開幕直前に完成した箱もあった14年のブラジルW杯とはまさに雲泥の差だ。内装はとてもモダンで、そこに立つだけで圧倒される。とんでもないパワーの空調も付けられ、その他にも随所に最新のテクノロジーが駆使されていた。

 スタジアムの前には路面電車の駅が完成していて、待合室は冷房が効いていた。この時の気温はなんと45度。この部屋に入るのがあと少し遅れていたら、私は熱中症で倒れていただろう。
 その後、私はカタールW杯組織委員会CEOの一人、ナサール・アル=カテール氏の下を訪ねた。若くてとても聡明な彼は、すべてのことを深く理解していた。カタールの望み、恐れ、必要なもの、FIFA、カタールの人々、そして世界中のサポーターの思い……。いま寄せられている批判は、カタールのイメージを多少損なうことになっても、社会改革の大きなキッカケになるはずだと言う。

「カタールはW杯を通して、国のソフト面を国際的なレベルにまで引き上げたいと考えているのです」
 
 16年12月にカタール政府は、雇用者が出稼ぎ労働者のビザや法的地位を左右できる悪名高い『カファラ制度』の廃止を宣言。パスポート剥奪などの問題も少しずつ解決に向かっているという。またW杯期間中は飲酒ができる場所を設け、同性愛禁止法も大会中は緩める方針だ。アル=カテール氏はこう語る。

「W杯の成功はカタールにとって、歴史的な新たな一歩となるはずです。世界中から訪れるサポーターにはこの国のあちこちを観光し、本当のカタールを知ってもらいたいと思っています」

 大会組織委員会が一番危惧しているのは、より観光地として成熟しており、カタールからたった30分のフライトで飛べるUAEのドバイに、サポーターを奪われないかということ。観光客を自国に留めておけるかは、インフラやホスピタリティーの整備次第だろう。

 いまだかつて、これほど大きな挑戦に乗り出した国はない。前回のW杯は世界で一番大きな国であるロシアで開催された。そして今、逆に世界で最も小さい部類に入る国が、砂漠の上で奇跡を起こそうとしている。3年後のカタールW杯は試合以外にも興味深いものが数多く存在する―。現地取材を終えて、私はそう思うようになった。

取材・文:リカルド・セティオン
翻訳:利根川晶子
※『ワールドサッカーダイジェスト』2019年12月5日号より転載

【著者プロフィール】
リカルド・セティオン/1963年8月29日生まれ、ブラジル・サンパウロ出身。ジャーナリストとして中東戦争やユーゴスラビア紛争などを現地取材した後、社会学としてサッカーを研究。スポーツジャーナリストに転身する。8か国語を操る語学力を駆使し、世界中を飛び回って現場を取材。多数のメディアで活躍する。FIFAの広報担当なども務め、ジーコやカフーなどとの親交も厚い。現在はスポーツ運営学、心理学の教授としても大学で教鞭も執っている。